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母子関係の真実
恵泉女学園大学人文学部教授  大日向雅美

 現在議論されている母性にまつわる2つの主張――崇高で絶対的な善である母性観を問い直そうとする主張と、逆に従来の母性観を科学的根拠から強調しようとする主張――の立場と課題を、大日向氏は指摘する。

 あたたかく慈悲と包容力に満ちた献身の権化として語られてきた従来の母性は、現実の母親像とはあまりにかけはなれており、そのギャップに悩む母親も多い。乳幼児は発達の初期から特定の人たちとの間で安定した愛着を築くことは確かに望ましいのだが、「その特定の人とは必ずしも母親とは限らないことが指摘されている。発達初期の母子関係の意義を強調し過ぎて、かえって母子間に必要以上の密着を招き、子どもの発育環境を狭めてきたこと、とりわけ父子関係の発達や父親の育児参加を阻んできたことは、反省されなければならない問題点であるといえる」。しかし、こうした母性神話打破を唱える主張の中にも、首をかしげざるを得ないものもある。「子どもを愛さないことを母親の権利と取り違えたかのような声が散見されることは、やはり問題ではないかと思われる」。

 一方、従来の母性観を強調する側にも、科学的には意義のある研究であるにもかかわらず、短絡的で皮相的な論理が目立つことも事実である。たとえ生得的・生理的に定められた母子の相互呼応システムが存在したとしても、育児はそれ以外の要因が複雑に関与しながら長年行われる営みであることを、氏は強調する。

 歴史をふりかえってみれば、「母性はそのときどきの社会的・政治的・経済的要請に規定され操作される側面を持ってきた」と氏は言う。2つの主張のいずれも、現在の社会的状況に規定され、母性の真実を見落としてきた、と。「幼い命をいとおしみ、その成長の過程に親も社会もひろくかかわって見守り支援しようとする方向を実証的に見いだすには、もはや性別役割を前提とした母性・父性といった概念ではなく、誰もが子どもの発達に関心を抱き、育児にかかわれるようになることを理念とする『育児性』という新たな概念を持って、育児のあり方を模索することこそ、現代という時代における新しい育児の真実と考える」。


母の文化と日本のジェンダー問題
立教大学文学部教授  山村賢明

 「乳幼児は母親の手で育てたほうがいい」「家族は愛情で結ばれているべきだ」という言説は、日本における母性信仰の現れであり、単なる思い込みにすぎない、と山村氏は指摘する。そのような母性文化が連綿と続く限り、女性の自己概念の中で「母親」が大きな部分を占めることは言うまでもない。「つまり女性は、自己を母親として日常的に意識し、自己の行動を母親という視点から組織化することになり、子どもに対してだけではなく、夫に対して、さらには男性一般に対しても母親的に振る舞うこととなる」。男性優位社会において男性は女性に対して優越者として振る舞う一方、わがままや横暴を母親にぶつける子どもにもなる。「しかし、ここで何より重要な点は、日本の母の文化のなかで、弱者としての女性が母たることによって、強者であっても子ども的である男性に対して、精神的・心理的に優位に立つことが可能になるということである」。つまり、「母はその社会構造における低い地位を、文化における高い価値づけによって埋め合わせ、またそれに自ら充足感を見い出し続けてきたのだ」。

 このように男女の役割が複雑に依存しあう日本の「母の文化」は、女性解放運動やジェンダー問題解決の足枷にもなっていると氏は言う。それは男性の「子ども性」と女性の「依存性」が長年紡ぎ合ってきた文化であり、それにメスを入れるには相当の覚悟が必要だ、と。「われわれの手にしようとしている真の意味での人間解放、つまり男女それぞれが個人として経済的にも、生活的にも、精神的にも自立して対等な関係を確立するということは、これまでの母親的な愛や許しや精神的支え、家族や男女関係に見られる豊かな情緒、個としての安定した存在感覚と他者包絡性、人生に対するオプティミズムと善意、等々の多くのものの変更と喪失なしに実現することは困難である」。


知られざる胎児の世界
日本医科大学産婦人科助教授  進 純郎・
日本医科大学産婦人科主任教授  荒木 勤 

 受精時には50ミクロンほどの大きさしかない受精卵が、出生時には1万倍もの大きさの胎児としてわれわれの世界に現れる。それには神秘とも言うべき何通りもの成長のプロセスが含まれている。進・荒木両氏は、受精現象は「過酷なサバイバルレース」であり、そこで芽生えたヒトの始まりは「友情と愛に満ちたドラマ」のようだ、と言う。

 現在では、超音波断層装置を用いて、母体内の胎児の生活様式を見ることができる。妊娠7か月を過ぎると、胎児の目は光を感じるようになり、外部の音にも反応して胎動し始めるという。ちょうど人の話し声は胎児に聞こえやすく、「とりわけ母親の声は直接声帯から体内を通って子宮内に伝達されますので、胎児にはよく聞こえているはずです」。また、妊娠8か月に入ると、触覚以外の皮膚感覚が完成し、感知された子宮収縮の刺激は脳に伝達され、その刺激が脳の発達を促している。こうして胎児の行動様式や成長のプロセスを見て取れることは、胎児への科学的研究の実現というメリットだけではないと両氏は言う。「超音波断層装置で胎児の正常な姿を確認した母親は、安心し落ち着いた気持ちで妊娠生活を乗り切れるように思います。超音波断層装置の出現は母親の精神構造も変革させたようです」。

 胎教の効果については解明されていない部分が多いと両氏は言う。確かに、外部から得た刺激が元になり大脳の神経細胞間のシナプスが増加するという意味では、胎教は出生後の子どもの感覚系・神経系に効果を及ぼすのかもしれないが、「大脳生理学の観点から眺めると、子宮内の胎児が記憶できるかどうかということも明確ではありません。記憶できたとしてもあの狭い産道を15時間もかけてやっとこの世に誕生したときには大部分の記憶は逆健忘症となって残っていないのではないかといわれています」「胎教を頭のよい子を生むための道具として考えず、よい母子関係の確立に利用することを願っています」。


動物の母子関係
大阪大学人間科学部教授  糸魚川直祐

 糸魚川氏は、人間を含む動物の母子関係は、母が子を育てる関係であると同時に、母が子の独り立ちに役立つ、社会的関係を含んだ母と子の関係だと言う。人間以外のさまざまな動物には、われわれが持つ母子関係のイメージとは異なる関係がよく見られることを氏は示していく。

 アデリーペンギンのメスとオスは、交互に抱卵し、子どもが生まれてからも協力して雛に餌を与えるというように、子育てに対して、ほぼ同等の役割を果たしている。さらに、子どもが独り立ちするときに、未成体を含む他の仲間たちがそれを協力してサポートしている。陸・海の両方を生活の場とするオットセイのメスは、交尾・出産・授乳をする短い間しか陸上にいない。つまり、幼いうちに陸に置き去りにされた子ども同士で同年代グループを作り陸で生活する。海で活発に動き回れるまでに成長したときに、母親とともに行動するのだ。「最も幼い子が母親から最も遠く、長く離れて生活し、年長の子ほど母親を追って一緒に行動するのは、哺乳類について一般に考えられている母子関係とはかなり異なる」。

 人間に近いニホンザルの集団は、母子をもとに形作られた閉鎖的な社会であり、「子が母から受ける影響の一つは、子が母と同じような社会的優劣順位を集団の中で身につけること」だと氏は言う。さらに、「オスのほとんどすべては、成長とともに集団を離れるが、離れる年齢や離れ方は個体毎に違っており、その違いを生む原因の一つが、幼少のときからの母子関係にある」。つまり、サルの母子関係は、集団の安定と社会的まとまりを作るだけでなく、集団の変動を起こす要因にもなっているのだ。

 「子が独り立ちをするとき、母親は子を送り出す立場にある。送り出された子は孤独ではなく、仲間たちが子を受け取る。動物の母子関係はそれぞれ異なっているが、子の独り立ちを促し、それを受け止める仲間が存在することは、多くの動物に共通しており、仲間関係とそれを成り立たせている社会的関係が、動物の母子関係を支えている」。


働き続ける母親と育児
お茶の水女子大学生活科学部助教授  牧野カツコ

 「働く女性の増加」は、世間でいわれているほど増加していない、特にフルタイムの雇用労働者として仕事を続ける、いわゆるキャリアママは、現実にはまだ少数だ、と牧野氏は言う。3歳以下の子どもがいるフルタイム就労の母親は約12%で、パートタイム、農業従事者を含めても母親全体の3割しか仕事を持っておらず、実際には、子どもが生まれるといったん退職して、子育てが終わり再就職をするという「M字型」の就労構造が依然として続いている。それを裏づけるように、当事者である女性が最も望ましいと考える就労形態もM字型で、仕事を続けるキャリアママを望む女性は全体の14%ほどしかいないという調査結果もある。こうした女性側の意識の要因には、日本の労働条件の悪さだけでなく、母親の就労を非難する「母性神話」の存在を氏は指摘する。

 しかし、それでも働き続ける母親も確かに存在する。彼女たちが働く意欲を持ち、働き続けられる条件は何なのだろうか? 氏は母親が仕事に出かける際に子どもを信頼して預けられるネットワークの有無が大きく影響する、と分析する。「専業主婦がより親戚優位のつきあいであるのに対して、就労している母親のほうが、近所の他人を頼りにする割合がやや多いことである。特に『日帰りの旅行に連れて行ってもらえる』などの項目では、有職の母親のほうが近所の人とのネットワークをうまく作っている様子がわかる。他の家族と一緒に旅行をしたり、泊めてもらったりできることは、きょうだいが少なくなっている今日、子どもの発達のためにも有意義であろう」。

 今後はキャリアママを支援するシステムや、父親の家事・育児参加はもちろんのこと、「男は仕事、女は家庭」という性役割分業意識をとらえなおすべきだ、と氏は言う。「母親だけがオールオアナッシングの選択をしなければならない就労の仕組みは、どこかおかしい。子育て期間中は、大幅な短時間就労に切り替えて就労ができるなら、多くの母親たちは子育てにも、仕事にも生きがいを感じるだろう。多少の給料の保障された育児休業制度や子育て後に必ず職場に戻れる仕組みなどももっと普及してほしい」。


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