社会科学・一般書脳みそをクレオール化する書あわやのぶこ 異文化ジャーナリスト |
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今を去ることかれこれ15、6年前。私はサンタフェの町のど真ん中にいた。アメリカの西海岸の町からアメリカの友人たちと交代でドライブをして、延々4日間かけてやっとついたニューメキシコ州の町。それは夏の暑い日のこと。ダウンタウンの広場にあるアイスクリーム屋に入ったのだが、店員は私にアイスクリームを差し出しながら不思議な顔つきをしてきいた。 「あなたチカーノ? それともインディアン? アングロじゃないわよね?」 日本人どころかアジア人やアジア系アメリカ人かとも問わない。彼女の質問に、「あぁ、ニューメキシコに来たんだなぁ」という実感が襲ったのだった。 ニューメキシコの世界には、三種類の民族がいる。アングロ(白人)、チカーノ(メキシコ人)、インディアン(アメリカ・インディアン)。だがその文化は入り交じり、境界はしばしば定かではない。そんなアメリカの領域は妙に興味をそそられる。 だが日本では、アメリカで5番目に広大なこの州の歴史や文化・伝統に関してはまとまった記述が見当たらなかった。『ニューメキシコ』は待望の書なのである。 何もニューメキシコに興味のある読者だけに限ることではない。この「第四文明的メタファーにみちたアメリカの土地」をのぞくことで、日本で数多く出版されているアメリカ論をもっと豊かにすることができるかもしれない。 簡素に説明するなら、現在のニューメキシコは最初はスペイン領時代のメキシコにおいてメスティーソ(スペイン人とインディオの混血)化したものが持ち込まれ、さらにアメリカ・インディアン文化と融合、19世紀になってアングロ文化の影響を受けて変容した一種の「クレオール」化した文化の総体ということになる。 最も新しいところでは、ウラニウムがこの最も古い土地に発見されて、ごく現代的ジレンマにも出合わなければならなかった。そこにおいては、アメリカ・インディアンが巻き込まれる。 それこそボニー&クライドから、日本との関係においては戦争時の「死の行進」まで、あらゆる歴史がこの地において交差し、重なり合っている。 知識をひけらかすような文章は好みではないが、『クレオール主義』をあわせて読み、その文化が交差する視点を読み解くのは、読者の脳みそをクレオール化する作業となろう。さらには「世界は混血へ向かう」時、日本はどうであろう。その点も考えたい。 |
「ニューメキシコ−第四世界の多元文化」 | ||
加藤 薫 著 | 新評論 | \3,200 (本体価格) |
「クレオール主義」 | ||
今福龍太 著 | 青土社 | \2,400 (本体価格) |