一般書日系アメリカ人の姿を描き出す あわやのぶこ 異文化ジャーナリスト |
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日本に生まれ育った私たちは、案外、日本人の海外移民の歴史を知らずに過ごしている。それがゆえ、日系人の生き方を、自分たちと関連する事象として身近に感じることが難しい。 日系アメリカ人に関して言えば、折にふれて、戦時中の強制収容所のことなどが日本のメディアで語られもするのだが、お定まりの苦労話になりがち。そのなかにいた彼ら個々人の心の歴史のディテールは、むしろ見えにくい。 『最後の場所で』は、日系アメリカ人に関するフィクションだが、主人公もその設定も、日系アメリカ人の姿を描いた従来の小説とは異なる新しさがある。内側からにじみ出るような描写によって読み手は、気がついたときは物語世界の内側に置かれてしまっている。 日系人社会が存在した西海岸からは程遠く、およそ東洋人の存在が稀有な、なんの変哲もないアメリカの小さな田舎町を背景に話は展開する。登場するのはアメリカに移住してきたドク・ハタ。彼は医者ではない。医療器具の店を長年ここで経営し、町のみんなの信頼と親しみを得て、ドクと呼ばれている。コミュニティに溶け込み、だれからも好感を持たれる日本人。だが、彼の人生の軌跡はかなり複雑な陰影を帯びている。 その出自、戦争体験、女性とのかかわり、娘のことなど、老いとともにドク・ハタの過去の記憶と現在が行きつ戻りつ語られる。それは、ゆっくり揺れる花びらを一ひらずつはがしていくように、静かに少しずつ露わになってくる。 彼は気がつく。自分の願いは「集団の一部になること(100万分の1であろうとも)であり、体裁(ジェスチャー)だけではないなにかがある人生をたどることだった」と。体裁、目に見える形態を整えた暮らし、つまりジェスチャー・ライフは、礼節あるドク・ハタのそれだ。だが同時に、彼が今になってわかるのは、思えば、彼もまたさまざまな歴史の重要な一部分を構成していたということ。そして、いかに自分自身を戦争というまったくの徒労の動力に捧げていたかという事実。 「私が恐れているのは死ではなく、考え直し、納得して生きていくチャンスをふたたび失うことだった」 ドク・ハタは自分の「最後の場所」で、再び歩き出す。 「足を止めたところに、ただ旗をさそう。…私は、円を描いて、ふたたびどこかへたどりつくだろう。わが家へ帰るかのように」 本書は歴史的リサーチと理解のうえに立つ虚構だが、今までの日系作品の典型を超えて、しかも、最も重要なところに深くふれている。 |
『最後の場所で』 | ||
チャンネ・リー 著 高橋茅香子 訳 |
新潮社 | \2,300 (本体価格) |