社会科学・一般書人の心を見つめるあわやのぶこ 異文化ジャーナリスト |
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阪神大震災の混乱の後、あの殺伐とした風景のなかにいて、赤ん坊の誕生、産声を聞くことが希望だった、と言った人がいた。現場で取材をし続けた関西出身のジャーナリストからそう聞いた時、突然一編の詩が思い出された。 我ら戦争に敗れたあとに 一千万人の赤んぼが生れた だから海はまつ青で 空はだからまつ青だ 見たまへ血のやうな ぽつちりと赤い太陽 骨甕へ骨甕へ 骨甕へ 齢とつた二十世紀の半分は 何も彼もやり直しだと跛のこほろぎ 生命の誕生ということに対するまっすぐな希望、救い。戦争ではないが、震災という瓦解の風景のなかで希望を見いだす。三好達治の詩「我ら戦争に敗れたあとに」は、それを彷彿させる。 彼の詩は、端正で古典的といわれるが、「蟷螂」などの作品に表れる彼のまっすぐな精神は、今読むとよけいに際立って、私たちの心の在処(ありか)を呼び起こす。「日まはり」や「涙」のような優しさに満ちた詩も、今味わうにふさわしいのではないだろうか。 かたや、およそ複雑怪奇で人の見えないこの時代を、シャープに揶揄するかのような山田隆昭。ちなみに最新の詩集『うしろめた屋』は、今年のH氏賞を受賞した。 三好が詩を書いた時代からは遠く過ぎ、山田は現代の住人である。およそ懐疑的で妙に突っかかる彼のスタイルは、ブラックユーモアすれすれと評される。 店員はいつも怯えている 死んでも閉じることのない おびただしい眼球に囲まれて 威勢のよい呼び声の語尾がふるえている これは「さかな屋」という詩の冒頭である。そして、 店員はおもう 海から引きあげられて 急速に死の道をたどるさかなと 羊水から泳ぎ出て 確実に死へ向かう自分と とてもよく似ているとおもう みんなそれを知っているくせに 気付かないふりをしている 現代に悩み、突っかかる、そこから吐き出される言葉は人の形が見えなくなってしまった現代の複雑さや馬鹿らしさを妙に突いてくる、剥いでくる。 詩が評論のように広く読まれてもいいはずだ。短歌や俳句のようにポピュラーになってもいいはずだ。読書欄にどうして詩が登場しないのか。詩を楽しみながらも、ついそんなことも考えてしまう。 |
「三好達治詩集」 | ||
谷川俊太郎 編 | 彌生書房 | \1,165 (本体価格) |
「うしろめた屋」 | ||
山田隆昭 著 | 土曜美術社出版販売 | \1,845 (本体価格) |