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小林登文庫


「子ども学」によって21世紀こそ子どもの世紀にしよう―パラダイムの転換を求めて―

掲載:2000/4/21

4.「子ども学」―子どもにも関係する学問にもパラダイムの転換が必要

 現在、我々は、それぞれの立場で、子ども達のいろいろな問題行動に対応せざるを得なくなっている。登校拒否・不登校、いじめ、校内暴力、せいの逸脱行動(女子)、それぞれ異なったパターンがあるが、家庭や教育現場で明らかになる以前、頭痛、嘔吐などの身体症状を訴えて、小児科医を訪れることも多い。医学までも巻き込んでいるのである。喫煙・飲酒問題は別としても、その上性の逸脱行動には、援助交際などの新しい問題も加わり、21世紀の社会はどうなるかと危惧される。

 このような問題を解決するためには、それぞれの専門家のみでは解決できないことは明らかである。心理学・教育学・社会学・保健学など子どもの問題に関心あるすべての学問分野の研究者が、自他分離を乗り越えなければならない。

 教育とか育児とか保育とかに共通するのは「育つ」ことである。保育は、施設で、あるいは集団で育てることの意味で、育児はどちらかといえば、母親や父親が育てるという子育て、教育は教え育てるという学校が中心で育てることである。お互いに深い関係にある。

 それぞれの専門分野の学術のパラダイムを転換して新しい理論を体系付ける必要があると、教育・保育・育児の実践的な立場からも言えるであろう。その基盤となる体系を「子ども学」とし、それを体系付け、普及することが求められる。

 子どもを捉えるには、いろいろな立場がある。子どもをヒトの一生のライフサイクルやライフステージの中で育つ人間的存在として、生物学的な側面と社会的な側面を持つという立場で見るのがひとつである。他は、親というか、先行世代が作った人間的な存在、これも当然のことながら、生物的に見ると共に、社会的に見なければいけないといえる。

 重要なことは、単にライフステージではなく、ライフサイクルの中で見た子ども、という考え方を忘れてはならないという点である。現在子どもたちに対して行っていることは、この子どもが将来結婚して子どもをつくった世代にも影響することである。

 遺伝的な病気は勿論、しばしば目にするような子どもの虐待も、親から虐待された子どもが、大人になって子どもを生み育てるときに、同じ問題が起こるということは、周知のとおりである。従って、現在の大人の役割はきわめて重要であって、単にライフステージで、その子どもの一生に対する責任ばかりではなく、ライフサイクルを介して、次の世代にも関係があることを忘れてはならない。

 次に、子どもというものは、生物学的存在として生まれて、社会的存在として育つということで、「子ども学」ではその基盤も必要である。

 生物学的存在というのは、我々から見れば遺伝生物学の立場であり、社会的存在は、生物学で言えば小児生態学―チャイルドエコロジーという考え方になる。

 子どもの役割は何か、それは父親や母親の遺伝子によって受け継いだ遺伝形質を次の世代に伝えるということ、「内なる伝承」である。遺伝子から見れば実際的には、パートナーの遺伝子が半分入るので、半分ずつ伝えることになる。これは「身体内遺伝」"intracorporal heredity" ということが出来る。これに対して、もうひとつの伝承は、「身体外遺伝」"extracorporal heredity" 「外なる伝承」である。つまり、先行世代の文化を、次の世代に伝えることである。社会生物学者のドーキンスの考えであるが、その伝承には遺伝子と同じ因子を考えミーム(meme)と呼んだ。筆者はそれを「摸伝子」と訳した。脳の、真似るとか学ぶとか考えるとかいうような能力によって、次の世代に伝えていく。子どもはこの2つのものを伝えるからこそ、子どもを育て立派な大人にすることは極めて大切である。

 この2つの側面を学際的に専門を問わずよく理解できるようにするために、子どもをシステム・情報論から捉え、共通の基盤にすることを考えている。

 つまり、遺伝生物学的に捉えるということは体を、遺伝情報を元に細胞を組み合わせた組織、組織を組み合わせた臓器、臓器を組み合わせて自己組織化された生体システムと捉えることであり、生存を目的とする臓器系のそれぞれを働かせる、心と体のプログラムをもっていると考える。

 システムというのは工学の言葉で、ある目的を達成するために、お互いに影響しあうエレメントを組み合わせたものを指す。つまり、先ほど申したように、人間は生きることを目的としたシステムであり、脳は考えるというような高度な精神機能を働かせるニューロンのネットワークシステムであると考えるのである。そして、それぞれのシステムを働かせるプログラムも存在するのである。

 人間の体はいろいろなプログラムを持っているが、その体のプログラムを機械化したのが、自動車とか飛行機だと考えることが出来る。自動車は歩くことを目的としたもので、それを機械化して能力を高めたものである。心のプログラムを機械化したものがコンピューターであるが、現在は計算能力という限られた面しか機械化されていない。

 こういうシステムは1個の受精卵から細胞分裂して、2個になり、8個になって、自己組織化されて出来る。自分で組織化する力を持っているという点が生命の本質である。それと同時に、プログラムも自己組織化されて作られている。 プログラムは、あるシステムの目的を実現させるために、情報の伝達や交換を遂行するのに必要な、あらかじめ作られた手段、手順、あるいはそれを達成するためにコードを組み合わせたものである。

 人体の細胞や臓器を組み合わせたシステムは、その目的を達成するために、遺伝子、神経、ホルモン、酵素などのレベルで多様なプログラムがあると考えられる。

 産声と共に呼吸運動が始まるのは、呼吸というシステムにプログラムが作動して呼吸運動が始まる。あるいは音楽を聴いて美しいと感ずるのは、脳の中に美しいと感ずる神経細胞のシステムがあり、音楽でそのプログラムにスイッチが入るから、美しいと感ずるのである。

 胎児期や新生児期などの行動を見れば、教育や環境の影響を受けていないにもかかわらず、いろいろな行動をとることから、プログラムとシステムの存在は明らかである。システムは解剖学との関係、プログラムは生理学との関係で、だれにもすぐ理解できるものである。

 一方、社会的な存在としての社会は、人間を取り囲む、家庭・学校・社会などで、生態システムとして捉えられる。その生態システムは、自然因子、生物因子、物理化学因子、そして社会文化因子から成り立っている。しかし、人間の生存にかかわる生態因子は、つきつめれば物質と情報である。物質は体を作っているものでもあり、我々が生きていくために食物として取り込むものであり、さらに必要な水と空気もあるという意味のものである。人間生存には同時に、社会文化も必要で、それは情報として整理できる。その情報は、大きく分けて、知性(又は理性)の情報と感性の情報(logical information とsensitive information)に分けられる。

 感性の情報は、心のプラグラムに作用し、それが体のプログラムにも影響する。知性の情報は、外からは心のプログラムにも関係するが、体の内ではインシュリンが糖の取り込みを支配するのは、ある意味では、インシュリンという分子がもっている知性の情報と言える。

 今、重要なのは、感性の情報の意義を考えることにある。感性の情報は、心のプログラムを動かし、体のプログラムを動かし、子どもの成長、発達、行動に影響する。かわいがられない子どもは、育ちが悪く、問題行動を起こすことは周知のとおりである。

 子どもは、生活の中で、心と体のプログラムが円滑に作動すれば「あそぶよろこび一杯」、「学ぶよろこび一杯」になり、「生きるよろこび一杯」"joie de vivre"になって、心も体もすくすく育つといえる。

結語
 Ellen Keyは、「20世紀を児童の世紀に」と論じたが、今世紀の終わりに近くなって子どもの権利は認められたものの、国内外をみると問題は山積みし、20世紀の最後の年になって省みると、Keyの言うようになったとは思えない。「21世紀を真の、あるいは新しい子どもの世紀」にするために、我々は過去のmillenniumに作り上げたものを取り込み、乗り越え、新しいパラダイムを求めなければならない。この立場から、子ども達の問題解決の柱として、「子ども学」を提唱したい。

(註)
 それぞれの文献は省略するが、拙著「子ども学」、(日本評論社 、1999)は参考になろう。また、人間の社会的諸活動の基盤について、科学技術庁の班を主催し、現在金沢工業大学「場の研究所」所長をつとめ、この方面の研究を展開している清水博の意見を参考にした。


著作「子ども学 第2号」 (甲南女子大学国際子ども学研究センター)より抜粋





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