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これからの子どもを育てる、空間について考える時、まず伝統的な建築空間の構造についてから、お話する必要があるでしょう。
日本の伝統的な住宅は、「母屋」と「庇」で構成されています。母屋とは字のごとく中心的な機能空間ですが、それにさしかけた付属的な空間が庇です。庇下の部分は内と外の中間的領域であり、この存在が日本の建築の大きな特徴です。ここは廊下や縁側などと呼ばれますが、私は「廊的空間」と呼んでいます。
この空間は、近所の人が立ち寄ったり、老人が日向ぼっこするだけでなく、子どもの遊びの場になっていたわけで、1300年ころの絵巻物にも、ここで子どもが遊んでいる描写があります。平安時代には高床は貴族の家だけでしたが、江戸時代になると、民衆も高床式の畳敷きの家に住むようになり、廊的空間も一般的になったのです。
畳はいわば柔らかいマットであり、幼い子どもがいざっても安全ですし、床座の暮らしはお膳の位置が低く、子どもが大人の会話に参加できます。また襖をはずすと大広間になり、走り回ることも可能。そして縁側はいつでも、外の自然に触れることができます。このように日本住宅は子どものための住宅ともいえます。そこには大人が意図しない子どもの遊び場が、あちこちにあったのです。
成人対象に、子ども時代に家をどのように遊び場化していたかを調査したところ、次の4つのパターンがみられました。
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運動場として(雨の日に襖を取り払って相撲をとったなど) |
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舞台として(主に縁側で、お店屋ごっこ、人形ごっこなどの遊びをした) |
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工作場として(模型飛行機や凧を作ったり、夏休みの宿題をした。板張りだから、、これも圧倒的に廊下が多い) |
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隠れ場所として(押入れ、縁の下、屋根裏など) |
このように、いってみれば家中が遊び場になっていたことがわかります。40年くらい前までは、ほとんどがこうした伝統的な住宅だったのですが、その後、ご存じのように縁側のある住宅は急激になくなり、中廊下形式で外側は窓という家が増えました。この25年間で、日本の住宅の75%が建て替わったといわれ、現在、外廊下をもった家は日本中の35%にすぎなくなりました。
宅地が狭くなり、外廊下のある家ができにくくなったことも一因ですが、この40年間ですっかり椅子の生活に住形式が転換したことも、廊的空間が失われた大きな理由といえます。そのため食堂、寝室、居間と、各部屋が固定された機能になり、居場所として子ども部屋が発生したのです。 |
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