<国際児童年におもう−1>
しろがねも くがねも玉も なにせむに まされるたから 子にしかめやも ――万葉集
このうたは人生派の万葉歌人、山上憶良(西暦659〜733年)が、子どもをなにものにもまさる宝とうたいあげた歌であります。日本の子どもの歴史、小児科学の歴史、小児医療の歴史を考えるとき、この歌には、考えさせる多くのものがあります。
子どもを間引く
それは、子どもを白銀や黄金にまさる宝とうたいあげている万葉時代の日本人の心と、この100年ぐらいまえまで日本の各地にみられていたという「間引き」の事実と、最近のわが国の乳児死亡率の激減という現象をどう結びつけて考えるかということなのです。 わが国では江戸時代まで、あるいはもっと最近まで、口べらしのため、親が生きて生まれた子どもを殺すという風習、すなわち「間引き」という行為が、戦争や飢饉の場合にはおこなわれ、許されていました。 1850年代の上総地方の出生1000につき、死亡するもの500以上、とくに次男以下の男の子、女の子がとくに多かったと記録されています。長男は家をつぐということで、間引きの対象からはずされ、男の子より女の子を間引くという発想がみられましたが、それは将来の労働力を考えてであったといわれています。 もっとも、わが子を間引かなければならない親の気持ちはどうであったでしょう。現在でも、間引いたわが子をとむらう地蔵が、それがさかんであった地方にはたくさんみられるのです。この親の気持ちも、万葉のうたの心と全く関係ないとは言えないと思うのです。
このシリーズは「こどもは未来である」(小林登著・メディサイエンス社1981年発行)の原稿を加筆、修正したものです。 |
|