社会科学・一般書歴史書を当時の時代感覚で味わうあわやのぶこ 異文化ジャーナリスト |
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歴史の授業というと、年号のならんだ年表だけが思い浮かぶ。志低く怠惰な生徒の記憶には、それしか残っていない。だからローマ史など、およそ興味というには遠くにありすぎた。が、モンタネッリの言葉で目が覚めた。 「壮大な記念碑ばかりで充ちみちた歴史をたどるほどたいくつなことはない」 そうだ、歴史が好きになれなかったのは年表と受験勉強のせいだけではない。もったいをつけた数々の立派な歴史の本のせいでもあったと。 彼の歴史書は、スピード感のある抜群の読み物! 読者の考えさえ180度変える力を持つ。ズバリと言い、トントンと進むモンタネッリ独特の文体。そして、おもしろい人たちが続々と登場する。 |
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『ローマの歴史』の序には、こうある。 「カエサルは若い時には不良青年で、一生女道楽をやめず、禿をかくすために毎日念入りに髪に櫛を入れていた。こうしたことは、かれの将軍、政治家としての偉大さと矛盾しない。アウグストゥスはまるで機械のように全時間を帝国の組織のために割いたが、同時に腹痛やリューマチといつもたたかわねばならず、カッシウスとブルートゥスを相手どったかれの最初の戦闘を、下痢のためあやうく失うところだった。 かれらに対してなされ得る最大のあやまちは、かれらの人間的真実を、あたかもそれがかれらを矮小化でもするかのように、目をつぶって見ないふりをすることであると思う。とんでもないあやまちである。ローマがローマであるのは、その歴史上のヒーローたちが過誤や愚行をおかさなかったからではなく、かれらの過誤や愚行が、時にはかなりひどいものであったとしても、ローマの覇権をゆるがすことができなかったからである」 |
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彼はローマ時代に書かれた歴史書や記録のおもしろさに心踊らされ、その時代感覚で当時の歴史的人物たちをとらえ、描こうとした。イタリアの歴史書にして、古くて新しい試みである。 聖者も人間。いや、彼らこそ人間の偏屈さと奇矯さを備えた、もっとも人間くさい人間であると確信する彼の手によって、歴史上の人物たちはすっかり生気を取り戻した。 「ローマの歴史が偉大なのはそれが私たちとは違った人びとによって作られたからではなく、私たちと同じような人びとによって作られたからだ」 |
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『ルネサンスの歴史』以前に執筆された『ローマの歴史』がモンタネッリの最初の試みだが、その序文には彼の視点、意気込みや手応えのすべてがあり、すばらしい文章である。もっとも私は、序を最後に読んだ。何しろ、本文があまりにおもしろかったから。 |
「ローマの歴史」 | ||
I・モンタネッリ 著 藤沢道郎 訳 |
中公文庫 | \1,100 |
「ルネサンスの歴史」(上・下) | ||
I・モンタネッリ/ ジェルヴァーゾ 著 藤沢道郎 訳 |
中公文庫 | 上/\580 下/\680 |