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小林登文庫
2001.12.27

年頭にあたり「生命感動学」を体系づけよう

 「サイバー子ども学研究所」"Child Research Net"は、設立5年を過ぎ21世紀2年目の新しい年を迎える。そんな折、この9月のニューヨークのテロ事件に始まるアフガニスタン問題の流れをみると、「人間とは何か」をつくづく考えさせられる。しかし、当面の問題の解決を考えれば考える程、「21世紀こそ子どもの世紀に」しなければならないことは明らかである。
 1900年スウェーデンのEllen Keyは「児童の世紀」を出版し、「20世紀を子どもの世紀に」と呼びかけた。しかし残念なことに、前半に2つの大戦、そして後半発展途上国では、内戦が続き、子ども達は飢えや感染病に苦しんでいる。ある意味で発展途上国の問題が、アフガニスタンに火をつけた結果になった。先進国は、一応平和が保たれ、豊かな社会が築かれたものの、子ども達に新しい心の問題が多発するばかりでなく、自然破壊・公害・温暖化と、科学・技術そのものを利用する心のあり方も問われている。20世紀は、子ども達の心と体の健康が、世界のあちこちで、夫々のあり方で損なわれたのである。
 したがって、「21世紀こそ子どもの世紀に」するためには今われわれは子ども達の心と体を健康にするためにはどのようにしたらよいか、が問われているのである。
 "Child Research Net"は、まず子ども達の「遊び」と「学び」を新しい立場から捉え、その場をどのようにデザインするかを考えるために"Playful"「遊ぶ喜び一杯」というコンセプトを提案し研究して来た。その基盤となる学問体系として、子どもの生命感動学を新ためて考えたい。
 子どもは、小さい時、「遊ぶ喜び一杯」「学ぶ喜び一杯」になることによって、「生きる喜び一杯」、「ドキ・ドキ、ワク・ワク」、"Playful"になって生命に感動する機会を持たないと、心の発達が障害され、思春期に入って非行を犯したり、更には犯罪者になることが多いという。
 したがって、生命に感動する心の仕組みを明らかにし、どうしたら子ども達にそのような機会を与えることが出来るか、その方法も明らかにする学問体系が必要であり、それを、「生命感動学」と呼びたい。英語では"bioemotinemics"である。「情動」・「感動」"emotion"は、ラテン語で"emotinem"であるからである。
 当然のことであるが、「感動」は人間が生きていくためのエネルギーであって、生涯にわたって必要なものである。しかし、年齢ばかりでなく、大人になれば、性別・職業・趣味・宗教などによっても異なってくる。少なくとも、「子ども生命感動学」は、区別して体系づける必要があろう。
 「感動」は、"excitement"で「情動」と同じように"emotion"とも英語で言うが、「感動する」という英語"be touched, moved by"で、「心にふれられる」「心が動かされる」の意味で、「動」という字のつくことがよく理解されよう。「感動」という言葉は、国語辞典によれば、「深く感じて心を動かすこと」と書かれていることからも明らかである。
 一方、心理学でいう「情動」"emotion"は、「急激に生起し、短時間に終わる比較的強力な感情(心の情感的あるいは情緒的な面)」、である。心理学では、情動には基本的なものがあり、「恐怖」「怒り」「喜び」「愛」「驚き」「反感」「憎しみ」、さらには「受容」「嫌悪」「悲しみ」「期待」などが上げられている。「情動」と「感動」を区別するとすると、「感動」は情動の中で、体にとって良いもの、個人ばかりでなく社会にとっても意義のあるもの、価値のあるものとなろう。すなわち、「喜び」「愛」で代表される情動である。すなわち、"positive emotions"と呼ぶべきものである。
 「情動」にはいくつかの構成要素がある。第1は、主観的に経験できる感情である。
 第2は、生体反応、特に自律神経系の興奮状態を伴うこと、すなわち心拍亢進、発汗、血圧上昇などがみられるのである。
 第3は、大人では情動は思想や信仰(それに準ずる心)との、子どもではしばしば遊びとの連合体である。それは、情動と共に現れ、自動的に心に反映するものである。例えば、「喜び」を体験すると、その喜びの理由は何かを考える。「ちゃんと勉強したから、大学に合格したのだ」のように。
 第4は、情動は顔の表情に現れる。特に、口や目の動きが重要である。
 第5は、全体的な雰囲気とか感じが伴うものである。喜びや愛の情動を体験すれば、その人は明るい感じになり、悲しくなれば暗くなる。
 第6は、情動に関係して、行動に一定の傾向が現れる。「怒り」は人を攻撃的にするのは、その代表である。
 今なぜ「生命感動学」が求められるか、考える必要がある。現在の社会では、余りにも生命に感動する機会がなくなっているのである。それは、われわれ大人にとっても、子どもにとってもである。何故に、その機会が少なくなったのであろうか。そのひとつは、余りにも情報が多すぎるのが原因と思うのである。
 人間の脳の中にある、進化の過程で作られた心と体のプログラム、特に心のプログラムは、情報の洪水の中で空回りしているのである。子どもの場合には、そのため生まれながらにして持つ、基本的な心のプログラムの組織化さえも障害されるのである。そんな中で、何とか心と体のプログラムをフル回転させるにはどうしたらよいか、どんな方法があるか、それを子ども達のために考える必要があるからこそ、生命感動のあり方が求められているのである。われわれの未来を考えると、今まさに「子ども生命感動学」"Child Emotinemics"の体系づけが求められている。



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