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小林登文庫


新・こどもは未来である
掲載:2001/12/12

<母乳にかわるもの、ミルク−1>

 先月は、母乳のメカニズムの神秘についてお話しました。今月は母乳のかわりとなるミルクについて、お話ししたいと思います。
 母乳が出ないとき、赤ちゃんを育てるためにはかわりのものを飲ませなければなりません。昔は「もらい乳」をしました。分娩をすませたばかりの、母乳がまだ出る母親が看護婦さんになり、入院している子どもたちに母乳を与えた、ウエット・ナースがその代表でしょう。
 しかし「もらい乳」には限りがあるので、人は身近で人間と生活してきた家畜に目を向けました。牛乳の利用がそれです。小児科医は、多くの栄養学者、酪農学者、生化学者などの協力によって、牛乳のかわりになるミルクをつくり上げました。その歴史は、小児科学の歴史とさえいえるのです。

母乳のかわりとしての牛乳利用の歴史

 牛は人ともっとも関わりの深い動物のひとつでした。牛乳を母乳にかわる赤ちゃんの食品として利用しようという発想は当然といえましょう。それは牧畜・酪農の盛んな地域ではじまりました。牧場で飼っている牛の乳をしぼってそれを赤ちゃんに与えていたと考えられるのですが、当然それは赤ちゃんの栄養としては、きわめて不向きでした。
 第一は、その昔衛生状態は良くなく、腐敗し汚染された牛乳を赤ちゃんが飲むと、いろいろな細菌感染症、とくに重い下痢症をおこし、死亡することが多かったといいます。このことが小児科学における、下痢症の研究の大きな動機になったのです。第二は成分の問題でした。牛乳は母乳にくらべて、たんぱく質・電解質(ナトリウム・カリウムなど)が多く、糖が少ないことが原因となって、子どもの成長に不都合なばかりでなく、腎機能が未熟な乳児には大きな負担となって、血液成分が濃くなり、脱水状態になったりするのです。それは乳児の代謝学の研究、さらに栄養学の研究に発展したのです。そして、小児の水や電解質の代謝メカニズム(注1)、さらにビタミンDとくる病(注2)、ビタミンCと壊血病(注3)の関係の解明につながりました。
 第一の問題の解決は、しぼりたての新鮮な牛乳を得られればよいわけです。ようやく都市ができはじめた当時、ひとつの方法として乳牛を地下室に飼って、乳をしぼって乳児に与えたという記録があります。しかし、日のあたらない場所で飼われた牛が病気になり、それが牛乳を介して赤ちゃんにうつることが問題となりました。牛の結核が赤ちゃんに伝染したりしたのです。牛乳を赤ちゃんに飲ませてはじめて、多くの問題がその裏にあることがわかり、小児科医はその問題を解決しながら、100年の歳月をかけて今日のミルクにいたっているのです。

清潔な牛乳製品がつくられるまで

 赤ちゃんに牛乳を利用するためには、しぼった牛乳をできるだけ清潔に長く保存しなければなりません。そのくふうの歴史をひもといてみましょう。牛乳を保存し、変質しないようにして殺菌をする必要がありました。その目的でまず1856年にアメリカのボーデンが練乳をつくりました。練乳は牛乳の成分を可能な限り濃度を高くして、ばい菌など微生物がはえにくくしたミルクです。つづいて、1876年にパスツールが低温殺菌法(注4)を開発しました。パスツールの業績は大きいものでした。

 人類はこうして母乳のない赤ちゃんのために、まず清潔で保存可能な練乳を手にしたのです。日本で練乳がつくられたのは、明治5年(1872年)でした。乳児の人工栄養が練乳ではじまり、それが50年も続いたのです。しかし、練乳の保存性には限りがあります。一度使ったら、冷蔵庫がないと腐敗したり汚染したりしやすいものなのです。その欠点をなくすために、粉ミルクが開発されたのです。そして、粉ミルクの高い保存性によって、急速に普及することになりました。現在でも、欧米の育児用の牛乳製品の一部は練乳ですが、わが国ではミルクといえば粉ミルクをさします。日本で粉ミルクがつくられはじめたのは、大正6年(1917年)のことでした。



(注1)水や電解質の代謝メカニズム
体の血液や体液中では、ナトリウム、カリウム、カルシウム、塩素などの電解質を一定に保つ代謝の機構がある。とくにホルモンや腎が深い関係がある。
(注2)くる病
ビタミン Dの不足、腸管からのカルシウム吸収不全などによる骨格の発育障害。小児では、小人症、大泉門閉鎖不全、起立歩行が遅れたり、骨や歯の発育が遅れる、骨の変形などの症状がある。
(注3)壊血病
ビタミンCの不足による病気。血管・骨・関節に障害をおこす。歯ぐきの出血などは特徴的。乳児の壊血病は下肢痛により麻酔状態に似た症状を示す。
(注4)低温殺菌法
加熱により変質の可能性の大きいものを、100度C以下の温度で殺菌する方法。牛乳を殺菌する場合は、乳酸菌ほか有用な細菌を殺さず、ビタミンその他の栄養成分を破壊することなく、病原微生物のみを殺菌する。パスツールによって考案されたので、パスツリゼーションという。

このシリーズは「こどもは未来である」(小林登著・メディサイエンス社1981年発行)の原稿を加筆、修正したものです。





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