質問1―― |
女子医大の西田です。先ほど紹介された本と同時期に出版された『ゴースト フロム ザ ナーサリー』(育児室からの亡霊)という本があります。その両者で意見が違うのは当然なのですが、紹介された本の内容――それが科学的ではないということ――自体にバイアスがかかっていると思います。実は、『ゴースト フロム ザ ナーサリー』は同じような内容の記事を参考にし、多くの文献を利用して書いてあるのですが、同じような素材でありながら、著者によって全く違う方向が出ているのです。『母性愛神話のまぼろし』をもとに、引用されたものが科学的でないということでしたが、それはやはり問題があるのではないかと思いますがいかがでしょうか。
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大日向―― |
先ほども申しましたが、私はアイヤーが「こうした研究がすべて科学的でないと言っている」という意味では申し上げておりません。科学に過大な幻想を持つこと、科学であれば絶対に客観的で普遍的な事実を証明していると信じすぎることをアイヤーは批判していると申しましたので、そこはどうぞお汲み取りいただければと思います。
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質問2―― |
『母性愛神話のまぼろし』は私も読ませていただきました。それで、今の3歳児神話については、私はかなりイデオロギー的に捉えられすぎているのではないかと感じました。ここでお伺いしておきたいのは、満1歳ぐらいまで、特に生後半年ぐらいまでの間の母乳栄養の問題について、発達心理学の立場の方ではどのように考えているのでしょうか。人間以外は、みんなそれぞれ牛は牛の乳で、サルはサルの乳で、なぜ人間だけ牛の乳で育てられなければならないのでしょうか。このような素朴な疑問があるのです。
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大日向―― |
今、先生は「サルや牛はなぜ自分たち以外の母乳を飲ませないのか」とおっしゃいましたが、それはサルや牛はミルクが作れないからではないでしょうか。
私は母乳をあげなくていいとは考えておりません。母乳の生理学的なメリットは充分認めなくてはいけないと私は思います。しかし、一方では母乳が出なくて苦しんでいる母親もいます。あるいは、行き過ぎた母乳礼賛運動の中で、育児ノイローゼになっている母親たちにもたくさん会ってきました。「母乳達成率100%を目指して」といった標語を大きく掲げている産院で、母乳の出が悪いために本当にみじめな思いをして、育児のスタートを狂わせてしまった母親たちもいます。「母乳をあげましょう。あげる努力を惜しまないで」と私も思います。でも、「どうしても出ないときはミルクがありますからね」とか、「お母さんが仕事や病気などの理由で母乳があげられない時は、お父さんもミルクで育児ができますよ」と、子育てに多様性を持たせるメッセージを発信していくことが、人間の子育てを考えるうえでは大切だと考えております。
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