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障害と向き合う人々


片岡千鶴 映画評論家

 「彼は僕にアーサー王の物語を教えてくれた」

 こんなフレーズから始まる『マイ・フレンド・メモリー』の主人公は、障害を持った少年たちだ。

 その1人、マックスは人並みはずれて体が大きく“ゴジラ”というあだ名で呼ばれているが、その外見とは裏腹に心優しい少年だ。学習障害がある彼は、いつもクラスメイトたちからいじめられている。そして、もう1人の少年ケビンは、百科事典並みの頭脳を持っているが、成長が止まる難病に侵されている。全身をギプスで固め、松葉杖なしでは1歩も歩くことができない。

 そんな2人が出会ったことから、彼らの世界は大きく変わる。世間からの疎外感を味わってきた2人は共感を覚え、マックスはケビンの手足となり、ケビンはマックスに読み書きを教えることになる。

 実はこの作品、まるで1冊の本を読んでいるかのようなチャプター形式で進展してゆく。チャプター(章)ごとの題名を読み上げるのはマックスだが、映画を最後までご覧になればこの構成に大きな意味があることがおわかりいただけると思う。

 さて、次の作品『ビヨンド・サイレンス』の主人公は、クラリネット奏者を目指す女の子だ。彼女自身は障害者ではない。が、彼女の両親がろうあ者という設定である。

 幼い頃から両親と社会の橋渡しという重要な役割を果たしてきた少女ララは、ある日叔母からプレゼントされたクラリネットによって、たぐいまれなる音楽の才能を開花させる。成長するに従って、ララはおのずと音楽家への道を歩むようになるのだが、そのことによって両親との確執が生まれ始める。彼女が音楽の世界に生きるということ、それは同時に、彼女の両親にとってわが子が別世界に行ってしまうことを意味するからだ。

 “なんという理解のない親だろう”と、あなたは思うかもしれない。けれども、例えばこんな場面がある。窓辺にたたずみ降り積もる雪を眺めながら、父親がララに尋ねる。「雪はどんな音をたてて降っているのかね?」と。また、教会では、沈黙のなかで手話によって賛美歌をなぞる。彼らはそんな世界に生きているのだ。

 障害にはさまざまなものがある。形に見えるものもあれば、そうでないものもある。『マイ・フレンド・メモリー』のマックスは、学習障害の根本的原因であるトラウマと対峙せねばならず、『ビヨンド・サイレンス』のララは家族との確執を乗り越えてゆかねばならない。ここでは、そんな形なき障害と確かに向き合う人々の姿もまた描かれているのである。


マイ・フレンド・メモリー ビヨンド・サイレンス

『マイ・フレンド・メモリー』
カラー/ステレオ/101分 アスミック・エースエンターテイメント
+松竹富士
\16,000
(本体価格)

『ビヨンド・サイレンス』
カラー/ステレオ/113分 アミューズビデオ \16,000
(本体価格)

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第248号 1999年(平成11年)12月1日 掲載


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