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社会科学・一般書

NGO医療現場の固定イメージを
打ち破る書


あわやのぶこ 異文化ジャーナリスト

 『僕が医者をやめた理由』の永井明氏がルワンダに行った。

 1994年末から1995年のお正月にかけてのこのルワンダ報告は、『病む人、癒せぬ人』に(1989年のパレスチナ報告とともに)収められている。少し前の話だが興味深く、日本のNGOの医療現場の盲点を突いてくる。といっても、遠足日記風の文に、テーマに関心がない人でさえ、つい読んでしまうだろう。

 著者は歩きながらぶつぶつ、ときにおもしろおかしく、ときに辛らつ。ひねているようで相当真っ当。当たり前とされることに、いちいち突っかかる。

 考えてみれば、私たちが内戦、飢餓、難民などの状況を新聞や雑誌やテレビで見聞きする時、妙にものわかりがよくなってはいないだろうか?

 つまり、現場にいない私たちが納得しそうなあるイメージをそこに見て固定化し、わかった気になる。活躍する医者や看護婦。厳しい現実とヒューマニズム。だが、そこでの問題点を伝える報告が、案外、少ないのではないか。

 旅のしょっぱなに著者は、運ばれる途中に死んでしまった幼児を病棟テントで目の当たりにする。

 「死に方、死をもたらした病気、死の受け入れ方……すべてが違っていた。なにが『臨床現場の基本は同じ』でありましょうか。能天気もいいところである。ぼくは、自らの観察眼の不確かさをメガネのせいにして、レンズをごしごしと拭いた。そして、『先進国』娑婆っ気思考回路をご破算にするため、二度三度と頭をぶったのである」

 この旅で、日本の医者が現場で使い物にならない理由や、現場に来る時の日本人のツメの甘さについて考える。

 また、数台のトラックで死体を運搬する現場を見て、自分も担がせてもらう。が、持ち上がらない。日当7ドルで雇われている若者に笑われる。

 「よいしょ、よいしょ、よいこらしょっ、である。やっとの思いでトラックの荷台に乗せた。遺体ではなく死体。もう、ほとんど荷物扱いである。もっともらしい弔いのパフォーマンスもまったくない」

 死体の山を、今度はせっせと穴に埋める。それを見ていると、なぜかムグンガ(ザイールの町)で見たトイレの穴を思い出してしまう。トイレの穴と死体の穴に思いをはせているうちに、作業が終わり、若者たちは晴れて一服。その頃には、かつてアウシュビッツの死体の山を残酷と感じた彼は何も感じなくなっている。作業は作業。

 「この黒い土の下にも、すでに3万の死体が埋まっていると聞いても、『ひどいことだ』とも思わない。何の感慨もわいてこない」

 感じられる現実が変わってしまうのだ。


病む人,癒せぬ人 ぼくが医者をやめた理由 つづき

「病む人,癒せぬ人」
永井 明 著 朝日新聞社 \1,500
(本体価格)

「ぼくが医者をやめた理由 つづき」
永井 明 著 平凡社ライブラリー \796
(本体価格)

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第219号 1997年(平成9年)7月1日 掲載


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