臨床教育学と教育学的小児科学
あまり聞いたことのなかった「臨床教育学」という言葉を最近耳にすることが多くなった。実は筆者も、この二年間、神戸の女子大学で、このテーマで講義をしている。
「臨床」という言葉は医学用語で、本来は「病床にむかうこと」、さらには「患者さんに直接関係すること」を意味する。英語では”Clinic”といい、本来「病気でベッドにいる人」の意味であったが、「病をいやす内科や外科の技術」に関係することをさすようになってきた。
この「臨床」という言葉を教育学の方でも用いるようになったのは、「いじめ」「不登校」などの子どもの問題行動が教育現場で多発するようになったからであると思う。好むと好まざるにかかわらず、学校の先生方もこの問題に対決せざるを得なくなっているのである。
臨床教育学の講座をはじめて設置したの京都大学教育学部で、1987年のことであった。初代の教授は、河合隼雄先生である。機会があってお話をうかがったことがあるが、ドイツにそのモデルがあるそうである。
小児科学は教育学と関係が深い。それは、病気の子どもたちばかりでなく、健康な子どもたちも、その心と体を健康に育てることに、小児科医として対応しているからである。その学問的基盤は育児学であり、実践は育児相談での母親を中心とする親への指導である。もちろん、集団や施設での育児、すなわち保育も現在大きなテーマになっている。
さらに、小児科外来での診療の場でも、いろいろな体の病気の子どもたちの中にまじって、学校の先生方が対応していらっしゃる子どもたちも診ている。いわゆる保健室登校する子どもたちの相当数は、その始めに小児科の外来で小児科医の診察をうけているのである。
小児病院や大学病院小児科のように専門性の強いところでは、「頭が痛い」といって小児神経科、「おなかが痛い」といって小児消化器科などを、難病の子どもたちと一緒に、体の健康には問題ないのに学校に関係した問題が原因で体の症状をもつ子どもたちが受診し、診断がつくまでみてもらっているのである。場合によっては、視力障害を訴えて小児眼科に、難聴を訴えて耳鼻科に来ることさえある。もちろん、診断さえつけば、殆どは小児科の心理相談室や小児精神科で治療をうけることになる。
小児科医からみると、子どもたちの学校現場の悩み、苦しみが、多様な身体症状で現れることに驚く。心と体のプログラムはインタラクションしているので当然ではあるが。しかし、体の症状は本来体の病気によっておこることが多いので、この点の見極めは、極めて重要である。難病を見落としたりすると大変なことになる。
1960年代のはじめ、まだ大学の助手であったころ、九大の遠城寺教授(後に九大学長)から、教育学的小児科学というお話をうかがった。先生が、昭和の二ケタの初め、1930年代後半に若くしてドイツに留学されたころの思い出を、実例もまじえて話されたのである。小児科学とは小児がん・先天性代謝異常などの小児難病こそ、小児科学の中心と考えていた当時の私は大変驚くとともにいろいろと考えさせられた。遠城寺先生がご存命であれば、子どもの教育問題の多発する現在、どのように発言されただろうか、考えさせられる今日この頃である。
大学で定年を迎えられた小児科医ばかりでなくいろいろな立場の小児科医が、第二の人生の仕事として、大学とくに女子大で、小児保健学、育児学、教育学、栄養学などを教える仕事につくことが多くなっている。
このような小児科医は、毎年春に開かれる日本小児科学会の学術集会の折には、一堂に会して情報交換をし、子女の教育を通して子どもたちにとってよりよい家庭や社会をつくり上げる方法を模索しているのである。現在の少産少死や子どもたちの問題をみると小児科医はじっとしていられないからである。しかし、授業中の私語に対してどうしたらよいか、全く関係ない問題も話し合っている。
確かに現在の子どもたちの問題をみると、あまりにも深刻である。「いじめ」「不登校」ならまだしも、「援助交際」そして「殺人」まで従来にない問題が大きく出ている。そして、考えてみると、いろいろな大人の問題が若年化していることもあるのである。筆者が講師・助教授の時代に、あの大学紛争を体験した。学生の罵声をあび混乱して授業もできないことがあった。今、小学校で「切れた」子どもが騒ぎ、混乱して授業が出来ないという話と同じとはいわないが、何かあい通じるものがあるように思う。
現在の子ども達の問題は、教育学専門の先生だけでは解決できないし、もちろん、小児科医だけでは何ともならない。むしろ、両者が積極的に話し合うとともにひろく心理学や社会学など子どもに関心ある人々と共にチームを組んで勉強する必要があるのではなかろうか。すなわち、「子ども学」である。この場合、臨床教育学と教育学的小児科学は、理念のひとつの柱になるであろう。
その実例として、子どもたちの教育現在の問題を、次回から小児科医として考えていることを述べることにする。
全私学新聞 平成10年4月23日号掲載分に加筆、修正した |
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