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教育書

教育改革によって
「失われた十年」


荒巻 正六 学校問題研究家

 「教育改革によって『失われた十年』」というタイトルは、今号で紹介する東京大学大学院教授・苅谷剛彦氏の『階層化日本と教育危機』のまとめの章(第8章)にある文言である。著者は、そのなかで次のように言っている。

 「ゆとりが与えられた。教える内容も減らされた。受験競争も緩和された。子どもたちの興味・関心を重視することで学習意欲を高めようとする試みも導入された。それでも、この10年間に進行したのは子どもの勉強離れだったのであり、授業の理解度の停滞ないしは低下だったのである」と。改革進行中の教育現状についての厳しい評価である。

 著者は「階層」を「所得や職業の威信、学歴、権力などのさまざまな社会・経済・文化的資源と呼ばれるもの」を基準とした社会的地位と定義し、「階層化社会」とは、「そうした地位へ人びとを配分する結果としてできる」「序列化した社会のことである」としている。本書はこうした定義のもとで、日本社会の階層形成過程と教育の関係を追究しようとしたものである。

 第1章の「流動化の時代」は、まさに書評子の戦後史を読むようであった。本書にある通り、書評子も農村から都市に出た若者の一人であった。若者だけでなく壮年層も村を離れた。集団就職列車第1号が出たのは昭和29年であり、「ああ上野駅」という歌が歌われていた。村では「三ちゃん農業(かあちゃん、じいちゃん、ばあちゃん)」という言葉も登場した。やがて農村出身者のみならず、すべての人を含めての社会階層の変動と新制中学をはじめとする急速な教育の拡大という二重の現象が見られるようになった。著者はこれを、「変化の同時性」として詳しく分析している。それに伴うさまざまな問題も起きた。その問題を列記すれば次のようである。

 就職組と進学組、普通科と職業科、受験競争と学歴社会、高校全入と大衆教育社会、能力主義と習熟度別クラス、偏差値と業者テスト等々。そしてこれらはすべて、差別意識が根底にある。やがてそれらを解消するために「ゆとり」「個性尊重」「生きる力」といった教育改革論が活発化した。行政も教育内容の三割減とか、高校での科目選択の自由を拡大した。その結果、物理を履修しない工学部生、生物を履修しない医学部生、日本史を知らない法学部生などが珍しくなくなった。受験戦争の弊害を批判するあまりに出てきた教育改革論ではあるが、それは子どもの学習離れ、大学生の学力低下をもたらしている。本書はそれらに関し、外国との比較、歴史的データを克明に提供している。こうして再び、「教育改革によって『失われた十年』」が始まろうとしている。読者諸兄に、ぜひ一読してもらいたい書である。



階層化日本と教育危機

『階層化日本と教育危機
――不平等再生産から意欲格差社会へ』
苅谷剛彦 著 有信堂 \3,800
(本体価格)

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第272号 2002年(平成14年)2月1日 掲載


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