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私たちは何を目指すべきか

桜井洋子×広岡守穂×村瀬春樹×あわやのぶこ(司会)


ジェンダー・フリーを実践する
あわや: 今回のテーマは「ジェンダー」ですけれども、たとえば性差をなくそうであるとか、フェミニズムも含めて理論というのは、結構いろいろなところでディスカッションされている。でも、現実の子どもたちがなかなか見えてこない。
 それで、今日は皆さんの思いと現実を具体的に話しながら、新しい女の子、新しい男の子という、身近だけども先の展望みたいなものを、どこかで引き出せないかと思っています。

あわやのぶこ氏
広岡: 僕は子どもが5人いて、1番上が男の子なんですよ。女の子が3人いて、1番下が男の子で5年生。つらつら考えてみて、男らしくしろ、女らしくしろと言ったことは全然ないし、言わばジェンダー・フリーだったんですね。それでも結構、女の子はセックスとかそういう問題について、男の子をやりこめたりするところもあるんですよ。結局、ある種の性差はいつでもつきまとっているなあという感じがこの頃してます。
 それから子どもの成長を見てると、全然差別とかはしてないつもりなのに、やっぱり違うなあと。それはたぶん、子どもが変われないことのもどかしさみたいなものじゃないかと思うんです。
桜井: 私は女の子1人ですけど、とにかく自分で食べていけるようにということだけは、くどいくらいに言ってきた。女性の場合は、やっぱりそれがジェンダーからフリーになる道だと思ったから。結局、性役割の中で、女性は経済的な自立が得にくい。そこにとどまっていたら、いつまでもジェンダーの泥沼から抜け切れないと思ってます。
 それと、やっぱり学校で教えられちゃうのがすごく強いという感じがしましたね。中学は男の子も家庭科があるんですけど、女の子だけかっぽう着を着なさいというところから始まるわけですよ。
 それから、言葉遣いが悪いと言われるのね。聞いてると、とても失礼なことを言っているわけじゃなくて、呼び捨てにしているくらい。男の子はよくても女の子が言うと、先生には耳障りに聞こえるんだと思うのね。
 だから「男の子が言ったとして、それでもおかしいと思う場合にのみ、注意してやってください」と私は言ったんです。
広岡: それはありますよね。僕、女の子でも「てめえ。このやろう」って、ぞんざいな言い方でも、なかなかいいと思う。
桜井: そういうふうにやらないと、絶対に嫌だと思うときは迫力出ない、踏んばれないところってあるじゃないですか。そういう言葉を女の子は獲得してこなかったし、それから獲得するのを阻害されてきた。
 それともう1つ。男の子が転んだりして泣くと「男の子なんだから、そんなことで泣いちゃだめ」と言ったりする。それで女の子が木に登ったりすると、「女の子だから、そんなおてんばなことしないで」となる。
 その言い方も、「男の子だから」というのは、そのあと「泣かないの。強くなくちゃ」と前向きに励ましている。ところが、「女の子だから」に続く言葉は「木なんかに登っちゃだめよ」というふうに、禁止事項が多いんですよね。
 そういうふうに、励まされて育ったのと、禁止されて育ったのとでは、やっぱり15年、20年たつうちに、だいぶん違った人格形成がされるんじゃないか。その辺が、女の子がイニシアチブをとれない、というところの大きな問題なんじゃないかと思うんです。
村瀬: やっぱりダブルスタンダードだよね。お父さん、お母さんが、男の子と女の子に別々に使い分ける。ただ、男の子も禁止される場合がある。「男の子は台所に入っちゃいけない」ってね(笑)。俺はずいぶんよく怒られた。そういうダブルスタンダードがある。
 うちは男の子が2人です。上が25で、下が19。僕らも男の子、女の子という育て方はしないで、「女の子を連れて来るんなら自立した子、1人で食えないような子はだめだ」とか、そういう育て方をしている。
 それで意識的に育てていると、性差別的な感覚、それから男らしさ、女らしさを強く意識するのは、玄関の向こう側の世界。そこで仕込まれちゃう。それは学校であったり、ほかのいろんなところであったり。
 ところが、一般の家庭ではどうかというと、神奈川県の調査を紹介するけど、男の子らしく女の子らしくと言われるのは、家庭が1番多い。それもお母さんからが多い。
桜井: そう。それは私のところの調査でもそうだった。
村瀬: やっぱりそう? それを考えてみると、男の子らしさ、女の子らしさというジェンダーを発生させる、1番の悪の温床というのはまず家庭にあって、お父さんとお母さんの関係とかを見てるわけだ。そういうことが僕は決定的なものになると思う。
広岡: ただ、僕の子どもを見ててすごく痛感するのは、3つ、4つぐらいに描く絵が、男の子と女の子とで、ものの見事に違うってこと。
 それからテレビゲームには、男の子はすごい興味を持って熱中するんだけども、女の子はちょっとつき合う程度。あれは、社会で仕組まれてくるジェンダーなのか、生物学的に規定されているものなのか、個人差なのか、それに今興味があって見てるんだけどね。
 だから、もし、全然違うんだったら、違いは違いとして平等に受け入れていれば、それでいいわけじゃないですか。
桜井: ただ、どこが違うか、どこが違わないか、それは後天的に獲得したものなのか、先天的にあるものなのかというのは、もうわかりようがないわけ。だって世界中、全部そうなっている、社会がそうなってるわけだから。だから、私、そこはほじくり返してもだめじゃないかと思うんですよ。
広岡: ただ、そういうところが明らかに違っているなと、僕は一方で感じてるんですよ。
 しかし、他方でびっくり仰天したんだけど、中野区の小学校・中学校で、何が男の子らしいか、女の子らしいかっていう調査をしたら、「リーダーシップ」や「理性的」というのは、女らしくて、「感情的」というのは男らしいと出てきた。だから、何か変わっているところはあるんですよ。
あわや: そうですね。確かに女の子らしさ、男の子らしさのイメージは、時代とともに変わってきていますね。
広岡: それに、子どもが通っている小学校の卒業式で、卒業生が将来の抱負を発表したら、「お母さんになりたい」とか「お嫁さんになりたい」と答える子は完璧にゼロ。
あわや: 学校の現場で聞いても、もうなくなっちゃいましたね、あれは。
広岡: 僕、うれしかったよ。だから、それこそ第2次性徴みたいにずっとつきまとっていて、なかなか変わらない自然にあるものと、すごく社会的な影響で、カルチャーによって変わっちゃうものとがあって、僕らはそれを見ながら右往左往するわけじゃないですか。
あわや: まあ、今はそういう意味では過渡期というか、すべてのものが出てきつつあるというところかもしれませんね。


「キャリア派」と「フェロモン派」
あわや: たとえば、現代のアメリカというものを考えた場合に、性差の前に子育てでの親の目的というのがものすごくはっきりしてて、それは2つある。「経済的な自立」と「性的な自立」なわけです。
 それに対比して日本の場合、子どもを育てる目的は割にあいまいなのね。私たちが持っているものを継いでほしいとかで、自立という言葉が明確には出てこないんじゃないかと。
 ただ、「いろいろ問題があるから、子どもは最終的には自立してほしい」ということは、私たちの時代には言い始めているんだけれども、性差の前に子どもをなぜ育てて、自分たちが一体どういう関わり方をしたらいいのかが明確じゃない気が、どうしてもする。
広岡: それと関係があるのかな。ゼミで結婚問題についてやったら、女子8人全員、ちゃんと働くという自立志向なんですよ。ところが、結婚生活に求めるイメージが、2グループ4人ずつ、ものの見事に違うわけ。
 片方のグループは、夫に求めるものとして挙げたのが経済力。浮気厳禁(笑)。もう片方は、自分たちは自由に生きたいというのと相性が悪かったら出て行くということ。
 しかも、両方はお互いに、自分たちが違う種族だということを意識しているらしくて、自由にやっていきたい派の子たちに聞いたら、「あ、あの子たちは、かわいい子たちなんですよ」と言うわけ。つまり、かわいく振る舞っていい男を捕まえる。そのいい男の大きな条件は、経済力で、経済的にちゃんと安定した生活をさせてほしいと思っている。
 女子は十把一からげに「自立志向が強くなってきたなあ」くらいにしか思ってなかったけど、どうも2グループあるんだね。
桜井: そう。男女雇用機会均等法ができた頃から、私たち、女子学生の就職をやっている人たちはみんな、二手にかなりはっきり分かれてきたということは言ってましたよね。本当のキャリア志向派と、中断再就職でいく派とにね。
あわや: でも、それは女が働くようになって、逆に、仕事の中で自己実現するのは非常に難しいという、一種のバッククラッシュみたいな意味もあるわけでしょ。
広岡: それもある。ただ、それと同時に、家庭という家事を大事にしたいと思っていて、しかもその子たちは男に対して媚を売るというか、魅力的に振る舞ってる。これがまた、自立派の女子たちは気に入らないわけ。
村瀬: それはすごい本質的な問題なんですよ、媚を売るというのは。僕は、社会的に資格を取ったり、社会的な立場を固めていって、さらにキャリアアップしていくのを「キャリア派」と呼ぶとすると、もう一方は「フェロモン派」と呼んでいるんですよ(笑)。その両方が組み合わさると1人前なのかなと常に思っているんだけど、なかなかそれがうまくいかない。
桜井: で、お互いが好きじゃないんですよね。
広岡: 僕、どっちが悪いとか何とかいう問題じゃなくて、両方自立してりゃ、それはそれでいいんじゃないかと思うんだけどね。
桜井: えー? そうはいかないでしょ(笑)。


子どもを介して行われる父母の役割
村瀬: さっき、あわやさんが提起した、親の、子どもを育てる目的なんだけど、僕が調べた日本とアジア・ヨーロッパとの国際比較では、子育ての目的が、日本人の場合、ほんとに意識的にはないんですよね。ずっと流れてきた伝統とか習慣とかの中で無意識的にすごくインプットされてきている。大きくは、財産の継続、血の継続、家の継続、墓の継続、それから老後のケアといったものね。
 大人たちはあんまり目的的に子どもを育ててないし、子どもたちも自分が親から巣立っていくことを意識的に捉えていない。その両方が混ざり合って、親離れ子離れが日本では大変に遅れているんじゃないかと思う。
桜井: 家族、家庭、家というものは、私なんかが子どもを育てるとき、子どもにとっては通過するもの、一過性のものだって思うわけです。
 だけど、一般的な家庭では、子どもが生まれると、この子はずうっとうちの子というのがあって、それでずうっと、ベタベタじゃないんですけども、そのままいっちゃうんじゃないかしらね。
広岡: それは強くなったと思う。あるシンポジウムでPTAのお母さんたちに「いくつまで子どもですか」と問いかけたら、「結婚するまで」というのがものすごく多かった。
あわや: でも、結婚してからもそうですよ。40代の子どもの家のローンの頭金を払ってやるなんて、アメリカではとんでもないもの。
桜井: そうそう。親のほうもそうだし、子どものほうもそう。通過すべきもの、一過性のものだという意識が両方にないんだと思う。
村瀬: 僕が母子密着というか、親や家と縁が切れないと気づきだしたのは、やたらに実家に帰って出産するケースが増えてきたことと、親子が川の字で寝る若い夫婦が増えてきているなということからだね。
 もう1つは、おふろに一緒に入るんだよね、日本人の場合。つまり、主寝室でも一緒だし、おふろ場でも一緒。
 それから、配偶者のことを呼ぶのに「お父さん」とか「パパ」と呼ぶ。パパがどうのこうのって言う。
あわや: お父さん、お母さんという性別の違いが、子どもを介在して厳然とあるわけよね。
村瀬: そう。つまり、お父さんという役割、お母さんという役割、立場、まさにそれはジェンダーの一種だと思うんだけれど、それをお互いに吹かしちゃう。
 僕は、それを当たり前だとしているあの感覚がずうっと20になっても25になっても続いていることは、さっきの40過ぎの息子や娘が家を建てようとするとき、親が頭金を払ってやるみたいなのと同じ感覚だと思う。
桜井: 親も子も、家というのは一生のものだと思っているんですよ。
広岡: そうだよね。
あわや: そこの問題を突きつけるのは、やっぱり今、結婚しなくなった日本人ということなんだと思うのね。それでは家が存続できないわけだから、何のためなのかと。
 たとえば女であれ男であれ、一生シングルで過ごすとしたら、自分の老後とか自分の何かが1番心配じゃないですか。そうすると、仕事を持ってなきゃいけないし、しっかり自分で自分を支えていなきゃいけない。
 そうすると、今の30代の親、40代の親は、女の子でも男の子でも、とにかく自立してくれないと、これから先が危ないよと。そういうところから、女の子もやっぱり仕事をしなきゃいけないということの現実感は相当出てきてると思うんですね。
 それを相変わらず、女の子は女の子らしく、結婚するまで性的自立も経済的な自立もないように育てているとしたら、現実感覚としては相当時代錯誤だなと思う。


フェミニストは感情的?
桜井: とくに女の子を育てるときに性的な自立を言うと、母親たちはすごく躊躇する。
 私なんかは子どもに、経済的な自立と、もう1つは「男っていうのは、一緒に暮らさないとほんとのところはわからないから、何度でも一緒に暮らしたらいい」と言ってきた。いろいろやってみて、それで「ほんとにこの人としばらくつき合えるかなあ」と思ったら、子どもを産むとか、その次のステップを踏めばいいと。高校時代から1人暮らしし始めたから、そう言ってたわけですよ。
 だけど、そういうことを言うと、寝た子を起こすみたいだって、普通の親は嫌がる。「女の子にそこまで言ってしまっていいの?」とか「妊娠したら、どうするの?」とか。
 私の職場ではティーンエージャーのために『産婦人科のかかり方』というビデオを作ったりしてる。それこそ性的な自立だろうと思うんだけど、獲得できるように伝えなきゃいけない。だけど、それをやっている家庭というのは、とても少ないと私は思う。
あわや: お話を聞いていると、桜井さんはそういう意味では、新しい女の子像を育てていると思うんだけれども、その育てている自分と、外とのいろんな摩擦はないんですか。
桜井: 彼女自身は、ちょっとよその家庭とは違うなあと思うけど、これが”当たり”かなあと思ってる。私もそう思う。いろいろ言われるけど、でも、これがやっぱり当たりだろうと。だから、ほかのやり方をあえてしたいというふうには、全然思わない。
村瀬: 後ろ指をさされたことはない?
桜井: ありますよ。小学校のときに「こういう育て方をすると、思春期になったら屈折して変になるよ」って言われたし、「高校へ行ったら、こういう子は大変よ」「こういう子はすごく無理してる。20過ぎるとそのひずみが出てくるよ」ってずっと言われたんだけど、この子は大丈夫。全然そんなことないのよ。
広岡: 僕も育て方は似てると思うんだけど、「素敵ね」と言われることのほうが多いんだ。男だからだよ、たぶん。
村瀬: いや、僕は後ろ指、さされっぱなし。
広岡: 僕は大学教授だしね。それも大きいと思う。
村瀬: あ、そうか。社会的な認知がされてるからね。それはあると思うよ。
広岡: うちの娘たちは大学1年生と高校2年生だけど、この子たちは、かわいくないって言われるみたい。
 傑作なんだけど、上野千鶴子さんが娘の高校の講演会に来たとき、男子生徒たちは一様にものすごい反発をして「なーに、あの女。殴ってやろうかと思った」って言うんだって。そのとき娘が言うには「男の子たち、みんなばかだと思った」って。そのぐらい、ものすごい鮮やかな落差がある。
 彼女は割とチャーミングなほうというか、フェロモン派の要素を持っているから、嫌われたり憎まれたりはしないんだけど、それでも「おまえ、かわいくないよな」って冗談半分には言われるって。「私がかわいくなくて、何が悪いのよ」って返してるらしいけど。

広岡守穂氏
 だから、上野さんみたいな発言のときに、家ベッタリ派の親の中で育ってくると、やっぱり女の子でも「私、この人、違うと思う」という見方をするんじゃないかしら。
桜井: そうかもしれない。私もこの間、慶応の湘南キャンパスで200人ぐらいの学生(男の子は6割ぐらい)に話をしたら、男の子はすごい反発。ワラ人形に「桜井」とか書いて五寸くぎを打たれてるんじゃないかって思うぐらいの視線が返ってきたわよ(笑)。
 それで女の子は、終わったらそばに寄ってきて「桜井さんみたいに頑張りたい」とか、いろいろ言ってくれるわけ。
広岡: 僕も桜井さんも、言ってることはほとんど変わらないんだと思うんだよね。ただ、僕は男の立場であって、女性の直面する深刻な男性社会に対する告発みたいなのがないからだと思うんだけれども、男性の中で僕の話に共感してくれる人は、「女性のフェミニストみたいな感情的なところがなくてすごくよかった」(笑)と、言うわけ。
桜井: 上野さんなんかは、きわめて論理的に言うんだけどね。
村瀬: そこに性差みたいなものというか、同じ言葉を、男が言った場合と女が言った場合とのダブルスタンダードがあると思う。
 そしてたぶん、そういうダブルスタンダードは、自分の息子や娘にも向けられている。同じ問題だと思うんです。
広岡: 家庭の中の性差について、学生に一度自由記入方式でアンケートを書いてもらったことがあったんですね。すると、兄がガールフレンドに電話をしてても親は何も言わないのに、私にボーイフレンドから電話がかかると、父親が電話の周りをウロウロするとか、相手について根ほり葉ほり聞くとか、そういう話がいっぱい出てくる。
 それと、1番おもしろかったのは、男の子だったけど、父は僕らきょうだい(女の子もいる)が小さい頃から、母を家の中のことでは自由に使っていいということを、暗黙のうちに教えていたような気がするって。わかるでしょ?
桜井: わかる。専業主婦っていうのは、そういう存在なのよ。
広岡: まあ、そう言ってしまえばそうなんだけど、おそらく、共働きでもそういう面のしっぽはひっぱっているでしょうね。
 それを見て、子どもたちは育たざるを得ない。そうすると、お母さんを、自分の用事について使ってもいいみたいな行動が出てくるわけでしょ。それをまずチェックすることが大事だと思う、今は。
 家の中のことでやたらに誰かの役目を決めちゃって、この人は家の中のことを全部取り仕切るんだということを、まず取っぱらう必要がある。
村瀬: 旭化成の共働き家庭研究所のデータでも、母親が意識的に「家事に協力させる」というのは、1割いるかいないか。だから、親がジェンダーを再生産しているケースがものすごく多い。
あわや: 働いている母親でも、ジェンダーから抜け出せないことが多いのよね。


媚を売るのも文化
 村瀬: 話を戻して、ある種の文化の中で、どういうふうに気を引けば、自分が有利に生きていかれるか。それは1つには、媚を売るということも含むわけで、その媚を売るということは、今度は、性を超えて、男もそういう社会になれば、媚を売ることによって結構生きていかれるということだと思う。
 だから、性差を言う場合に、ついこの間も新聞に出ていたピンクやブルーの色の話でも、ただ社会的に刷り込まれて差が出てくるんだということでしょ。そういうものが制度になった瞬間、文化になった瞬間に、区別が差別を生み始めるということではないかと思うんです。
桜井: さっきの、媚を売るというかフェロモン派というのは、私は文化的なものだと思うのよ。だから、それを生物学的なところの何かの解釈でやるのはちょっと違うんじゃないかなと思っているのね。だって、何が気に入られるかというのは、その文化によってだいぶん違うじゃないですか。昔は、どーんとした、いかにも母性みたいな人が好かれたけれども、今だったらもっとほっそりした人でしょ。お嬢さんたち、みんなどんどんダイエットをし始めるわけだから、そういうのは私は、やっぱり文化だろうと思うのね、生物学的なものよりもね。
村瀬: それは男が見る目を通して女が変わり、女が見る目を通して男が変わる。
桜井: そうよ。それが文化だろうと思う。
村瀬: だから、性差というのは、おそらくある自然と文化という対立概念がもしあるとすれば、それはグラデーションになっていて、その中間のグラデーションのあたりの成長期、中学生あたりまでに、子どもたちはその文化を刷り込まれてしまうんだと思う。
広岡: いや、そこは割と早いと思う。幼稚園ぐらいからしっかりあると思う。
桜井: そのことは、どこまでがグラデーションの境目かということを議論しても、わからないからしようがないと思うわけですよ。


持たざる者の自由さ
あわや: 今までの話を総合して、私なりに考えてみると、どうしても男の子の考え方が非常に単一のようで、まとまっているわけです。ガッとまとまっちゃってる。女の子のほうは、フェロモン派になってもよければ、キャリア派になってもいいしという選択の幅を、比較的小さい頃から見てるような気がする。
桜井: というか、私、それは「戦略」だろうと思うんですよ。男の子は、今のお父さんたちのやり方をやってたほうが楽なんですよ。つまり、今の男社会の中での既得権、いろいろ持っているのをやっぱり手放したくない。だから、お父さんたちのやり方をそのまま踏襲する。
 だけど、女の子たちは、このままじゃ割を食うなというふうに思っているわけですよね、どことなく。そうすると、どういうふうにしたらこの男社会で私は幸せになれるのかを小さいうちから考える。そのときに、キャリア派に行くのか、フェロモン派に行くのかという、女の子たちの戦略だと思う。

桜井陽子氏
村瀬: 男にフェロモン派がいないのは、男はフェロモンを分泌しても食っていけないからだというのがあるよね。それが男の性役割としての規定のされ方であって、僕は、両方持ってたほうがいいと思うんだけれどね。
 つまり、さっきの男の子にしろ何にしろ、たとえばアメリカの親は、経済的な自立と性的な自立を、子どもを育てる目的として意識していて、トレーニングしていくわけですけど、日本の場合はそうじゃない。
広岡: 漠然とした印象なんだけれども、女の子のほうが、小学校5、6年ぐらいからすごく元気になるでしょ。今は、男の子の優秀な子はみんな私立へたくさん抜けていくから、公立の中学校もそうだけど、高等学校も都立なんか、女子生徒が、昔に比べてすごく元気なんですよ。イニシアチブを握ってる感じ。
あわや: それは図式で言うと、女の子は元気で、男の子は元気じゃないというんじゃなくて、さっきの選択肢の問題なんだと思う。それがサバイバルであろうが何であろうが、新しい女の子像、新しい男の子像を考えた場合に、やっぱり圧倒的に女の子のほうが選択肢もあるし、非常に前向きにできるわけよね。
桜井: いや、選択せざるを得ないんですよ。
あわや: そうそう。せざるを得なくても、期待されないぶん、自由であるから、どうにでもなるという自由が、女の子にはある。
村瀬: それは持たざる者の自由なんだよね。
桜井: 女の子は絶えず問いかけられるわけですよ、大きくなったら何になるのって。だけど、男の子は結婚と仕事ということの選択肢をどういうふうに組み合わせるかということについては問いかけられたことがない。だから、考えるチャンスが全然ないと思う。
村瀬: 結婚と職とを2元論では考えない。
あわや: 対にはなってる、確かに。
広岡: 結婚と仕事の話は確かにわかる。それに、男の子のほうが勉強しなくても卒業すればどこかに就職先があって、いずれ妻子を食わせるだけの給料をもらってということが保証されているしね。
 だけども、そのぶん余計に、何になればいいんだろうかという悩みは、ぜいたくな悩みかもしれないけど、男子学生のほうが強烈だと思う。女子学生はある面、割り切ってて、とにもかくにも食わなきゃいけないんだから、資格を取るとか、公務員試験をやるとか、こうなっちゃう。
桜井: さっき、あわやさんが言った選択肢についてだけど、女の子たちは就職ということを考えるときに、中断再就職しようか、子どもを何人産もうか、それと仕事の関係をどうしようかというふうに考えるわけですよ。就職試験でも必ず「結婚したらどうする?」「だんなが転勤になったらどうする?」って問いかけられる。そのたびに、私の人生はこっちというふうに考えていく。
広岡: それが今、あわやさんが言ったように、自由に見える。
あわや: 私は、そこまで具体的に考えない。もっと前の段階の、女の子、男の子という段階のことを言っているわけ。つまり、突きつけられて考えるんじゃなくて、何か周りを見たら、働いている女の人もいれば、そうじゃない人もいる。そういう他人の生活が情報を通じて見えるじゃないですか。だから、小学校5、6年の子たちにしてみると、昔に比べたら圧倒的に女の子のほうが自由な思いで生きていると。
村瀬: 小学校5、6年のことを考えると、確かに、ああしたい、こうしたいという夢の主観的選択肢は女の子にあるんだけれども、男の子のほうは、やっぱりとりあえず大学に入らなきゃというのがある。
 ところが、女の子には主観的選択肢はあるんだけど、実際、世の中に出てみると、客観的な選択肢というのは大変限られてきちゃう。そこでまた、いろんな問いかけが始まるわけだよね。結婚したらどうするか、子どもを産んだらどうするかと。
 ただ問題は、それを子どもたちが結構、先取りしてるってことではないかと思うんですよね。つまり、大きくなったらどうなるかというようなことを。
広岡: だいたい5年生くらいにそういうことを言い出す、娘たちは。まず「私は結婚したくない」と言い出した。「どうして?」と聞いたら「だって、お父さんとお母さんを見てると、お父さんはお母さんを支配してる」って(笑)。「ええっ」と、思わず声がのどに引っかかっちゃったんだけど……(笑)。
村瀬: マジになったりして。
広岡: ほんと、マジになっちゃった。こっちもね、まさかと思ったものだから。「だけど、このお父さんよりほかのお父さんはもっとひどいよ」って、思わずのどまで……(笑)。


女の子のほうが規制が強い
桜井: 男の子と女の子の規制のどっちが強いかの話なんだけど、娘は、高校1年からアパート借りて1人暮らしをしてた。だけど、やっぱり大家さんが高校生の女の子の1人暮らしに貸すなんてまずない。それはもう結構、苦労だったようです。
 それと、周りの反応も「よく高校生のお嬢さんに1人暮らしをさせるわねえ。何かあったらどうするの」という感じなわけですよ。だけど、それはもうその子がどう対処するかっていう力をつければいいわけですよね。
あわや: 私なんかも娘が、寮制の学校に行きたいって、小学校5年のときから言い出した。そしたら、周りのおばなんかが「やっぱり女の子は手元で育てなくっちゃ」というふうに、必ず言ってくるのね。ある種の子どもたちは早く離れていくという現象があるんだけど、周りは性差で言っちゃうの。
桜井: 娘は、周りのクラスメートが「うらやましいね」って言うから、「やれるもんならやってごらんよ。誰にでもできるもんじゃないんだから」って答えた。そうだと思うのよ。自分でご飯をどうするかとか、3食考えなきゃなんないし、洗濯物をどうするかとかもね。それはやっぱり、子どもの力次第よね。
 ただ、今親が合計特殊出生率でいうと1.5人しか子どもを産まないし、豊かになってるから、子どもを構いすぎる。子どもが本当に伸びようとしている力を、どんどん親が手をかけることによって摘んじゃってるんじゃないかと思うのね。
 私なんか割合、主張がはっきりしているし、それから連れ合いも割と同じような価値観を持っているから、同じような価値観の大人が2人して1人の子どもに、うわーっといったら、この子、つぶれるというふうに思うわけですよ。親の価値観に飲み込まれちゃうんじゃないかと。だから、なるべく影響力が少ないようにということで、そういう意味でも私は1人暮らしはよかったと思ってますね。
 娘は小学校の4年から6年までは父親と暮らして、中学の3年間は私が母子家庭をやってました。もう中学生になると、うちではしっかり家事要員ですね。私が稼いでいて、子どもは家にいるわけだから、疲れて帰ってきて、洗濯物が取り込んでなかったり、ふろが沸いてないと、すっごい機嫌が悪くなって、「誰に食わせてもらってんだ」って、言うの、私が(笑)。
村瀬: それは反則なんだけどね。もろ、おやじだな。
桜井: ほんとに。でも、それはねえ、同じ屋根の下に住んでいるもう1人の人がとっても大変な思いをしているってことを感じ取る力というのが、やっぱりほしいと思うの、子どもにも。
村瀬: そうか。
桜井: それは要求しなきゃいけないと思う。今の子どもって、親にとことん甘えきってる。親も甘えさせているから、親にはそういう気遣いしなくていいと思っています。
 それで、高校へ行ったら「1人で暮らしたい」って。それは1つには、2人分の家事をやるよりも1人分の家事のほうが楽だと思ったという見方もあるのよ(笑)。
村瀬: それだったら即物的だ。そりゃそうだ。
桜井: それで、大学に行ったら、同棲を始めたんだけど、娘はご飯作るのが好きじゃない。だから、料理が上手な男の子と一緒に暮らし始めたのよ。
広岡: あれも個人差だね。


理想は、両面性を持つこと
あわや: それに呼応して、男の子を育てるということで、今の時代、どうですか。
村瀬: 桜井さんが言ってたのを、まったく男の子、女の子を入れ替えると、うちの子どもになるんですよね。小学生の頃からみそ汁の作り方みたいなものは、将来役に立つというよりも、とにかく俺たちが忙しいからやってもらうという目先のことで覚えてった。でも、結果として、経済力がないだけで、生活技術的にはどこへ出してもやっていかれるという感じはあるわけね。
 理想の子どもというのを考えてみると、俺、よかったなと思うのは、ある意味で、男の子は放っとけば黙って男の子になっていく、そういう社会だと思うのね。僕らは、できるだけいい男の子になってもらいたいから、男気という面では、彼らの男気を評価する。まあ「男気」という言葉は使わないけどね。それからもう一方、女性に分担されている分野も自分の身につけていくというようなこと。

村瀬春樹氏
 だから、理想的に言えば、ジェンダーを解体して両面性を持っていくということが僕は1番いいんじゃないかなと思うし、僕自身は出産に立ち会ったのがきっかけでそう生きてきて、とても楽になったという感じがあるわけです。立入禁止の場所に踏み込んでいって。
 たとえば、男は一歩、外に出ると7人の敵に出会うみたいなことを言うわけでしょ、昔から。ところが俺、家庭責任を持ち始めてようやく、ある意味では女性の視点みたいなものを持ってみて気がついたんだ。女性の視点がなければ、世界の人口の半数以上を敵に回すことになる。7人どころじゃなくてね。
広岡: 見方が7人とか(笑)。
村瀬: だから、そういう自分の世界が広がった経験をもとに、子どもたちにも、僕が見たもう1つの目みたいなものを広げていきたいなという、かなり意識的なものがあった。
 仕事人、職業人として考えても、両面性を持っている人間が、おそらくいい仕事をなし遂げていくんじゃないかなと、楽しみにしているんですよね。
広岡: 僕は、もともとものすごく女性蔑視みたいなとこがあったんですよ。男は縦のものを横にもしないんだみたいな。
 それが変わった1番でかい出来事は、学生結婚したことじゃないかな。こっちはぶらぶらしてて、向こうにすぐ子どもが生まれちゃって大変だったから。
 それで、子どもとのつき合いを考えてみると、5人が5人、全部ばらばらだったなあと思ってる。
 長男とは、受験勉強につき合ったりもしたし、心のつながりがものすごく深かった。それだけに、中学校に入ってから父親に対する反発がすごく強くなったんです。それは僕にとっては思ってもみない展開でショックだった。子どもが自立していったときの「空の巣症候群」って、きっとこんなもんなんだろうなと思ったもの。
 長女は、硬派でかわいくない女なんですよ。どっちかというと、正義感が強くて、男の子が言い寄ってくるのが、どうもあんまり好きじゃないみたい。
 2番目の女の子も自立派なんだけど、彼女は結構フェロモン派。上野千鶴子に反発する男の子を見下したりするくせに、短いスカートをはいて太ももを見せるようなとこがある感じのタイプ。
 3番目の娘は、上2人のお姉ちゃんを見てたせいか、小さい頃は「私、専業主婦になる」と断言してた。この頃は言わなくなったから、自分の考えは間違ってたと思ってるみたい(笑)。
 5番目が1番、男の子、女の子分け隔てなくやってる。女の子の友達もたくさんいるし、男の子の友達もたくさんいて、女言葉も使うし、男言葉も使う。喧嘩になると女言葉になるんですよ、「何、言ってんのよー」って(笑)。
 僕は、まったく分け隔てなしだったと思うんだけども、個人差はやっぱりあると思う。ものすごくある。
 それで、親の思うようには子どもは育ってくれない。ただ、親が引いた基礎的な条件の上にはやっぱり乗っててくれる感じはしてる。
桜井: それはそうだと思うのよ。
広岡: それに対する反発もある。だから、長男なんかは時々、「男は家事なんかしなくたって、いいんだよ」って言うことがある。それを聞いて、連れ合いがかりかり怒るんですよ。でも、あれは明らかに虚勢で、「俺はやっぱり今から男をやって、ちゃんといい女を見つけて結婚するんだよね、恋もするんだよね。ある種の伝統的にあるカルチャーとしてのアイデンティティーみたいなもので男っていうのを自覚したいんだよ」みたいなところがちょっとあるんだと思う。
 だけど、現実の結婚生活に入ったら、おそらく、親の敷いた条件へ戻ってきてくれると思っている。相手の女性次第だけどね。
村瀬: いろんな個人差があるんだけど、その中で、チェック・アンド・バランスというか、親にも多様な考えがあるし、いろんな多様性の中でいつも議論をしたり、それから対立というか、そうじゃないんじゃないかと言っていくような関係だったら、それは考える契機になるよね。
 だけど、そうじゃなくて、たとえば世間と同じ価値観が親たちに貫徹していた場合、子どもたちがそういうふうになっていけば、全然問題なしとしてそのまま行ってしまうわけでしょ。それが俺は今、日本の家庭の弱みかなって思う。
桜井: 私、今の子どもをめぐる環境がすごく画一的だなあというのは、親も、たとえば学校なんかに価値を置きすぎると思うわけですよ。登校拒否とかにしても、うちの子なんかは、学校に行きたくないということが何度もありましたよ。
 でも、学校だけがすべてではないということを親が子どもに少しずつ伝えていれば、「あっ、そうか。ちょっと疲れたときは休もうかな」みたいに、子どももほっと一休みできるんじゃないかと思うんだけど。
村瀬: 子どもってやっぱり、ものすごく悔しい思いをしてるってことですよね。小学校なり中学校なり、友達の輪の中で。だから、親が子どもと同じ質の悔しさを共有してると、普段仲が悪くても、1番基本的なところで何か通ずるものがあるんじゃないかなと。
 下の子が中学3年生のとき、進路指導で自分が行きたい高校よりも下を勧められたわけね。子どもは、ずっと拒否してきている。それで親が2人で行って、がんがんやった。「冗談じゃない。こっちに任せろ」って。「落ちたら、それは先生の責任じゃなくて、それは彼自身の責任だし、あとの展望、経済的な面は俺たちが引き受けるから」って。で、結局、物別れで、俺は「勝手に申請するから」って言ってきたんだ。
 だから、性差も含めるんだけれど、子どもたちには個体差がある。男の子でも仕事をしたくない子がいるかもしれないし、女の子でも本当に男以上のキャリアを積みたい人があるかもしれない。そういういろんな個体差を抱えている中で、つぶされかかったときに子どもたちが感じる悔しさを、僕ら親が共有する。僕の場合は、そういう感じだった。


試行錯誤できる家庭を
あわや: 全体的に話を聞いていて、ジェンダーを考える場合、1つはやっぱり、どういう家庭であれ、家庭が基本だということが、はっきりしていますね。
村瀬: と同時に、家庭がいくら頑張っても、社会というものは、もっと大きな力を持っているというのも残念ながらあるけどね。
広岡: 最近、子どもたちを見ていると、男の子らしさ、女の子らしさにはあんまりこだわらなくなってきてると思う、傾向としては。
 ただ、両親の側に女の子らしさ、男の子らしさがあって、それを子どもたちは意識しないままに受け継いでいるんじゃないかな。1番それが出やすいのは風俗的な面。
 僕が娘に指摘されたのは、ピアス事件。実は、長男が高校を卒業してすぐピアスをつけた。僕は、よその男の子がピアスをしててもちっとも何とも思わないし、本人の自由だということもわかっている。でも、自分の息子のピアスは嫌だったわけ。
 それで、僕がどれくらい嫌かを示すためと思って、「取るんだっ。とにかくそんなものは取れ。別々に生活しているのなら構わないけど、一緒にいる限り取れ。毎日毎日、おまえのピアスを見て不愉快な気持ちで生活するのは嫌だ」と気合いを入れて言ったの。
 まあ、取らずに頑張ったら「どうぞご自由に、嫌だけど我慢します」って下がるつもりだったけど、彼は取っちゃったんですよ。
 それからあと、娘たちがすごい反発。「お父さんはおかしいんじゃないか。古い」ってわけ。それで3人が「お父さんさー、もし私がピアスつけたら怒る?」って(笑)。
桜井: お父さん、怒る?
広岡: そう言われた限りは、そう言わなきゃ、「怒る、もちろんだ」と(笑)。このあたりが難しいところだと思う、権力の行使と内面の自由という問題があって。
 でも、嫌だと思う気持ちは嫌なんですよ。そりゃそうなんですよ。その気持ちはストレートに伝えたい。僕はそれを、相手に自由がある、権利があるからって、止めたくはないんです。
桜井: だから、何が嫌かってことなんですけど、私は子どもが専業主婦になると言ってきたら、「それだけは勘弁してほしい」って。どうしてもと言うのなら「20か18になったら、出て行ってほしい」って言う。私は家というのは一過性のものだと思っているから。
あわや: だから、そのときは自立した形でやってほしいということね。
桜井: だけど、やっぱり経済力を持たないで、男に頼って男の給料で食べていくという生き方を選ばれるのは嫌だと、私は思う。ともかく、それが私は不愉快なんですよ。
村瀬: 誇りの問題だと思うな。
広岡: じゃあこれからは、そういう不愉快さは子どもにストレートに伝えよう。
あわや: つまり、それは桜井さんが、なぜ子どもと一緒にある時期まで共存するかというものの核なわけ。それが桜井さんの女の子の育て方なわけですよね。
桜井: そう。それの核。
あわや: だから、桜井さんの場合は、そういう家庭の中で、世間から見れば新しい女の子を育てていくんだと。
広岡: うん、そのほうが望ましいんだと思う。
あわや: 今の時代というのは、昔と比べたら性差とか性的な分業みたいなものはなくなりつつある。もちろん、フェロモン派がいたり、キャリア派がいたりするんだけれども、今の時代だから逆に、自分の家庭を変に社会から守るということではなくて、桜井さん的に言うと、一時的な鍛えの場みたいなものと考える。その鍛えの場の中で、自分がどういうふうに男の子を育てていくか、女の子を育てていくかということですよね。
広岡: それが親の責任だよね。
村瀬: 僕の場合は、ピアスじゃなくて、バイク事件があるんだ。下の子が高校のとき、僕らは断固反対したんだけど、それを押し切って50tのバイクを手に入れた。結局、2週間後に接触事故を起こして終わったけど、どんなに親が思おうと、子どもが始めちゃったらそれは止まらない。最終的に判断するのは子どもだと思うのね。
広岡: それはとても楽しみっていうか、半分は怖いけどね。
あわや: 本当言うと、それが子どもを育てるときの基本なのよね。つまり、私たち親は、あるいは赤の他人でもいいんだけれども、周りにいる人間は、何もできない。時間と空間を与えるということしかできないし、性差に関しても、これはだめ、あれはこう、こっちはいいということってなかなか教えられないんですよね。
桜井: 1つひとつ教えてもだめなんです。モグラ叩きだから。だから、やっぱり基本を教えとけば応用できる。
あわや: 試行錯誤できる家庭であるということ、それが親のやることなんだろうなという感じがしますね。

(さくらい・ようこ ジャーナリスト)
(ひろおか・もりほ 日本政治思想史・家庭論)
(むらせ・はるき  エッセイスト)
(あわや・のぶこ  異文化ジャーナリスト)

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