題 名 | : Re: 友人はアイテム (?) |
投稿者 | : 野郎虫 |
日 付 | : 1997年 04月10日(木) 17:53:50 |
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「アイテムとしての友人」というのは、表現こそ新しい感じがし ますが、じつは、“昔”も現代も変わらずに、友人には自分の存在 やアイデンティティを確認するためのアイテムという機能があった んじゃありませんか。例えば、「友人を見ればその人がわかる」と いうような言い方がありますが、これなどは友人のそうした機能を 象徴する表現ではないでしょうか。つまり、友人を見てみると、自 分がどういう種類の社会と繋がっているかが見えてくるということ です。 “ベルとも”などの場合は、繋がりの手だてが新しいということ なのであって、友人の意味そのものが変化しているのではないと思 うのです。アマチュア無線の通信仲間だって、同じことのように見 えますし、もっとアナログな、ペンパルなんていうのだって結局は 同じ種類の友人関係でしょう。そうした種類の友人を持つことが手 軽に、時間や手間をかけずにできるようになったことが「アイテム としての友人」を浮き立たせているということだと思うのです。 要するに、変化しているのは手段や方法であって、友人の持つ意 味あいそのものではないということです。もちろん、例えば、友人 は“ベルとも”しかいない、という人たちが多数いるのであれば、 それは、社会的な人間関係のありようが大きく変化したということ になりますが...