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小林登文庫


「子ども学」事始め
掲載:1998/08/07

チャイルド・エコロジーとは

 この二回ほど、臨床教育学の立場から、「いじめ」「不登校/登校拒否」など、教育現場でおこる問題行動を考えてきた。従来からみると想像できないほど、事態は深刻にみえる。何とか対策を考えなければならない。

 何故に子どもたちは、あのような行動をおこすようになったのか、そのメカニズムを明らかにしなければ、当然のことながらその対策はたてられない。それを解決する方法を考える基盤として、前にもちょっとふれたがチャイルド・エコロジーがあると思う。ここでは、それについて書くことにする。

 チャイルド・エコロジー(child ecology)は「小児生態学」と訳されるが、多くの方には耳慣れない言葉であろう。わが国では、計画に関係した国立小児病院の研究センターの設立にあたって,この名を付した「小児生態研究部」がつくられ、「子どもとテレビ・メディア」「子どもの虐待」などの問題をチャイルド・エコロジーの立場から研究している。アメリカでは、二、三の大学の教育関係の講座にみられる。

 生態学自体、前世紀後半、生物学に現れた新しい分野である。その後、社会科学系の中にも取り入れられたりして、現在その定義は多少混乱している。私は、生物の生存を生活環境との関連でとらえ学問とする立場をとっている。そして、人間を対象とする人間生態学(human ecology)の中に小児生態学をおく。

 「子どもは生物学的存在として生まれ、社会的存在として育つ」とルソーの時代から言われているが、二つの存在を結び付けるキー・コンセプトが小児生態学なのである。

 「生物学的存在」とは、前にもふれたが、「子どもはプログラムされている」という考えに通ずる。人類進化の長い歴史の中で獲得した遺伝情報をもとに、細胞を組み合わせて組織をつくり、組織を組み合わせて臓器をつくり、臓器を組み合わせて生体システムとしての身体をつくり、それぞれの臓器の生体機能を働かせるプログラムをもって、子どもは生まれるのである。そして、子どもをとりまく生態システムとしての生活環境、すなわち家庭・学校・地域の中にある生態因子が、子どもたちの心と体のプログラムと相互作用して、子どもは生活し育つと考えるのである。

 もちろん、人間はプログラムを良くする高度の精神・心理機能のプログラムも持っている点がロボットやコンピュータと異なり、重要である。従って子どもにとって、当然のことながら、教育や育児の意義は大きい。

 子どもの生活と関係する生態因子にはいろいろなものがある。まず、自然因子が挙げられよう。ネパールの子どもたちにとって高地はその代表である。ネパールの子どもたちの平均身長は低いが、高地なるが故の低酸素状態が関係すると考えられている。自然因子は、本来変えられないものであったが、科学技術は良い意味でも、悪い意味でも、それを変えてきている。都市は、その代表と言えよう。

 第二は、物理・化学因子である。大気や水の汚染、さらにはダイオキシンによる土壌汚染まで広がり、子どもたちの健康を侵している。さらには、大気汚染による小児ぜんそくは身近な代表である。

 第三に生物因子が挙げられる。病原微生物がその代表で、O(オー)157の食中毒問題をみれば理解される。勿論、地域社会と森林など植物相との関係も、生物因子として大きい。

 第四は社会文化因子で、宗教・哲学から始まって、ジャーナリズム、メディア、ファッション、さらには行政のあり方までふくめられよう。人間生態学、小児生態学では、これを生態因子として位置づけることは重要である。それは、ヒトは文化をもつサル(霊長類)であるからであり、現在の子どもたちの問題行動も、それとの関連で考えるべきものと思うのである。

 この場合、社会文化も生物学の立場からとらえる必要がある。社会生物学では、この地球上に生活している動物を、社会文化の発達の程度で三つに分けている。真の文化をもっているのは人間だけで、サルに代表されるように、程度の差こそあれ文化の芽生え(原文化)をもっている動物もいくつかはある。しかし、ほとんどの動物は無文化の状態である。

 これは、人間には「まねる」「学ぶ」「教える」「考えていることを記号化・実体化する」などの能力があるからと考えるのである。原文化をもつ動物には、「まねる」「学ぶ」などの能力は多少発達しているが、「考えていることを実体化する」ことはできないのである。この立場で、瀬戸内海のある島のサルが、芋を海水で洗って食べ始めたのは、原文化、すなわち文化の芽生えと考えるのである。

 こう申し上げると、私の小児生態学という考えをご理解いただけたのではないかと思う。生物学的存在として子どもは、今も昔も数十年のオーダーでは勿論のこと、数百年のオーダーでも、ほとんど変らないのである。子どもたちを変えている、すなわち従来見られなかった行動をするようになったのは、家庭・学校・社会の在り方、すなわち社会文化が変ったからと、私は考えている。したがって、チャイルド・エコロジーの立場からの研究は重要であると思うのです。


全私学新聞 平成10年6月23日号掲載分に加筆、修正した




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