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教育書

昔の学び、今の学び


橋本 美保 東京学芸大学助教授

 日本の近代以降、現在ほど「学び」が教育改革の柱として強調されたことはない。このことは、現代の子どもにとって、主体的な学習活動の欠乏が深刻であることを意味している。しかし、求められている「学び」の本質はいったいどのようなものなのだろうか。

 この問題について、教育史的な方法を用いてアプローチを試みたのが、辻本雅史著『「学び」の復権』である。

 江戸時代は学習文化を有した社会であった。模倣と習熟の反復という身体的学習過程を基本とした教育が、寺子屋・藩校・私塾での学習、職人や商人の徒弟教育などに広く行きわたっていた。江戸時代の儒学者・貝原益軒は、無自覚なうちになされる身体的な模倣と習熟のプロセスこそが人間形成の最も重要な契機であると説明し、学ぶ主体の能動性や意欲、学ぶことの意味が重要であると説いた。このような学習過程における教師の役割とは、「見習い聞き習うべき手本」と位置づけられる。

 本書の後半では、このような身体的で主体的な学習文化の視座から現在の通信教育などの普及理由が説明されると同時に、受験勉強、教師と子どもの関係、学校管理、個性尊重教育など現在の学校教育の問題点が浮き彫りにされる。

 義務教育はおろか教育制度さえなかった江戸時代に、なぜ人々は師を求めて学習したのか。この答えが近代以降の学校教育の特質を理解するカギとなる。

 一方、今の学びを扱った書に、浅沼茂編『「総合的な学習」のカリキュラムをつくる』がある。本書は、実践例を集めた数あるハウツー書とはひと味違い、現在の「学び」をどのようにデザインするかについて教師自身に考えを促す内容構成となっている。

 カリキュラム、学習理論、哲学、教師論、教育史、比較教育、教科教育などの研究者による、それぞれ最新の研究成果を交えた「総合的学習」の原理的な説明の試みが斬新である。

 本書の目的は、教師に「総合的学習」を通して子どもに学ばせたいことは何かを考えてもらうことにある。教師自身が哲学を持つためには、何よりも教師が主体的な学習者でなければならない。ハウツー書によってイメージを持つことも大切であるが、哲学を持たない教師は、永遠に他人の実践を模倣し続けなければならない。本書は、教授の手引き書ではなく、教師が学習するための手引き書であるといえよう。

 この2冊を読んで、次の時代にも通用する「生きる力」は、どのような時代にも変わらない「学び」によって育まれるのではないかと感じた。



「学び」の復権 「総合的な学習」のカリキュラムをつくる

『「学び」の復権―模倣と習熟』
辻本雅史 著 角川書店 \1,700
(本体価格)

『教職研修3月増刊号
「総合的な学習」のカリキュラムをつくる』
浅沼 茂 編 教育開発研究所 \2,238
(本体価格)

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第254号 2000年(平成12年)6月1日 掲載


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