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小林登文庫


「子ども学」事始め
掲載:1997/07/04

生活環境から情報
 −子どもはプログラムされていても 決してロボットではない−

 前2回では、子どもは遺伝子で決まる心と体のプログラムをもって生まれてくることを申し上げた。今回は、子どもはプログラムされて生まれても、決してロボットではないことを述べることにする。生まれてからの生活環境からの情報を取り込み、利用してプログラムを変えることが出来るのである。それをするのが高度の精神・心理機能のプログラムであり、それにより、人間は、文化・文明を創り上げることが出来たと言える。

 前回、心のプログラムの代表として、記憶のプログラムについてふれたが、それは自らが受け取った情報を蓄積する役を果たしている。その情報を取り出して、問題解決に利用するのが思考のプログラムと言えよう。外からの刺激、あるいは脳の他のプログラムからの内的刺激によって、このプログラムにスイッチが入り、神経細胞のネットワーク・システムを情報が走っているうちに「演繹」・「帰納」に準ずる処理が行われ、問題解決に至るのかもしれない。模倣のプログラムも存在することは注目したい。それは、赤ちゃんでも、ものまねするからである。生まれて1、2週の間の赤ちゃんを、前に抱き上げ、顔をむき合わせて、ささやく様に優しく語りかけ、なんとなく心が通じ合ったのを感じたら、舌を大きくゆっくり出してみる。すると赤ちゃんは、あなたの顔をじっと見つめながら、口をもぐもぐと動かして、舌の先をのぞかせる行動をとる。新生児の模倣行動である。これは、大きくなった子どもで見られる模倣行動とは、本質的に異なるという考え方もあろう。しかし、赤ちゃんの脳の中には、外の情報を取り込んで、それをコピーした行動をさせる、神経細胞のネットワーク・システムと、それを機能させるプログラムが存在することはすでに示されている。

 このような思考・記憶・模倣などの、外の情報を取り込んで、他のプログラムを変えるプログラムの意義は、言語発達をみても明らかであり、テレビに対する乳幼児の行動発達をみても明らかである。言語発達は、コミュニケーションとの関係で重要であり、次回にゆずるが、テレビに対する乳幼児行動発達は、前にもふれたが、インフォーメーション・シーカーとして興味深いのでここに書くことにする。生まれたばかりの赤ちゃんは、テレビに無関心のように見える。しかし、1ヶ月もたてば、テレビの音の方、テレビのチラチラする方を見るようになる。やがて、お座り出来るようになれば、じっとテレビの画面を見つめるようになり、やがてハイハイして、近づくようになる。生後一年ほどで、立ち歩き始めると、テレビの裏を見たり、嬉しくてなめたりする。そして、親・兄弟のまねをして、スイッチの入れ方を憶え、好きな番組をさがして見るようになる。二年に近くなれば、テレビの中の人の動きをまねしたり、音楽に合わせて、体を動かしたりするようになる。正に、インフォーメーション・シーカーとして、テレビの利用の仕方を自然にまねし、学んで、憶えて自分のものにしてしまうのである。

 もう一つの例を上げよう。生まれたばかりの赤ちゃんの足を固い板に当てると、反射的に足を動かす。ステピング反射・原始歩行と呼ばれ、その動きは歩行運動と同じで、歩行のプログラムと言える。健康な赤ちゃんだと、二次元の空間認知も、体重を支えることが出来ないので、このプログラムはオフになる。生後1年もたつと、それが出来るので、歩行のプログラムにスイッチが入って歩けるようになる。教える必要はほとんどないのである。子どもが、幼稚園や保育園に入って、スキップしたりダンスしたりするのは、模倣・学習などのプログラムによって必要な情報を付加するからである。この脳の中にある神経細胞のネットワーク・システムも、それを働かせる心のプログラムも、遺伝子情報で形成されるので、個人差のあることは、重要である。教育現場の先生ならば、いつも御覧になっていることである。

 このプログラムに個人差のあること、プログラムを良くしたり改変したりするプログラムをもっているからこそ、人間なのである。

全私学新聞 97年4月13日号 掲載




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