林 安紀子 (東京学芸大学 特殊教育研究施設)
講演のタイトルを“「人の声」から「ことば」へ”としましたが、私が興味を持っているのは、非常に早期の段階の「ことば」です。文法や意味といったルール的なものが表面に出てくる前の赤ちゃんが、私たちの音声、つまり人がことばの媒体としている音声をどのように知覚しながらそれを記号として使うことができるようになるのかに非常に興味があります。
赤ちゃんの音声知覚発達 <図1>
最初は人の声から始まると考えています。人の声というのは、考えてみますと物理的には時間的に連続した音響信号ですし、それは話し手や発話の状況によって常に大きく変動しているものです。ところが、それをことばとして言語として使う場合には、その連続的な非常に変動の大きい音響信号を、例えば音韻、単語、文、句など分節化された構造を持ったものに、常に一貫してどんな状況でも聞き取れ、知覚できることが大前提になります。その上で、そこから音韻や意味、文法などを、それぞれルールを築いて理解し、それらを使いながら他者とコミュニケーションし、自分の意図を伝達していくところに、人の声がことばとして発達し、使えるようになっていく道筋があると思っています。
連続的な音声が分節化された構造を持つものとして感じ取れるようになるためには、赤ちゃんのどのような発達が基礎になっていくのでしょうか。いろいろなものが関わっているでしょう。もちろん中枢系の成熟がありますが、単にそれだけなのでしょうか。
知覚や認知の発達、そして先ほど述べましたコミュニケーションからことばが出発するならば、対人的、社会的な環境の要因も非常に大きいでしょう。赤ちゃんはいろいろな環境の中からどのようなものに自分から目を向けて、その中のどのような情報を選び取り、最終的にいろいろなルールを獲得していくのだろうかと考えました。
ひとの声への注目 <図2>
最初にお話しますのは、赤ちゃんの人の声への注目についてです。先行研究によりますと、生まれた時、つまり新生児期に一番赤ちゃんがアンテナを向けるのは自分のお母さんの声です。これは個人性の特定になります。誰の声か、それはお母さんの声である、というそのお母さんの声が一番であることが確かめられています。おそらくお腹の中でお母さんの声を聞きながら育っているので、胎児期の聴覚経験の影響が既にこの時期に顕れて、それが赤ちゃんのアンテナとなって、外界からの刺激を選び取ることをしていると思います。
それと同時に、赤ちゃんは、抑揚が豊かであったり繰り返しがあったりピッチが高かったりなどの特徴を持つ対乳児音声に対しても、やはりアンテナをさっと向けることがわかっています。例えば生後1ヶ月までの赤ちゃんは、母親の音声と母親ではない人による対乳児音声のどちらを選ぶかといわれれば、母親の声が一番です。ところが生後4ヶ月くらいになると、他の人の声であっても自分のお母さんの声であっても、対乳児音声である韻律的な特徴を持つ音声に対して非常に反応が良くなります。さらに対乳児音声である韻律的な特徴が際立った音声に対する反応は、正高先生が研究されたように、聴覚障害を持つ親から生まれた赤ちゃん、おそらく胎児期に親の声を聞く経験が少なかったと思われる赤ちゃんについても、このような対乳児音声的な特徴を持つものに興味を示すことから、環境や経験の影響にはあまり左右されない特性であることも分かっています。
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