生きる力はプログラム −産ぶ声と同時に呼吸システム開始 〜 遺伝子情報のみで作動− 胎児や新生児の生きるすがたをみると、赤ちゃんの生きる力は生得的なものであることは明らかである。これを最近はやりの、コンピュータに対比すると、まさに赤ちゃんはプログラムされていると言えよう。勿論、赤ちゃんは、いずれ大人になるのであるから、大人もプログラムされていることになる。そもそも、神様がおつくりになった人間を、人間のつくった機械のひとつにしか過ぎないコンピュータに対比するのは、大変僭越でおこがましいことかも知れない。しかし、この考え方はシステムとか情報とかの新しい学問の流れであって、理科系の人にも文科系の人にも、理解されやすいと思う。したがって、子ども学にとっては、重要な考え方であることには間違いないので、ここに述べることにする。 生命を捉える立場には、非物質的な特別な力の作用を考える生気論と、物質あるいは細胞を組み合わせた機械のようなものだとする機械論とがあるが、これから申し上げるのは、新しい機械論とでもあるといえる。 プログラムとは、システムを働かせるもので、システムとは、ある目的のために、いろいろなものを組み合わせたものである。多くの場合、システムはサブ・システムを組み合わせ、それはさらにサブ・サブ・システムを組み合わせて作られるので、最終的に基本的なもの(因子)を組み合わせたものになる。 人間の体は、心臓とか血管からなる循環系、肺・気管支、あるいは呼吸筋などからなる呼吸器系などと、いろいろな臓器系からなっている、生きることを目的とするシステムで、究極は細胞で作られているシステムといえる。 人間という生きることを目的とするシステムが、たった一個の受精卵から出来て、胎児・新生児時・乳児・幼児・学童・青年、そして成人へと育ち、社会生活をいとなみ,文化・文明を創造するすがたをみると、単なるシステムではなくて、スーパーシステムといえる。すなわち、精神・心理機能に関係する心のプログラムもが素晴らしく発達しているからである。 まず体のプログラムから考えてみよう。生まれたばかりの赤ちゃんは、産ぶ声高らかに泣き声を上げると同時に、呼吸が始まる。すなわち、呼吸システムを働かせる呼吸のプログラムにスイッチがいるからである。 呼吸システムは、鼻腔・咽頭から始まって、気管支、肺胞などの肺組織、胸郭を構成する肋骨、そして肋間筋・胸筋、横隔膜などの呼吸筋群、呼吸中枢とその神経などの複雑なシステムである。これを、リズムをもって働かせ、空気を吸ったり吐いたりさせるのが、呼吸のプログラムなのである。そして、産ぶ声とともにひとたびプログラムにスイッチが入れば、それは夜昼もなく作動し、死に至るまで続くのである。 重要なことは、胎児であっても,呼吸システムが出来上がれば、呼吸運動のように胸郭を動かし、羊水を気道の中に出し入れしているのである。妊娠の後期には、胎児がそのような胸郭運動しているのを超音波画像法でみることが出来る。あたかも、予行演習をしているかのようである。 次に循環のプログラムについて考えてみたい。循環システムは、心臓とそれがら出ている大動脈から始まる動脈系、毛細血管、そして静脈、大静脈と心臓にもどる静脈系、心臓から酸素をとり込む肺、肺から心臓への動静系、さらには大動脈から老廃物を処理する腎、腎から大静脈など、全身くまなく張りめぐらされている血管系からなっている。 妊娠数週になれば、心臓は、その構造が未完成であっても、拍動を始め、胎児の体に必要な栄養とか酸素を胎盤からとり、老廃物を胎盤に返し、母体との転送を行っているのである。すなわち、循環のプログラムに、おそらく体の中の何かがスイッチを入れるのであろう。そして、このプログラムも、呼吸のプログラムと同じように、死に至るまで作動しつづけるのである。 わずか二つのシステムしか、ここに述べていないが、体のプログラムというものの意味がご理解されたものと思う。胎児・新生児は、殆ど環境の影響、勿論教育・訓練などは全くうけることがなくても、遺伝子の情報のみで、この生きる力をもつことが出来るのである。まさに、赤ちゃんは、子どもは、そして大人もプログラムされているといえるのである。 全私学新聞 3月13日号 掲載 |