一般書子ども時代のネガティブな体験から 生まれたもの あわやのぶこ 異文化ジャーナリスト |
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「ハードでパンクな青春! わたしはみんなが嫌いだった。友だちは一人もいなかったし、欲しいとも思わなかった」。そんな子ども時代は、いつものブコウスキー調そのまま。下品きわまりない罵倒の言葉に満ち満ちて、小さな文庫本がはじけそうだ。 アメリカで、初めて彼の本に出合った時の衝撃は忘れられない。なんとも痛快で、超ぶったまげたのだ。「こんなのも文学だったの?」と思うと同時に、「一度は訳してみたい」とさえ思ったほどだから、この『くそったれ! 少年時代』の訳者、中川五郎さんがうらやましい。 ブコウスキーらしき主人公、ヘンリー・チナスキーは貧乏、劣等感、暴力と、三拍子ばっちりそろった少年。荒れ放題の学校から放校寸前。それで少なくとも何も起こらない安全な場所である自分の寝室のベッドの中でぐだぐだ…。と、母親が叫ぶ。「『ヘンリー、起きなさい! 元気な男の子が一日中ベッドでごろごろしているなんてよくないわ! さあ、起きて! 何かやりなさい!』しかし、やるべきことは何もなかった…。」 だが、ある時、勉強に使われるはずだったノートに小説もどきを書きつけてみたり、白髪の司書が一人しかいない公立図書館から次々と本を借りてきて、あっという間にD・H・ロレンス、それからツルゲーネフやゴーリキーと読み進む。およそ両親からも学校からも友だちからも見捨てられたようなヘンリー。本の中の彼らこそ自分に話しかけてくれる人間だったが…。家の消灯は8時。無教養なアル中の父親は怒鳴る。「そんなたわけた本を読むのはもうこれまでだ! 明かりを消せ!」 一方、アメリカは中産階級のインテリの家に育ったはずのルース・ライクルは、いつも母親のとんでもなくまずい(しばしば腐っている)料理に悩まされていた。 しかし、母親の料理を反面教師として育ったライクル。さまざまな人や台所、新しい味との出合いによって、自分の料理の腕をピカピカに磨き、「大切なことはすべて食卓で学んだ」のである。実際彼女は食べ物に関するコラムニストとなったのだが、この本は、台所をめぐる自伝的な物語である。 二つの作品とも痛快極まりなく、その魅力は、ネガが見事にポジに変わってしまうそのダイナミズムにある。 ヘンリーの少年時代、ルースの少女時代。それぞれの個性がどのように成長していったのか。読む側はまるで自分のことのように時を追い、スリルを味わいながら、本と一緒に大人になる。 21世紀が来る前に、これらの本は読むべし。 |
『くそったれ! 少年時代』 | ||
チャールズ・ブコウスキー 著 中川五郎 訳 |
河出文庫 | \1,200 (本体価格) |
『大切なことはすべて食卓で学んだ』 | ||
ルース・ライクル 著 曽田和子 訳 |
TBSブリタニカ | \1,800 (本体価格) |