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ヤングアダルト

生き方を変える
ささやかなアイデア


増田 喜昭
子どもの本屋「メリーゴーランド」店主

 これは絵本である。百四十ページもある分厚い絵本である。細い線で描かれた各ページのイラストはため息が出るほどシンプルで美しい。広々とした海を描いたページなどは、コピーしてその絵を自分の部屋に貼っておきたいくらいだ。

 そしてこれは現代の寓話である。とてつもなく大きな魚を釣りたくなった釣り人ヨナスは、神さまからアイデアをいただき、釣りの名人となる。パリのセーヌを離れ、世界各地で釣りの名人ぶりを発揮する。世界中のどんな釣り人もかなわぬほど、たくさんの大きな魚や変わった魚を釣った。草原のカウボーイにも会ったし、インドの蛇使いも見た。アフリカの大草原にも行った。グリーンランドの狩人たちの紫色の影法師も見た。世界一の美女にキスされたり、中国の皇帝にお茶に招かれたりもした。

 いつの間にか、ヨナスは釣りの王さまと呼ばれるようになっていたのだった。が、なぜかヨナスはパリのセーヌへ帰りたくなってくるのだ。七年間にわたる世界一周釣りの旅が終わるときが来たのだ。そのあたりの細かいところはぜひ読んで味わってほしいと思う。

 この本のなかで注目してほしいのは、最初にヨナスに大きな魚を釣るアイデアを授けたのは神さまだったというところだ。何しろ、「神さまは、夜ごと、三つのささやかなアイデアを、パリにおつかわしくださっている…」というのだ。その夜、一つは画家に、一つは詩人に、ささやかだけど有名になることのできるアイデアをそっと伝えていたのだ。ヨナスのところへやってきた三つめのささやかなアイデアは、羽の生えた小さな天使が運んできた。

 ささやかなアイデアは、ヨナスの部屋に忍び込み、ベッドの柱に留まって、眠っているヨナスに話しかける。なんだかおとぎ話のようだが、有名になったり、すごく偉くなったりした人に尋ねると、意外にも「ちょっとしたひらめきです」とか、「夢で見たんです」などといったシンプルな答えが返ってきたりする。

 夢枕に立った恐ろしい人に「五重塔を建てろ」と言われて、本当に五重塔を建ててしまった十兵衛(幸田露伴『五重塔』)のように、人生の転機は、ほんの小さなヒントやアイデアから生まれるのだろうし、その声に耳を傾けられるかどうかがポイントなのだ。

 自分の欲を満たしたヨナスが、なぜセーヌに帰りたくなったのかが、また興味を引く。



セーヌの釣りびとヨナス

『セーヌの釣りびとヨナス』
ライナー・チムニク 文・画
矢川澄子 訳
パロル舎 \1,700
(本体価格)

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第277号 2003年(平成15)年1月1日 掲載


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