市民教育と学校における民主主義の教授 |
マーゴ・ブラウン Margot Brown ナショナル・コーディネーター グローバル教育センター(Centre for Global Education) ヨーク・セントジョン大学 (York St. John College) |
はじめに(Introduction) すでにこの原稿をお読みの方はご存知かと思うが、英国は4つの異なった法域によりなっており、それぞれが各々の教育システムと試験の構造を持っている。お互いに似通ったところもありながら違いも多く、市民教育は特に違いがよく現れる分野である。そのため、この原稿ではイングランド地方の市民教育についてのみ取り扱う。 1998年に発行されたクリック・レポートは学校に市民教育を導入する際のアドバイスを行なうために政府が設立した委員会による最終レポートである。そのレポートの結果、市民教育は2002年よりイングランド地方の中高学校で義務教科となった。注目すべきことに、参加をする活発な(Active)市民がレポートの鍵となる点であるにも関わらず、それは「民主主義を通じた教授 (teaching through democracy)」よりも「学校における民主主義の[についての]教育 (teaching of democracy in schools)」に焦点を置くことを選んだ。 民主主義の概念の理解と学校内外で民主的に活動をする技能の両方を発展させる方法として、より民主的な方法で生徒と学習活動をする方法についての公的なアドバイスは比較的少ない。多くの学校における市民教育の焦点は単に市民についてのことである。一方、より民主的な方法で学校生活を運営している学校もある。そのような小中学校では、子どもの権利条約12条に添って、意思決定に子どもたちが関わっていくことはあたりまえに実践されている。それらには例えば学校の政策決定や教員の採用決定への参加、そしてまだまれではあるが学校の運営委員会に生徒が関わっていくこともある。 しかしながら同時に市民について知ることも重要であると言えよう。これには民主主義や正義、平等などの概念や、社会の中で誰がこのような概念の実践を保証し、それらに反することを法的に改善する責任を持っているのかを理解する学習を含む。参加型の教授法、つまりクラスの中における民主的な課程の経験をサポートし、1人ひとりの生徒の学習スタイルのニーズに答えていける参加型の教授法を実践することができるのは、市民教育の分野なのである。参加型の教授法は又、活発に参加できる市民になるために必要な技能の発展にも貢献をする。 |
教授法(Pedagogy) 何年もの間、生徒を引き付け、やる気を持たせるための様々な教授の試みが行なわれてきた。それらの中には社会学に刺激をうけた、1960年代の「子ども中心(Child-centred)」のアプローチから、より近年の心理学に基づいた教授と学びのスタイル理論まで様々である。参加型の教授法はこれらのイニシアティブの結果であると言える。しかしイングランドとウェールズ地方ではナショナルカリキュラムの導入以降、各教科内に教授内容を多く盛り込んだアプローチが、より融通のきく学びのアプローチの実践をより難しくした。多くの教員は自分たち自身がより講義形式で、教員中心の教授スタイルに後戻りしていると感じている。 内容中心のカリキュラムがもう一つ引き起こしたこととして、生徒がクラスの壁を越えたところで課題について考える際、様々な教科から学んだ知識を統合する手助けをすることが難しくなったことが挙げられる。このようなことは昔から1人の教員が1つのクラスに対して1年間に渡り教えていく形を取る小学校では容易であっても、そうではない中高等学校では難しかった。しかしナショナルカリキュラム導入以前には、「人文科学」のような大きな傘下に各科目の教授内容をまとめグループ化することによって、生徒たちがそれぞれ異なった教科で学んだ知識に繋がりをつけ、結び付ける手助けをする試みが行なわれていた。このアプローチは全ての学校でうまくいくものであるとは限らなかったが、異なる教科の教員を結びつけ、知識や経験、アプローチを分かち合うことを可能にした。特に大きな中高等学校においてはこのような機会は貴重である(現代外国語の教授と以上の考えを結びつけたより深い議論については、Brown&Brown,1996を参照)。 市民教育は、ナショナルカリキュラムがほとんど変えようしなかった知識の区画化に挑戦をする可能性を秘めている。特別な授業枠を持った科目として市民教育を実践する学校においては、その授業担当になる教員はあらゆる教科から動員されるだろう。市民教育を現存の科目内に統合して実践する学校では、それぞれの学習の連続性と生徒の進展を保証するための授業計画が、様々な知識を持ちそれぞれの教授法を持つ教員を結び付けるだろう。特別な日を設けて市民教育を実践する学校では、市民教育に割り当てられた日はそれぞれの科目の専門性を持った教員たちによって構成され実践をされるだろう。 もし市民教育が地域、国、そしてグローバルなレベルにおいてより知識があり活発で責任感のある市民へと生徒を導くものであるのなら、彼らが取り組む課題には様々な科目からの知識や技能が要求されるだろう。例えば地域の環境問題については、どのように地域や国の政治が機能するかという知識に加えて、地理、科学、歴史そして宗教教育から集められた知識や技能が必要になる。それにはまた英語のクラスで学んだ議論をしたり、自分たちの関心事を様々な観衆に対して適切に表明する技能が必要になるかもしれない。批判的な分析と問題解決の技能も共に必要である。生徒たちにはこれらの技能を使い、自分たちの知識を総合的に使う練習をする機会が必要であろう。このような実践は協力的で相互に作用しあう方法での仕事の経験があまりない、またはほとんどない教員世代にとっては課題となるだろう。 |
なぜ相互作用する(Interactive)クラスなのか? 活動的な学習法は、活発な市民に必要な技能と価値の発展の機会を与える。それらの学習は、若者が地域、国そしてグローバルなコミュニティーのために責任のある行動をとることができるための学びをサポートする。「グローバルに考え、ローカルに活動する」は先の世代の活発な市民にもそうであったように、今日の市民教育にも鍵となる格言となるだろう。これらの技能は教員の気遣いと養育の気持ち、そしてそれらを支援的な環境の中で練習する機会なしで発展することはない。クラスの中の活動的な教育学は、そのような技能の発展に貢献をすることができる。 例えば教員は、優先順位をつける課程を体験し、交渉する技能を使うこと、また、共同の意見を出し、コミュニケーションをとる手助けをするために、ダイアモンドランキング(注1)のようなテクニックを使うこともできる。写真やイラストを創造的に使うことは、視覚に訴えるものから学ぶことが得意な子どもたちの学びのニーズに答えながら、視覚的なリテラシーの発展に貢献をする。若者がどのように自分たちの世界観が視覚に訴える像によって影響を受けているかについて知ろうとする際に、固定観念を打ち破って考えていく技能は必要である。シュミレーション活動や体感して遊ぶアプローチは時間がかかるものであるが、より深い理解にたどり着くことができる。これらのアクティビティーの全ては社会に参加できる市民となる技能の発展の機会を与える。 市民教育はそれゆえに学科を越えた協力のみならず、活動的な学びの教授法にも焦点が置かれることが望まれる。 (注1) ある事柄について9つの紙に書き、それを個人またはグループで話し合いながら賛成できるもの、または大事だと思うものなどの順に順位をつけていく活動。 (参考文献) Brown, K. and Brown, M. (1996) New Contexts for modern language learning: cross-curricular approaches, London, CILT Brown, K. and Brown, M. (eds) (in press) Reflections on Citizenship in a multilingual world, London, CILT Brown, M. (1997) Education, education…. and development education in DEA Journal Vol.4.1 Revisiting Theory and Pedagogy Education for citizenship and the teaching of democracy in schools: final report of the Advisory Group on Citizenship, 22 September 1998, DfEE and QCA |
(日本語訳:山下博美) |