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小林登文庫


「子ども学」事始め
掲載:1997/08/15

優しさの効力
 −優しさが感染にも抵抗力〜「幼児虐待」は子どもに異常生む−

 前回は、子どもの体が成長するには、栄養ばかりでなく、心のプログラムを円滑に作動させ、「生きる喜び一杯」にさせることも必要であると、ウイドウソン博士の、孤児の体重に関する研究をお示ししてお話ししました。今回は、子どもの体重ばかりでなく、心と体のいろいろな側面にも関係することをお話ししたいと思います。小児医療の現場では、子どもの身長が低いという理由で、医療を求めることが少なくありません。生まれつきの場合が多いのですが、中には成長ホルモンの分泌不全などの特殊な低身長の場合もあり、専門の小児科医の診療が必要となって来ます。

 そんな低身長の子ども達の中に、稀ですが、母親がわが子を可愛いと思えない、したがって可愛がらないのが原因の場合があります。重症の場合は、打擲したりするようになり、昨今新聞紙上で目にする「幼児虐待」となるのです。

 こういう子ども達には、必ずと言ってよいほど行動異常が見られます。低身長よりは、むしろ行動そのものの異常で診療を受けることが少なくないのです。

 無表情で自発性がない。多食でガツガツと食物をかまずにのみ込み、食べ過ぎて嘔吐、下痢、あるいは反芻する。眼球運動の異常、頭をふる、壁に頭を反復してぶつける。ひとりあそび、仲間遊びが出来ない。知能発達・言語発達が遅れる、など多彩な症状を示します。

 こういった症状は、心と体のプログラムの失調で説明することが出来ます。無表情、自発性の喪失、知能や言語の発達の遅れなどは心のプログラムで、嘔吐、下痢、摂食行動の異常などは体のプログラムの異常で、というように。このような子ども達は、病院や施設に入ったりして、優しく可愛がってくれる人が現れると、短期間のうちに、行動の異常も体の異常も消失し、成長の遅れも、発達の遅れも取り戻します。心と体のプログラムが円滑に作動し始めるからです。

 このような子ども達を、従来は低身長を中心に考えて「母性剥奪低身長症」、あるいは、いろいろと多彩な症状がみられるので「母性剥奪症候群」とよんで、母親に責任ありとしていました。しかし、多くの場合、家庭崩壊があったりして、父親にも責任があるので、「情緒剥奪症候群」とよぶようになりました。本症候群の原因は優しさの欠如にあり、それは、症状が優しさによって、急速に消失することからも明らかです。

 もうひとつのお話をしたいと思います。もう十年近くも前ですが、私が理事として関係していた国際小児科学会が、フランス革命二百年を記念して、パリで開かれた折のこと、その特別講演で、チリの小児科医、モンケベルグ教授が、栄養失調の子ども達の治療における、優しさの意義について発表しました。子ども達の治療に、医療面での治療法の外に、優しく世話をするお母さん役のボランティアをつけたのです。そうすると、栄養失調の回復はめざましく、ボランティアのいない子ども達の三、四倍の体重増加を示したのです。これはウイドウソン博士の孤児の話に対比することが出来ますが、もっと驚いたことは、死亡がみられなかったことです。

 栄養失調は、感染に対する体の防禦力、免疫力を低下させるので、下痢や肺炎を反復し、それがしばしば死因となるのです。はしかや水ぼうそうのような、子どもなら誰でもかかる病気でさえ重症化して、亡くなるのです。ところが、ボランティアのついた子ども達は、ひとりも死亡しなかったと、報告されたのです。

 これは優しさというものが、感染に対する抵抗力、専門的に申しますと、免疫力を分子のレベル、細胞のレベルで高めることを示しています。このように心のプログラムの中には核となるものがあって、優しさによって、核となっている心のプログラムが円滑に作動すると、体のプログラムは勿論のこと、他の心のプログラムも働かせ、生きる喜び一杯(joie de vivre )にさせ、子どもの育つプログラムも回転し、すくすく育つのです。逆に、その核となるプログラムが作動しないと、心と体にいろいろな異常が現れるのです。

 その核となる心のプログラムとは、何んなのでしょうか。これから考えてみたいと思います。

全私学新聞 平成9年5月23日号 掲載分に加筆、修正した




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