一般書異文化の橋を渡ってあわやのぶこ 異文化ジャーナリスト |
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最近の日本では、かつてあった「青い目のニッポン滞在記」的な、外国人の日本見聞記はさすがに淘汰されてきた。だが、流暢な日本語を操り、日本の情緒を解する外国人に出会う時、彼らを「日本人より日本人的な」という安易な表現でくくってはいまいか。伝統芸術を学び、その奥義を極めようとする外国人に、日本人は驚嘆し、恐縮するばかりだろうか。異文化の橋を渡る人々にどんな思いがあったのだろう。そこから私たちが学ぶものはなんだろう。 『尺八オデッセイ』の著者はクリストファー遙盟。本名クリストファー・ブレィズデルが、尺八の師・竹盟社宗家の山口五郎氏から授かった名前である。テキサスで生まれた音楽好きの少年が、インディアナ州にある小さな大学に進み、1972年交換留学生として来日した。車の右ハンドルに驚き、高速道路の建設現場で半裸で働く労働者のあざやかな仕事ぶりに静かな興奮を抱いた初めての日本。明確な目的があったわけではなかった一大学生が、どのようにして尺八と出合い、尺八演奏家になったのか。その精神の軌跡を振り返り、現在までの自らの有りようを綴ったのが本書である。 ある文化のなかで生まれ育った人が、ふとしたきっかけで異文化の扉を開けてしまう。クリストファー遙盟は、まさに青春をかけ、尺八と向き合ってきた。端正な文だが、その底には、情熱と努力、芸術家としての感性があふれ出る。また、アメリカで育った彼が日本の伝統芸術の世界で体験した文化摩擦も数々ある。アメリカの稽古事の料金システムから考えると「月謝」は謎であり、家元を中心とした組織は、「尺八音楽を習うつもり」だった青年には複雑で戸惑いを覚えるものだった。 日本の芸は「盗むもの」で、「ナイヨウ」よりまずは「カタチ」。「カタチ」から入ってこそ「ナイヨウ」がついてくる。まさにその逆を標榜していた70年代のアメリカ文化で育った彼には、180度の発想転換だ。そんな文化差異をどう理解し、どう学んでいったのかが、本書の大きな魅力になっている。 日本的な尺八音楽を、現在、著者は世界的な視野でとらえている。国内で音楽教育への新しい試みをし、海外で尺八国際フェスティバルを主催するなど、日本の芸術を逆に異文化にさらし、新しい発見とさらなる課題を提示している。 さて、文化を超えるのは音楽のみにあらず。『翻訳と日本文化』は、翻訳家や研究者が、おのおのの視点や立場から翻訳を考察している。文字がどう異文化を渡るのか、宝物がいっぱい詰まったわくわくする本である。 |
『尺八オデッセイ―天の音色に魅せられて』 | ||
クリストファー遙盟 著 | 河出書房新社 | \1,600 (本体価格) |
『翻訳と日本文化』 | ||
芳賀 徹 編 | 山川出版社 | \1,800 (本体価格) |