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小林登文庫


「子ども学」事始め
掲載:1997/04/04

インフォメーション・シーカー
 −誕生後すぐに情報求める赤ちゃん 〜 大切な教育へのメディア活用−

 赤ちゃんは生まれた途端、「オギャー」と産声を高らかに上げる。親、特に母親はそれを聞いて、わが子誕生で胸が一杯になるであろう。赤ちゃんをとりあげた医療チームは、まずは無事の出産で、胸をなでおろすに違いない。

 産声は、お産の嵐に驚き、また母子分離による不安で泣くのであるが、呼吸のプログラムにスイッチを入れる生存に必須の役割も、当然の事ながら果たしている。なかなか泣き止まない時には、助産婦さんがだっこしたり、母親に抱かせれば、安心して泣き止むものである。

 それに続いて赤ちゃんは何をするのであろうか。抱いている母親の顔をみたり、周囲を見まわしたりするのである。赤ちゃんは、情報を求める存在(information seeker)として生まれてくると言える。その上、赤ちゃんの視力は、二、三十センチの距離ならば、充分にパターン認識出来るのである。

 生後間もない赤ちゃんに、赤・白・黄の丸、丸く切った新聞紙、同心円の丸、人間の顔をかいた丸、全く同じ大きさの丸い図形を見せると、赤・白・黄の丸よりも、新聞紙、同心円の丸と注視時間が長くなる。三十年以上も前の報告である。すなわち、情報量が増えるにつれて、時間がのびるのである。正にインフォメーション・シーカーである。

 前にも申し上げたが、アフリカ中部に現れた、われわれの遠い祖先は、北に南に、そして東に西にと、何百年もかけ移動して、全世界に広がったのである。それとても、情報を求めてのことと考えられる。事実は楽園を求めての事であったかも知れないが。

 その長い人間の歴史の中で、コミュニケーションするために、まず声を出して会話する能力を発達させる事になる。ネアンデルタール人には声帯がある事が証明されているので、数十万年前には、表情などの生物学的コミュニケーションの手段を発達させ、それに加えて音声によるそれが始まったと言える。

 そしてクロマニオンの時代に入ると、洞窟に絵画を画ようになる。数万年前の事で、フランスやスペインにそれが残されている。ネアンデルタール人にとって代わったクロマニオンは、集団で狩猟し始め、葬儀のようなものもはじまり、生活情報の量が二桁も三桁も増加し、それを記録するためのいとなみだったのではないかと考えられているのである。

 やがて、数千年前になると、文字を発明し、粘土板そして羊皮紙、紙にと書いて情報を伝え始め、木版・活版の技術を開発し、十五世紀には、聖書を印刷する印刷機をグーテンベルグが作ることになる。これにより、印刷技術が急速に発達し、新聞・雑誌、それに写真術の発明により、情報は大量に伝える事ができるようになったのである。

 前世紀に入ると、電信・電話が開発され、テレ・コミュニケーションの時代に入り、テレビの発明につながる。今世紀中頃になって、コンピュータがつくられるや、インタラクティブ・コミュニケーションの時代に入り、インターネットの利用が始まり、マルチメディアの時代があっという間に始まったのである。

 これは、人間そのものがインフォメーション・シーカーである事を示し、子ども達のそれも、人類が進化の歴史の中で獲得した遺伝子情報にもとづくものと考えざると得ない。

 子ども達のゲームに夢中になる姿、赤ちゃんが歩き始める頃には、テレビのスイッチの入れ方を自ら学び、好きな番組をちゃんと選べる様になることからも、それは明らかである。

 したがって、子ども達のインフォメーション・シーカーとしての能力を、教育に手際良く利用する必要があるというのは当然の理、私の関係した臨時教育審議会でも、石井威望教授を中心に論じられた事でもある。そういった立場から、最近、文部省等の百校プロジェクトを始め、メディア機器の教育への応用が進められていることは喜ばしい。

 子ども達の目が輝き、学ぶ喜び一杯の学校生活が、「いじめ」や「不登校」の多い学校でも、可能になる様ハード、ソフトの両面から今、工夫しなければならない時にある。

全私学新聞 3月3日号 掲載
 




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