ヤングアダルト感じるオキナワ、2冊増田 喜昭 子どもの本屋 「メリーゴーランド」店主 |
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学校の図書館にはなぜだか、画集や写真集のたぐいが少ない。「朝の10分間読書」でも、そのての本は歓迎されないようだ。1枚の絵や写真を眺めながら、さまざまな想いを巡らせるのは読書ではないのだろうか。 『岡本太郎の沖縄』という写真集を何度となく眺めていると、なんだか次の日本を生きていく世代の人たちに紹介したくなってしまう。 岡本太郎は、沖縄がまだ米軍の占領下だった1959年と66年の2回、沖縄本島や久高島、石垣島、竹富島などを訪れている。その時のようすは『沖縄文化論―忘れられた日本』(中公文庫)で彼自身が熱く語っているので、それも読んでほしいのだが、そこに載っている小さな写真では伝わらなかった沖縄の空気が、この大きな写真からぐいぐい迫ってくる。 珊瑚礁のごつごつした石を積み上げた石垣、アダンで編んだ籠、くり舟、どれも芸術家・岡本太郎の目をとらえて離さなかったのだ。 「『見ろ。美しいねえ。誰も芸術だなんて思って作ってやしない。だから凄いんだ。』 そして、それよりもっと、彼は沖縄のお婆さんに惚れ込んだ。大がい汚れた、粗末な着物を裾短かに着て、ほとんど裸足だ。日に焼けた、皺の深い顔。すれ違うと、恥づかしそうに会釈する。そのはにかんだ表情が優しい。 石垣の道で、荒れた貧しい畑で、市場で、波止場で、彼は『いいねえ。』『いいねえ。』感歎しながら、さかんにシャッターを切った」 小さな文庫本の最後に、この沖縄の旅に同行した敏子さんが書いていた。その写真を、今、大きな写真集のなかでじっくりと見ることができた。 プロの写真家のような本格的な撮り方ではなく、歩いて、眼に焼きつくままに撮っているのだが、岡本太郎の眼を通して見た、ぼくの知らない復帰前の沖縄の自然と人、その命のつながりが強烈な太陽の光とともに伝わってくる。 もう1冊、興味深い本を見つけた。『ウーマク!―オキナワ的わんぱく時代』である。「ウーマク」とは沖縄の言葉で、「わんぱく少年」という意味らしいが、作者の宮里千里は1950年生まれ。まさにアメリカだった沖縄で、どんなふうにわんぱくして遊び回っていたかが、かなり細かく描かれている。同世代のぼくとしては、生きた沖縄の戦後史を仲よしの友だちに語ってもらっているようで、「へえー、そうだったのか」という驚きの連続だった。 |
『岡本太郎の沖縄』 | ||
岡本太郎 撮影 岡本敏子 編 |
NHK出版 | \2,400 (本体価格) |
『ウーマク!―オキナワ的わんぱく時代』 | ||
宮里千里 著 | 小学館 | \1,400 (本体価格) |