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インターネットと子どもの未来
朝日新聞社出版局編集記者  服部 桂

 「活字を中心としたカリキュラムにとっては、テレビや映画、パソコンやゲーム機から受ける情報は、真面目でない遊びに近いもので、本来の教育の内容ではないと見なされる。しかしそれはほんとうにそうなのだろうか」。服部氏は、いつの時代も新しいメディアによる情報や教育は、一段低いものとしてしか考えられなかったことに疑問を投げかけると同時に、インターネット活用によってもたらされる教育の新時代を予測する。

 現実にアメリカを中心に起こっている教育分野でのインターネット導入の効果について、氏は「子どもたちは、身体を使ってインタラククティブにプロセスを経験することで、教科書で読む受け身の学習よりずっと効果的に理解を深めたわけだ」と述べている。学校という閉鎖された空間での活字中心の学習法から、五感をフルに活用し、自ら読み、書き、世界を相手に受・発信するという学習法への移行や新しい世界観を、子どもたちは勝ち得つつあるのだ、と。

 一方、日本でのインターネット教育の展望を考えたとき、氏は問題点を指摘する。「最大の問題は、現在の学校の意識や指導方針が外に対してオープンな形態になっていないことが挙げられる。校則の中に外部の生徒と交流してはならないと規定している学校もあり、ネットワークによって変わっていくことに対するこうした閉鎖的な学校での現行の体制の抵抗が、大きな障害となる例も増えている」。

 いずれにしても、インターネットによるコミュニケーションは子どもたちの価値観を大きく変えていくことは確かだろう。「新しいメディアを活用することで、まだ移動の機会が限られ、社会的には弱者の部類に属する子どもたちが、小さい時から世界的なスケールでの意識を持って何かを学べる機会を与えられることで、もっと世界は変わるのではないかと思えてくる」。


子どもとバーチャルリアリティ
東京大学工学部機械情報工学科助教授  廣瀬通孝

 子どもに早くから電子メディアを与えると現実と仮想現実(バーチャルリアリティ)の区別がつかなくなるという批判から、氏は距離を置いている。一方的な批判または技術礼讃ではなく、すでに子どもの周りには電子メディアは浸透しきっているという事実を、氏は見つめようとしている。

 小児難病キャンプの子どもたちとJリーグのプロサッカー選手とが、仮想のサッカー場で「バーチャルサッカー」をするという実践研究が成功をおさめた理由は、技術的要素以上に参加した子どもたちの持つ「メディア感性」だと氏は評価する。「一九八〇年というのはテレビゲームが社会に本格的に浸透した時期である。それ以降の世代にとって、映像とはテレビではなく、ゲームのように自分の操作に対してリアルタイムで動くものである。つまり、一九八〇年以降生まれの世代は、インタラクテイィブな映像に対して、われわれよりもはるかにすぐれた感性を持ち合わせているということができる」。

 しかしながら、氏は発達段階の子どもに疑似感覚刺激を与えることの問題点も指摘する。つまり、われわれがものを知覚する際、実際は脳の中にある外界の「モデル」が網膜像を補完して「脳で見て」いる。その意味では、バーチャルリアリティなどの疑似感覚刺激を与えた結果、刺激に対する脳内のモデルが自然界とは違った形で形成される恐れがある、と。そのようにして形成されたモデルの姿を簡単に知ることはできないが、人間の認識システムは外界との双方向のインタラクションな営みであるため、認識対象を操作させて思考の外化をすることによって、形成されたモデルを観察することができる。その際に重要なのは、「子どもがインタラクティブなメディアの上でどのように自らを演じているか」だと氏は言う。「電子メディアと子どもとの関係は、メディアから子どもへという一方向のものではもはやない。双方向こそが最近の電子メディアの最も本質的なところである。電子メディアが単純な二律背反の議論で論じられる時代は明らかに過去のものとなりつつあるのである」。


探求する空間   『エクスプロラトリアム』
メディア研究者  加藤のぞみ

 エクスプロラトリアムとは、サンフランシスコにある科学博物館の名称である。そもそも物理学者フランク・オッペンハイマー氏の「発見の喜びを多くの人とわかちあう」という思想のもと生まれたこの博物館は、旧来の「博物館」のイメージとはかけはなれている。音と聴覚、触覚、視覚、電気、熱と温度、光などに分類された600を越える展示物は、どれも行儀よく「展示」されてはいない。まるで来館者に「自分たちを楽しんでくれ」と訴えかけるように、テーブルや工房に置かれている。その周りではスタッフ同士、来館者同士が議論をしたり、操縦方法を教え合ったりと、来館者はよりよい物を作るプロセスをじかに体験できる。

 こうした参加・体験型の展示を実現した新しいタイプの博物館を、加藤氏は「科学のオモチャ箱をひっくり返したよう」と表現する。科学と芸術、スタッフと来館者の垣根は取り払われ、一つの現象を展示・表現するにも、物理的世界(外側への展開)と、認知・心理的な世界(内側への展開)の両方のアプローチが工夫されている。例えば、音の性質についての展示では、来館者自身が鉄板の縁を弓で引くようになっている。鉄板の上には砂が撒かれてあり、弓の引き方次第で砂はさまざまな模様を板上で描き、同時に出る音も変わってくる。自分で音を生み出しているという実感と、砂の模様と音との関係を視覚的にも体験することを大事にしているのだ。

 日本でも「参加体験型展示」を掲げる博物館は存在する。しかし、何か根本の部分が違うと、氏は指摘する。「たとえば、子どもたちの取り組み方と大人の展示意図がうまくかみ合っているか、ということ。展示物に何が起こっているのかよく見ようとしない子がいる」「結局のところ展示を企画し制作することにおいて、その現象を味わわせ、そこで何かを発見してもらいたい、という情熱に裏打ちされた、基礎研究や試行錯誤が足りないのではないか、と考えさせられるのだ」。


電子メディアの創造性とジェンダー
帝京大学文学部社会学科助教授  宮田加久子

 「創造性」を「新しい問題を適切に解決する発想によって、新しい価値あるものを創り出す能力」とした場合、電子メディアが創造過程において果たす役割は大きい。アイディアとなる情報の提供、バーチャルリアリティなどの技術による仮想空間上での表現、さらにはコンピュータネットワーク上での仮想空間で、現実からの役割や制約から解放されて、別の自分の仮想世界を築くこともできる。

 しかしながら、電子メディアは決してジェンダーニュートラルではない。男の子の方が電子メディアへの親和性が高いだけではなく、男女ではその利用目的が異なることを氏は指摘する。つまり、「女性は何らかのコミュニケーションの目的を達成するための道具的利用が多いが、男性は利用自体を楽しむといったコンサマトリー性の自己目的利用が優勢である」。こうしたジェンダー差の原因となるのは、「コンピュータ=数学的=女の子は苦手」というステレオタイプや、女の子の「道具的利用」と男の子の「おもちゃ的利用」の差による意味づけの違い、さらには女性に強い失敗回避欲求や電子メディア利用への自信のなさなどを氏は言う。「興味と自信があって動機づけが高まるという学習のメカニズムを考えると、女性にはこの二つが育ちにくいために自発的に電子メディアを利用したいという動機づけが高まらないのだろう」。

 これらをふまえた上で、女子の主体的な電子メディアの利用を促進し、創造性を育成するためには、家庭や学校でのソーシャルサポートシステムや電子メディアの情報内容自体の変化の必要があると氏は述べる。「電子メディアを支えている文化そのものが男性優位であるので、女性が電子メディアの生産の段階から積極的に参加し、自分たちのニーズを反映させることができるシステムを作っていく必要があろう」。


特別インタビュー「電子音は太古からの宇宙のコーラス」
作曲家  冨田 勲

 「私の音楽的感覚からすると、電子音とアコースティックなものとの区別はありません」。世界を代表するシンセサイザー奏者の冨田氏は、現代のハイテク楽器を駆使して生まれる電子音のルーツを、われわれが太古から親しんできた自然エネルギーの中に見出す。電子音=人工的というイメージが持たれるのは、文化的利用の歴史が浅いからに過ぎないからだ、と。

 「今回の『ナスカ幻想』も、スペース・コロニーで鼓童がコンサートをやっているというイメージなんです。地についた大地の響きをなんとか宇宙に引っ張り上げたかった」「電気もずーっと昔から地上にとどろいていたすばらしい太古の音。そんなに違いはないはずです」。氏の作り上げる音楽世界には、宇宙という広大なテーマが流れている。それは未知なるものへの好奇心と、氏自身の感動体験に基づいた、懐かしさと未来の夢が共存する壮大な世界でもある。子どもの頃、手製の望遠鏡から月が見えたときの驚きと喜びや、ナスカ高原を旅した際の感動体験は、時代や空間、方法を越えた音楽表現で形づくられる。まずそこに表現したい「中身」があること、そうすれば氏のイマジネーションは無限に広がるという。

 音楽教育へのシンセサイザー導入などの場面で交わされる「手段」についての議論に、氏は疑問を投げかける。「今の子どもたちは電子音がもうすでに日常になっているでしょう。だから、どんどん聞かせたらいいんです」「みんなが音楽をやりたいと思う何か1つのきっかけがあってからです。……ただ、まず音楽を好きじゃなきゃだめですね。子どもに好きにさせるのも一つの役目かもしれないけど、どうしても嫌な子っているわけでしょう。そうしたら、その子は他にすぐれたものを絶対に持っていますよ。それを伸びるようにしてあげた方がいい。それが伸びれば、一緒に歌う喜びとか、リズムにのって踊るとか、絶対に音楽が好きになりますよ」。

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