一般書ばななを巡る異文化おしゃべりあわや のぶこ 異文化ジャーナリスト |
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本書の第一部は、著者二人による日本とイタリアの異文化おしゃべりを収録。これは、中学生でも楽しく読めるに違いない。第二部は、よしもとばななのイタリアのエッセイ。著書のイタリア語訳がきっかけとなり、イタリアへ何度も旅することになるのだが、その経緯やイタリアの町や訳者のことがつづられている。 第三部は、「キッチン」のイタリア語訳者でもあるアレッサンドロ・G・ジェレヴィーニが、ばなな作品の魅力について分析している。もとはといえば大学院時代の論文だったが、今回、一般向けに読みやすく簡潔にまとめた。題して「よしもとばななの原点を読み解くキーワード=家族・食・身体」。 処女作「キッチン」が、初めて外国語に訳されたのは一九九一年。イタリアと韓国で同時に発行されたが、特にイタリア語訳は大ベストセラーとなる。「食」がイタリアにおける宗教、信仰ともつながった共感を呼ぶテーマであると指摘するジェレヴィーニ。イタリアの視点からの分析が面白い。「身体の周りに広がる空間を通過しないと世界に出ることはできない」というイタリア人哲学者ウンベルト・ガリンベルティの言葉を引用。演繹して、ばなな作品の「台所」という場所を「身体の空間」および「精神の空間」だととらえ、それが主人公の外の世界に出ることを可能とさせると説く。 浅田彰に代表されるようなばなな批判は、外国人にとっても読みやすい日本語、すらすらと入っていく言葉の軽さに起因するが、これをジェレヴィーニは「言葉が消えてしまう、そういう瞬間でも、物語は確実に残る」と書いている。これは、ばなな自身の「内容もほとんど覚えてなくていいから、読んだ時に、あるひとつの感覚をもってほしい」という著作に対する姿勢と見事に呼応している。 ばななファンでなくても、なぜ「キッチン」が日本で社会現象になったのか。また、作品が日本という枠を超えて文化輸出されたとき、イタリアの読者にどう伝わったのか。それらを考えながら、私たちの置かれている現代を、自然に再認識することができる。 本書の魅力は何よりも、原作者と訳者が、国は異なろうとも同じような目線で互いの人や暮らしを眺め、協力し合っているそのようすである。作品をはさんで、思いや観察を話し合う。外国を語るとき、こんな材料があるのはなんとも愉快なのだ。 また、よしもとばなながこれまでに受けた取材に関して、日本では「売れた」「儲かった」のお金話に焦点が当てられて、イタリアのように作品そのものや、将来の作品についての質問がほとんどないと言っていたのが印象に残った。日本の文化状況の寒々しさに、書評者としてつい感じ入ってしまった。 |
『イタリアンばなな』 | ||
アレッサンドロ・G・ジェレヴィーニ +よしもとばなな 著 |
NHK出版 | \680 (本体価格) |