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小林登文庫


新・こどもは未来である
掲載:1999/10/29

<愛情も栄養となる−1>

 こどもが母親の愛情の恵みを十分にうけられないばあいには、母親がわが子に愛情をそそがないばあいと、また逆に好むと好まざるとにかかわらず愛情をうけられないばあいとがあります。
 前者は、母親に問題があるのですが、後者は、戦争孤児、交通事故の遺児などのばあい、母子以外の原因によるものです。小児科学では、そんなばあいにおこるこどもの異常をデプリベイション・シンドローム(剥奪症候群)(注1)とよんでいます。後者は、受け身のデプリベイション・シンドロームとでもよべましょう。
 こういった母親の愛情に恵まれないこどもたちにも大きな問題がおこるのです。たとえ前者の代表であるバタード・チャイルド・シンドローム(多発骨折症候群)(注2)よりはましであるにしても。バタードとは「骨をたたいて折る」という意味であります。

2つの孤児院の話

 第二次世界大戦のあと荒廃に帰したドイツは、連合国によって占領され分割統治されました。連合国のイギリス軍が占領統治した地区には、2つの孤児院がありました。すなわち受け身のデプリベイション・シンドロームのこどもたちが収容されていたのです。
 つぎのことは、あえて計画的になされたことであるかどうかわたくしは知りません。占領軍のイギリスの女医さん(小児科医)が、2つの孤児院のこどもたち(幼児)の体重増加曲線を分析してつぎの事実を報告したのです。わたしはその文献を知って小児科医として深い感動をおぼえたのでした。
 さて2つの孤児院をA・Bとしましょう。A孤児院の院長さん(カトリックの尼さんですが)はとてもきびしい人でした。スープは音をたててのんではいけません、お洟はきれいにかみなさい、騒いではいけません。etc、etc。
B孤児院の院長さん(同じような尼さん)はまったく逆で、こどもとみれば足をとめ、だかずにはいられない、頭をなでずにはいられない、というようなこどもずきのやさしい人柄だったのです。
 当時のことでありますからそれぞれのこどもに割り当てられている食事の量はきまっていました。ひとりパン何斤、砂糖何オンス、バター何ポンドと。しかし体重の増加曲線をみるとAとBのこどもでははっきり差がみられたのです。同じ量と質の食糧があたえられているにもかかわらずちがうのです。とうぜんのことながら、やさしい院長さんのいるB孤児院のこどもたちのほうが、はるかに体重の増加がよかったのです。
 しかし、あのきびしい院長さんにも泣きどころがありました。A孤児院の中でも8人の孤児だけは、B孤児院のこどもたちとおなじではないまでも、ほかのこどもたちよりもはるかに体重増加をしめしたのです。
 この8人のこどもたちを調べてみますと、きびしい院長さんのお気にいりだったのです。かわいいこどもたちだったのでしょう。いうことを聞く「よい子」たちだったのでしょう。あのうるさい院長さんのお気にいりの8人のこどもたちは、ともかくほかのこどもたちより体重の増加がよかったのでした。
 ところがやさしい院長さんがやめたので、配置転換がおこなわれたのでした。うるさい院長さんがB孤児院に8人のお気にいりのこどもをつれて移し、新しくやとったやさしい院長さんをA孤児院に入れたのでした。そして、B孤児院のこどもたちの食事は、うるさい院長が来たので、少し量をふやしたのです。
 やさしい院長さんがきたA孤児院のこどもたちの体重は急速に改善しました。逆にうるさい院長さんがきたB孤児院のこどもたちの体重増加は食事の量をふやしても、はかばかしくなく、そしてついに体重増加曲線は交叉し、逆転してしまったのです。もちろんA院に移った体重増加の比較的よかった8人のよい子の体重増加曲線はますます増加したのです。



(注1)デプリベイション・シンドローム(剥奪症候群)
deprivation syndrome
(注2)バタード・チャイルド・シンドローム(多発骨折症候群)
battered child syndrome


このシリーズは「こどもは未来である」(小林登著・メディサイエンス社1981年発行)の原稿を加筆、修正したものです。






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