●HOME●
●図書館へ戻る●
●一覧へ戻る●

教育・一般書

「ゆとり教育」を改めて考える


荒巻正六 学校問題研究家

 このところ、2002年度から実施される新学習指導要領の「ゆとり教育」への反論・苦言・忠告が新聞・雑誌等の出版物に相次いで掲載されている。ニューヨーク市立大学教授・霍見(つるみ)芳浩氏は、「ゆとりある教育」の美名のもとでの「愚民化」政策だと断じていたほどである(2000年10月30日付朝日新聞)。そこで今号では、このことを徹底的に論じた次の2書を紹介したい。

 一つは文部省入省後、岐阜県教委管理部長を経て、現在、在米日本大使館参事官を務めている大森不二雄氏の『「ゆとり教育」亡国論』と、もう一つは『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受賞した作家・村上龍氏が編集長になっている『教育における経済合理性』である。

 前書『「ゆとり教育」亡国論』の著者の根本的な考え方は、「学校って何だと問われたら、勉強するところに決まっていると答えざるを得ないし、また、そう答えるべきだ」というところにある。それを「受験競争、偏差値教育、知育偏重、画一教育等で子どもたちが、精神的に追いつめられていることから、いじめ、不登校などの問題行動を起こしているのだから、もっとゆとりが必要だ」という主張が教育に関する支配的論調になっているのは、一種の思考停止状態であり、勉強否定論であるとする。こうした状況が、子どもの目標喪失、学力低下、規範意識の崩壊に拍車をかけている。これでは、世界的規模で進んでいる「知識社会への移行」に日本は立ち遅れることが目に見えているとし、「教育を救う10のアピール」「学力向上を目指す教育改革試案」を挙げている。

 後書『教育における経済合理性』は、村上龍氏が編集長になっているメールマガジン「JMM」の第8集として出版されたものである。このメールの参加者は、学者、企業家、研究者、官僚など現在8万人(2001年1月現在)もいるといい、本書でも数多くの人が登場し発言する。本号テーマに関するものの一部を要約すると、次の通りである。

 現在、教育をめぐる議論が混乱しているのは、教育問題を語る言葉に空疎な響きのあるものが多いためだ。その最たるものが『ゆとり』で、子どもにも親にもまったくわからない。それは競争の激しい資本主義社会の対極にあるように考えられる。社会的人間を育てるための教育で反社会的人間が育つと、いかにコストがかかるかを考えさせるべきだ。資本主義社会で子どもが生き延びるためには、歯を食いしばって、自分の将来目標に向かって努力をするという『戦略』を持つことを教えるべきだ。教育における経済合理性とはそういうことだ。

 読者の先生方はこれをどのようにお考えになるだろうか。一読を勧めたい。



「ゆとり教育」亡国論 教育における経済合理性

『「ゆとり教育」亡国論』
大森不二雄 著 PHP研究所 \1,300
(本体価格)

『教育における経済合理性』
編集長 村上 龍 NHK出版 \1,200
(本体価格)

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第262号 2001年(平成13年)3月1日 掲載


Copyright (c) 1996- ,Child Research Net,All right reserved.