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教育書

子どもに具体的で多様な
生き方を示せ!


田中 智志 東京学芸大学助教授

 近年教育問題に深く関心を寄せている、村上龍氏の対談集である。相手は藤原幸博氏、河上亮一氏、江川紹子氏など7人の著名な教育者・評論家であり、村上氏は彼・彼女らとの対談のなかで、「子どもは病んでいる」「教育は崩壊した」といった近年のシニカルな教育論議を手厳しく批判している。

 氏の主張を支えているのが、巻末に収められている1,600人にも及ぶ中学生に対するアンケートである。これがなかなか面白い。例えば、「ホームレスをどう思うか、ホームレスを襲撃する子どもをどう思うか」という問いに彼・彼女らは「共に人間のくず」と答えたり、「胸がワクワクするのはどういう時か」ときかれて、「わかりません。どこまでが楽しく、どこまでがつまらないってゆうんですか?」と反問したりする。

 こうした回答に危うい屈折を見いだすことは簡単だが、村上氏は彼・彼女らの屈折に過敏に反応していない。確かに現代の中学生は過剰な不安によって屈折している。「自分とは何か」「人間とは何か」といった自分自身の存在に対する不安は、これまで以上に深刻になっている。文学離れが激しく、また濃密な人間関係を避けたがる今の中学生は、こうした不安をやり過ごしたりいやしたりする術を知らないために自傷行為や暴力行為に走りやすい。

 また激しく社会が変化しているために、「自分の将来はどうなるのだろう」「これから社会はどうなるのか」といった先行きに対する不安も、これまで以上に深刻になっている。こうした不安は、従来、立派に成り立っていた教師や親の権威を軽視したり無視したりする態度を生み出すとともに、社会性を拒否するといった態度を生み出している。

 村上氏が、近年のシニカルな教育論を批判するのは、その種の教育論がこの現代的な不安の原因を正確に把握していないからである。現代の過剰な不安は、大人が子どもに具体的な生き方を示すことができなくなったこと、権威によるコントロールが成り立たなくなったことの結果なのである。つまり、大人が子どもに充実感を持てる具体的な生き方(具体的な仕事)をきちんと示しさえすれば、現代の不安が生み出す問題の多くは解決されるはずだ、と村上氏は考えているのである。

 確かに今、自己決定の重要性が説かれているが、そうするために必要な選択肢はあまりにも茫漠としているようにみえる。具体的で多様な生き方を示すことは、不確実性に満ちたこの時代には欠かせないだろう。しかし、いざそれを実際にしようとすると、これがなかなか難しい。



「教育の崩壊」という嘘

『「教育の崩壊」という嘘』
村上 龍 著 NHK出版 \1,300
(本体価格)

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第268号 2001年(平成13年)10月1日 掲載


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