ムカつきキレる子どもたち
「透明な存在」と言う言葉が、神戸の小学生殺害事件のあと出たが、それにつづいた栃木の女性教師刺殺事件のあとでは、「ムカつく、キレる」が出た。とかく、今の子どもたちの心は理解するのが難しい。今回は、「ムカつく、キレる」心を考えてみたい。 「子どもがキレる」とは、自分の意図しないことが起こったり、立場が悪くなったりすると、感情が抑えられず、突然、関係した人ばかりでなく、近くにいる関係のない人までを殴る、ける、さらにはそばの物を壊すなどの暴力を行なうこどである。しばしば学校で起こるが、一度それが起こると、他の子どもたちも動き回ったりして、授業がやっていけなくなることがあるという。学級崩壊である。
そんな問題行動を学校で起こす子どもたちは、家庭では優しい、思いやりのある良い子が多いという。しかし、学校でやった事を、しばしば憶(おぼ)えていないようである。 「ムカついている」状態とは、「キレる」前の状態と考えられる。そういう子どもたちは、不利になると寡黙になって話さなくなり、盗みを繰り返す、死の儀式を平然とやる、絵に赤や紫の色を好んで用いたり、ドクロを描くなどの行動がみられるという報告もある。何か「透明な存在」とあい通ずるのではなかろうか。しかし、考えてみれば、追いつめられた子どもたちの心がSOSの信号を送っているようにも思える。
「ムカつきキレる」のは、どうやら思春期が始まっている子どもたちのようなので、そのライフ・ステージの医学・生物学的特性も発症メカニズムに関与しているかも知れない。すなわち、性ホルモンの分泌、成長の加速現象などで、心のプログラムが千々に乱れているのかもしれない。
心理学者は、「キレる」とは欲求不満状態(フラストレーションを転換するために、攻撃行動(アグレション)をとる状態であるとしている。家庭での親・兄弟・姉妹との人間関係、さらには授業についていけない、塾通い、成績偏重などの学校の教育環境からのプレッシャーもあろう。換言すれば、前回のべたように、学校が生きる喜びいっぱい、学ぶ喜びいっぱいの場を提供しないのである。その上、情報化社会で、子どもたちは、必要以上の情報にアクセスできるため、逆に欲求不満が亢進(こうしん)するのではなかろうか。
精神医学者は、「キレる」状態を少々難しくみるようである。すなわち、意識と行動が乖離「かいり」”dissociation”している状態とする。「意識」”consciousness”とは、「今やっていることが自分でわかっていること」、すなわち自分自身の精神状態の直観である。
健康な人でも意識と行動のかいりは起こり得る。例えば、意識と関係なく習慣的に自動車を操作し、話しながらでも運動できることはその代表であって、読者も体験しておられるであろう。また立派なピアニストは、ピアノをひくことを意識しなくても、音譜なしに名曲を演奏できるものである。
病的なかいりは、トラウマ(心の傷)によって起こると考えられている。乳幼児期の脳は柔らかく、いろいろな生活体験や刺激による学習効果を受け止めて発達していく。しかし、アンバランスな刺激は、この柔らかい脳にトラウマをつくる。その結果、意識と行動がかいりしやすくなり、いろいろな問題行動から、重病はかいり性アイデンティティー障害”dissociative identity disorder”、さらには多重人格障害”multiple personality disoder”など精神障害まで、多様な病的パターンの症状を示す。また、ヒステリーもこれに関係して起こると考えられている。
この考え方は、アメリカでは、子どもの虐待”child abuse”、特に性的虐待の後遺症の研究から発展したものである。学校に多発する暴力・不登校・いじめばかりでなく自閉的行動・うつ病・自殺などの情緒障害も、精神医学者の多くはこの立場からみようとしている。いずれにしても、生活環境に適応できない子どもたち”maladjusted children”なのである。
胎児や新生児の行動発達をみると、心と体のプログラムの基本は、遺伝子の指令によってそれぞれ十分にできているように見える。しかし、それぞれはバラバラでかいり状態にあり、末梢で反射的に行われている。それが子育てを中心とする乳幼児期の体験により統合され、年齢とともに変わる生活に対応して行動できるように発達するものと筆者は考える。特に、この時期の「優しさ」の体験は、その統合に必要な連合野の形成に重要だと思う。それは心のプロ下ラムをうまく働かせるのが連合野だからである。スキンシップ豊かな子育ての意義を、この立場からも考え直すべきでではなかろうか。
全私学新聞 平成10年7月13日号掲載分に加筆、修正した |
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