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一般書

心理学の研究素材に…心にくい自伝書


あわやのぶこ 異文化ジャーナリスト

 だれかの自伝を読むのは、当然ながらその著者に興味があるから。つまり、なぞ解き感覚で読むことが多い。生い立ちから現在までの軌跡。個人的な物語と時代とのかかわりなどなど。

 だが、自伝を著す側はどうだろう? 不思議で不可解な存在である「私」について、思いがけなく半生を振り返ることになった著者・河合隼雄は自伝の「はしがき」でこう書く。

 「『私』について研究するのではなく、研究の素材を提供するような方法をとることにした。臨床心理学の研究素材は、人間が考えたり編成したりしたものではなく、思いつくままに自由にしゃべったものが一番いいのである」

 というわけで、彼が話したものを編集者がまとめた。関西弁の話し言葉そのままのユニークな自伝。楽しく読めて、中身は非常に鋭い。現代の子どもや大人たちに、数々のヒントを与えてくれる。心にくい書である。

 人の心に興味を持ち続け、さまざまな領域に提言をする河合。肩ひじを張らず、縦横無尽に「今」という時代に語り続ける彼の在りようはどこから来たのだろう?

 丹波篠山(ささやま)の田舎から京都に出てきて書生となり、さらに東京で勉強して歯科医になった父親。一学年一人しかいない山奥の小学校から師範学校に学び、小学校教師になった母親。1930年代の日本の状況を考えると、まるで「国際結婚」のような二人。独立独歩の精神の持ち主である両親の下に育ったのに「なんかわれながらちょっと情けないところがある」子ども時代の河合。

 大好きな先生のお別れ会で涙をがまんしていた彼に、「ほんとうに悲しいときは、男の子でも泣いてかまわない」と諭す母親。その言葉に救われて「ぼくはいっぺんに泣いてしまったんですね」。親は「立身出世よりちゃんと生きるという感覚」を教えた。

 河合家の六人の息子たちはよく「おしゃべり」をしたという。「カッコつけてもすぐばれるわけでしょう、兄弟の場合。そうするといつも本音でしゃべっているわけだから」

 河合は休学、専門の変更など迷いの大学時代を経て、いったんは高校教師になる。のちにスイスで創設期のユング研究所に学ぶことになるが、それもアメリカ留学を経由しての話だ。彼は試行錯誤しながら、新しい時代の道を進んだ。それを見守り「ほっといて」くれた大人たち、個性的な教師たちも抜群に面白い。

 人も教育も、なんだかせちがらくなってしまった今。個人的な物語から、未来を考えた。気がつくと、本書の題名にすんなりとつながってしまった。



未来への記憶

『未来への記憶――自伝の試み』上下2巻
河合隼雄 著 岩波新書 各\680
(本体価格)

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第267号 2001年(平成13年)9月1日 掲載


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