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教育書

学力論争のゆくえ


橋本 美保 東京学芸大学助教授

 「学力低下」論なるものが、ここ数年マスコミ界をにぎわせている。歴史的にみれば、この手のにぎわいは、本質的な議論を経ることなく、その議論の高まり自体が一種の歴史的事実としてかすんでいくということを繰り返している。戦前には、新教育運動が高まりをみせた一方で、壮丁教育調査(徴兵検査の際、成年男子に行った学力検査)において学力低下が問題にされた。戦後、新教育がうたわれ、アメリカ流の進歩主義教育運動が盛んになったときも、体験を重視したカリキュラムに対して「はい回る経験主義」という批判が浴びせられ、「学力低下」をもたらした原因だと攻撃された。近代以降、新教育運動としてたびたびみられたカリキュラム改革は、そのたびに「学力低下」論によって批判され、下火になっていった。日本の教育史を振り返れば、今般の「学力低下」なる議論が、いかに歴史的に予見しうる事件であったかということがよく見えてくる。

 『学力低下論批判』は、過去の歴史から学ぶという点においては残念ながら不十分であり、その点が悔やまれる。しかし、学力低下という用語がスローガンのように用いられている現状において、まとまった反論としては将来の歴史史料になりうる希少価値を持っている。

 本書は3部から成っており、第1部は、「学力は本当に低下しているのか」という問題設定で、いくつかの実証的なデータによって反論を試みている。データは、国際学力比較調査と新学習指導要領の先駆けとなった総合的学習実践校の卒業生に対する追跡調査などの結果であり、基礎学力を算数・数学や理科の学力調査の結果から判定しようと試みている。第2部では、「学力観の諸相」と題して、基礎学力の内容について論じている。「学力低下」論者との学力観の違いにふれ、学力の定義に関する哲学的な議論の必要性が示唆される。第3部は、実際の学校現場での評価のあり方について論じているが、授業の技術論的な内容に偏っており、「学力低下」論への反論の材料とはなっていない。ただし、現場での生徒評価のあり方についての手引きとしては役に立つであろう。

 本書を貫くものは、新学習指導要領をどのように守るかという防御の姿勢である。実証的なデータが新しい教育施策を守るために駆使されているということ自体、注目に値する。しかし、今後、学力低下に関する議論を生産的に進めていくためには、学力の構造や体験の質的分析などのような教育学の理論的な側面からの議論が不可欠であろう。



学力低下論批判

『学力低下論批判』
加藤幸次・高浦勝義 編著 黎明書房 \2,600
(本体価格)

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第273号 2002年(平成14年)3月1日 掲載


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