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小林登文庫


新・こどもは未来である
掲載:2000/09/01

<コミュニケーションは、こうして−2>

赤ちゃんも身ぶり手ぶりで

 母親が赤ちゃんに話しかけるとき、赤ちゃんは、その言葉、話しかけの音声のリズムやパターンに対応して、体の動き方に変化をしめすものなのです。すなわち、赤ちゃんが体の一部をうごかしていると、音声のリズムやパターンに反応して変化がおこるのです。母親の話しかけの文章の文節などに対応して、呼吸の間に、赤ちゃんはまぶたをあげたり、足をさげたりもするのです。
 もちろん、母親が話しかけているとき、母親の体の一部もいろいろ動いているのです。さらに、赤ちゃんが、泣き声を出すとか、喃語で語りかけるときも、それに対応して母親は体のあちこちをうごかすものです。
 母親は言葉をもって、赤ちゃんに話しかけ、赤ちゃんは喃語をもって反応し(言葉がなければ笑いで反応し)、そしてその反応の間におたがい体をうごかして表現することも加わって、コミュニケーションを行うことが出来るのです。この体の動きは、フィルムに収めて分析しなければ、わからないほど微細なものもふくまれています。
 こういった、言葉をかいして母と子のやりとりのあいだにみられる体の動きが、言葉に引き込まれて同調する現象をエントレイメント(注1)とよび、鳥や魚のダンスに対比される行動現象と理解されています。それは、人間がもつもっとも原始的な情報交換の手段なのです。
 母と子は、おたがいに音声と体動を組み合わせて、情報交換をおこなっているうちに、おたがいに引き込まれて同調し、ひとつのシステムとして統合されてしまうのです。そのときこそ、おたがいに言おうとすること考えていることを通じることができるのです。ある意味で、情報を共有することになります。それが言語発達の第一歩であると考えられているのです。
 赤ちゃん、さらに幼児が、どうしてあの複雑な構文を学ぶことが出来るのでしょうか。それにはもちろん子どもの頭の中にあるていど発達した意識や概念ができなければなりません。それを、子どもは言葉に表現するのですから。

マザレーズ

 言葉の十分に発達していない子どもが、たとえば「ニァー・ニァー」と言ったとしましょう。子どもは、絵本の猫を意味し、絵本を開けてくれといっているかもしれません。おもちゃの猫をとってくれといっているのかもしれません。また窓の外の猫をみつけて、猫がそこにいることをいっているかもしれません。そのほかにいろいろな内容が、それぞれの場合に応じて、幼児の不完全な言葉の中にはいっているでしょう。
 母親は周囲の状況から、また子どもの表現のパターンから、そのいずれであるかをただちに判断することができるものなのです。そして、母親は自分の判断で適切な会話(文章)、そして、それに対応するでしょう。それによって、子どもは頭の中でつくられた文章に対応する単語を学び、文章をつくりあげていき、言語を発達させているのです。
 この場合、母親はしばしば独得の文章とリズム・抑揚・ピッチでわが子に語りかけるものなのです。おとなの会話で用いないような文章と語り方があって、これをマザレーズ(注2)とよんでいます。それが構文の重要な点を折にふれ、それぞれの状況下で具体的にわが子に教えているのです。
 言葉の発達というものは、たんに母親の言語をまねることのみによっておこなわれるのではありません。その折りおりの状況下で母親と子供とのあいだでおこなわれる、音声ばかりではなく、体の動き、そして、子どもの頭脳の中につくられたものを限られた音声記号(言葉や喃語)で表現するとき、母親がそれを理解して、瞬間的に反応して、言葉を組み合せた文章でフィード・バック(注3)することによって学びとるのでしょう。その場合、話し言葉の内容ばかりでなく、リズム・抑揚・ピッチのような感性の情報も大切なのです。



(注1) エントレイメント
entrainment
(注2) マザレーズ motherlease
母親が子供に対して用いる言葉、あやす言葉。
(注3) フィード・バック
生体や機械におけるシステムが、ある一定の目的をもって外界の対象に働きかけるとき、その結果を観察して、働きかけの仕方を修正すること。自動制御の機構とも呼ばれ、人間や高度の動物には備わっている機構と考えられる。


このシリーズは「こどもは未来である」(小林登著・メディサイエンス社1981年発行)の原稿を加筆、修正したものです。




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