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学校はクロスカルチャーにどう向き合うのか?〉

秋山 剛×白水繁彦×渡部 淳
(司会)あわやのぶこ


多様化する在日外国人
あわや:  きょうはエスニック文化の研究者である白水先生、異文化間精神医学者の秋山先生、そして学校現場からは帰国生の多いICU高校の渡部先生にお集まりいただきまして、クロスカルチャーを生きる子どもたちの状況や学校の取り組みの可能性などを話していきたいと思います。
 まず、人口の話をしますと、今、日本の外国人登録者数は百四十一万人ほどいて、十年前に比べると約六割増えています。また日本から出ていく人口もある。十年前と比べて、やはり目覚ましいほどいろいろな人びとが日本に住んでいるということをまず認識すべきだなと思います。最初に、そうした現状を白水先生にうかがってみたいのですが。
白水:  今、百四十万人前後とおっしゃいましたが、実は三十万人近い非登録外国人もしくは未登録外国人がいて、それを合わせると百六十万人以上いると言われています。八十年代半ば以前の在日外国人は、在日朝鮮人、在日韓国人、在日中国人の方が主体でしたが、それ以降、いわゆる「ニューカマーズ」と呼ばれる人びとが急激に増えまして、国籍・民族・人種が非常に多様化しています。つまり、東南アジア、南アジア、中央アジア、そして南米という、今まで少なかった地域の人たちが増えた。だから、それぞれのエスニック集団も一枚岩でないし、同じエスニック集団の中の子どもも一枚岩ではない。細かく見ていかないと、ひと口では言えない状況にあります。


異文化を生きる子どもたちの実情
あわや:  では、今のお話にあったような状況をふまえて、子どもの問題に入っていきたいと思います。秋山先生は「東京英語いのちの電話(TELL)」に関わっていらっしゃいますけど、子どもの問題についてはどんな相談が多いんですか?
秋山:  一つのパターンは、帰国子女の子どもがかけてくるケースですね。相談者の中でいちばん多いポピュレーションは北米ですが、次に多いのは日本人なんです。
あわや:  日本人が?
秋山:  ええ。帰国子女の場合は、外国生活経験があって日本に帰って来たとき、典型的な日本人というか、ずっと日本にしかいなかった日本人とうまく合わない。国際結婚の子どももそうですが、一種の疎外体験とか仲間外れ体験をもつ。そういう相談が多いですね。
あわや:  帰国生のもつ問題となると、渡部先生は身近だと思いますが?
渡部:  そうですね。帰国生とひと言で言っても状況はとても複雑で、例えば、帰国直後にふつうの中学校に一時的に入ってその後ICU高校へ来た帰国生の場合、ICU高校に非常に解放感を感じるんですね。一方、国内の中学の出身者で、英語文化にあこがれてICU高校へ入ってきてはみたものの、それまでの学校英語と生活言語としての英語との落差が大きくて疎外感を感じる子もいます。ただ、それは単純に図式化した場合であって、様相はもうちょっと複雑です。
あわや:  と言うと?
渡部:  外国の学校文化をちょっと斜めに見ていた生徒も結構多いんです。とりわけ、現地校の中に日本人が非常に固まっていて、日本の文化をそのままもっていって暮らしていたような人たちは、外国にいたけれど本当のアメリカ式の学びにあこがれて帰ってくる。ICU高校でディベートやプレゼンテーションをやると、いきいきとしているんだけれど、実は自分にとっては初めての向こう式の勉強だったということもあり得るんです。
秋山 剛氏
あわや:  外から見て帰国生だといってひと括りにできない……。
白水:  何歳くらいで日本に来るかというタイミングの問題ですね。例えば、出稼ぎに来たブラジル人が、滞在が長期化したため家族を呼び寄せます。子どもがまだ小学校低学年の場合は、比較的日本の小学校にすんなり入っていけるんです。学校文化に対するエンカルチュレーション――文化化が終わっていませんから……。しかし、小学校の高学年とか中学年で来た人たちが大変なハンディを背負うんです。
あわや:  具体的にはどんなことですか?
白水:  北米も南米も、公教育、義務教育はお昼までと決まっていますが、日本だと六時間目だ、クラブ活動だといって拘束する。それに耐えられない子がいっぱいいます。小学校高学年で日本に来た子は、ある程度自分ができていてプライドがある。自分がこれまで獲得してきた文化を否定するような授業が行われたりすると、やっぱりカチンとくるんですよ。そのために自分が落ちこぼれていっていると思う子どもは学校へ行けなくなる。学校も追いかけてまで「学校に来い」とは言わないし、本人たちも、どうせ帰るんだから、ここで日本の勉強をしたって意味がないと、自分をエクスキューズできますからね。
白水繁彦氏
あわや:  今のそれぞれのお話は、アイデンティティの形成に絡んでいますよね。または何にどう適応していくのかという……。
秋山:  何が適応かというのは難しいんですけれども、自分がやりたいこと、または勉強や仕事という、やらなきゃいけないとされていることがある程度のレベルでできていて、かつ精神的・身体的な症状がなくて、自分はこれでいいんだと思えていれば、それが「適応」ということになると思うんです。ただ適応能力には現実として個人差があって語学能力一つとってもばらつきや幅がある。
あわや:  例えばニューヨークからの帰国生は、ニューヨークの雰囲気を全部持ち込まないと周りが認めないということもありますよね。適応にも個人差は本当にありますし、適応しないことも一つの個人の文化だとも言えますしね。
秋山:  外国に行ったらこうならなければだめだとか、親や学校なりが子どもにイメージを押しつけるとかわいそうだと思うんです。親も子も限界があるのが現実ですから。


親の文化と子どものアイデンティティ
白水:  実は、出稼ぎに来ている人たちはブラジルの中で比較的高学歴層なんですよ。いっぽう、日本での仕事はほとんどが単純労働。だから向こうとこっちでは社会・経済的地位の落差がすごく激しい。そういう親の不満や達成できない感覚は、どうしても子どもに反映しますから、その中で勉強をある程度できなきゃいけないなんていうのは、ふつうの日本の子どもの出さなきゃいけないエネルギーの何倍も必要とするんですよ。
秋山:  あるいは親に適応能力がなくて、子どもの方がすいすいと日本の学校に適応できる場合には、今度はむしろ取り残される親とのギャップが出てきますね。
白水:  それが在日外国人の場合は非常に大きな問題なんです。子どもが適応するということは日本化するということでもあるわけです。文化的に、そしてアイデンティティとしてもね。そうすると、親が違う人間を育てているような気になってしまうんです。
渡部:  うーん。
白水:  例えばベトナムから逃れてきた人たちの子どもたちは、日本の小学校に適応していくにつれ、日本語はうまくなるわ、いろいろなことを日本語で考えるようになるわで、今度はベトナムの文化を勉強したくなくなるんです。すると、親はすごく焦る。「おまえ、誇りあるベトナム人の子どもなのに、何だ、それは」と。それでベトナム語やベトナムの昔話を教えようとするんですけど、なかなか身につかない。さっきと同様、自分が何人として生きていくかという心構えが違ってきているからです。僕は、親としては一所懸命そういう教化をするのは悪いことじゃないと思いますが、当人の家庭内の問題としては非常に深刻なんです。
秋山:  親がノイローゼになるということはよくあるんですよ。親としての役割がなくなっちゃいますからね。
白水:  文化化(社会化)のエージェントは、子どもが小さいときはまず親ですからね。その一番核になるべき親の影が非常に薄いということは、アイデンティティの確立の際にはかなりハンディではないでしょうかね。親の側もつらいでしょうし。
渡部:  文化に適応するときの親の役割ということで言えば、家庭で現地文化をどう語っているかというのがかなり大きい。それから、欧米からの帰国生のケースで見ていくと、子どものほうが現地語に接している時間が圧倒的に多いために、ある時期から子どもが学校の文章を母親に翻訳してあげるとか、買い物の通訳をするようになるんです。すると家庭内の力関係も変わって、家庭での主要なアクターが子どもになり、それを通して親が現地文化に接するという形もあります。
秋山:  それと、期間の問題もあると思うんです。僕は文化的には短期適応と長期適応があると思っていて、短期適応というのは簡単に言うと腰かけですよね。二年から長くても五年ぐらい。とにかくその期間いて、終わったら日本に帰ってくると決まっている。向こうに行ったら言葉が違うとか、天気が違うとかいうのはこの短期適応の話で、これはいろいろなものが違うんだということを認知的に理解して、それをうまくこなして生活して帰ってくればいい。ところがいる期間が五年以上にもなると、やっぱり「友達も作らなきゃいけないし……」という形で、文化的同一性みたいなものが必要になってくる。
渡辺 淳氏


日本人化を押しつける学校文化
あわや:  このあたりで、子どもが適応していく場の一つである学校の話に入りたいと思います。先ほどのドロップアウトのお話に続けて、白水先生はどうお感じですか?
白水:  とにかく、日本の学校教育は「日本人になれ」「皆と同じであれ」ということを、口では言わないけれども、徹底して教えますね。ある地方の学校に入った外国人の子どもたちが言うんですよ。「なぜみんな、グリーンで二本ストライプが入ったジャージを着て学校へ通わなきゃいけないの?」と(笑)。九歳、十歳までそういったことを一度もやったことがない子どもたちにとっては、そんな日本の学校文化の中にほうり込まれるというのは、大変なことなんですよ。
あわや:  日本に生まれ育った日本人だけを考えてみても、小さいときに異年齢の子どもたちが一緒に遊ぶということがない。
白水:  学校にとらわれている時間が長過ぎるんですよ。六時間目までやって、クラブ活動をやって、いつ違う人とつき合うんですか。せいぜい塾へ行って、できる学校から来た人と一緒になって、おれは意外とできなかったとかとかいうことを確認するぐらいしかないでしょ?
 それも受験という目的だけの非常に特殊な状況ですからね。
あわや:  そういう意味では、まず最初の段階で異文化にぶつかり合う機会が少なくなったということなんでしょうかね。
白水:  全員日本人にならなきゃ、みたいなことが幼稚園に入った段階から始まるんですよね。外国人の友達が日本に来たときに、幼稚園の運動会に連れていったら、四歳、五歳児の行進を見て感動してましたよ。「しかも足がそろってる!」って(笑)。次に小学校へ行ったら、同じ色のブルマー、同じシャツを着たのがさーっと入ってくる(笑)。とにかく、社会学的に言えることは、そうやって日本人化していくということです。良し悪しは別として、見事な文化化のシステムなんです。
渡部:  今、運動場の話が出たので、トラックに例えて言いますけど、アメリカの学校は到達度別の授業になっているので、要するに実力別にトラックが分かれるわけです。最初に上位のトラックに入ると、大体小学校から高校までずっと上のトラックを走り続けて、上の子は下の子に口もきかないというんです。
白水:  うーん。
渡部:  これはちょっと極端なアメリカの進学校のケースですけれどもね。それで、日本のトラックはというと、運動場へ行くのに、まず教室を出たら直進するんですね。
白水:  全員、横並びでね(笑)。
渡部:  その道をずっと歩いていくと、進学競争の関門が待っている。与えられた学校の時間――学齢は皆同じに進んできますから、じゃあどこで差がつくのかいうと、速度なんですよね。つまり、いわゆる進学に強い学校は、学校の勉強の速度を速めていって、早くゴールに到達させることで学校のプレステージを上げていくという構造があるわけですよ。違う学校文化の子どもたちが、日本のトラックに入って来ると、結局はそこに適応していくか排除されるかのどちらかなんですね。


「わたしの文化」とは何か
あわや:  なるほどね。でも、一方では同化政策的なことがありながら、その裏では学校というコミュニティの一員であるという意識よりも、外国から来たお客さんだから何とかして先生が助けなきゃいけないという考えになっている。この辺が一番の問題点のような気がするんですね。
白水:  その子どもに対して特別クラスを設けて何かやるというのと、どうせお客さんだから放っていていいというのは、ふつうに扱ってないという意味では同じ構造でしょうね。でも、やってくれる先生がいた方がいいとは思うんですね。例えば横浜の熱心な中学校の先生は、仲間に働きかけて[母語を保証する会]というのを作っておられる。そこでは子どもたちにポルトガル語をボランティアで教えているんですが、校長も教室を貸してくれている。確かに、そこにいる子は運がいいという話になってしまうんですけどね。ほかの子もみんなそういう機会が保証されているというわけじゃないですから。
あわや:  そうですね。
白水:  でも、違う観点から見れば、その会は当事者のためだけではなくて、日本人の生徒のためでもあるだろうと思うんですよ。つまり、自分の文化をちゃんと見極めて、自分はこういう文化をもった人間になりたいと思って頑張っている人を見ない限り、日本人は自分の文化を考えないで済んでしまう。その先生たちは、ブラジルの子どもにはポルトガル語を教え、在日韓国人の子どもたちがチャンゴという民族舞踊を練習したいと言えば、場所を貸したりしているけれども、結局はその照り返しとして、日本人の子どもたちに、こうやって違う文化を一所懸命身につけようとしている人がいることを見せたいんじゃないかと思うんです。僕も行ってみて、「自分は何ができれば日本人と言えるんだろう」と考えてみたりしました。結局は違う人を見たときに自分というものを考えるきっかけになるんですね。
秋山:  いろんな国の子どもが、自分の文化はこうだ、みたいなことをやっていて、それを日本人の子どもが見て「じゃあ、日本人ならどうなんだろう」って思う。それで「でも、あいつらのこれがおかしい。おれは日本人のこういうのがいいと思うよ」と、自慢したり、反省したりできればいいと思いますね。
あわや:  つまり「日本の文化を……」と言われたときの、「文化」というのは何かという問題ですね。子どもたちは、日本人とは何かというのを教えられなくても身につけてしまっている。例えば、自分の友達がアメリカに行って二十年過ごして、もしかしたら日本語も分からなくなって帰って来るかもしれない。それでも、その人は自分と同じ日本人であるという意識、――国籍なんかで見るんじゃなくて、もっと根源的に人間が人間のストーリーに興味をもてることが必要ではないかと思います。そのためにも、やはり小さい頃から学校文化やコミュニティの中で、何らかの形でそういうメッセージを与えるべきだと思うんです。


学校を開かれたコミュニティに
渡部:  本当にそう思います。今あわやさんがコミュニティという言葉をおっしゃったけれども、学校自体がコミュニティなわけですよね。教師もいれば生徒も親もいる。ただ、日本の学校は透明性に対する脅迫観念が非常に強くて、違う人が入ってくるといろんな形で排斥しようとするわけです。例えばまったく逆の例で、アトランタに行った家族の話があります。最初の頃、向こうの学校の教師が親御さんに、「ご心配でしょうから、授業を見たかったらいつでもどうぞ」と言ったんだそうです。それで母親が子どもの様子を見に行ってみると「せっかくうちの学校に来た最初の日本人だから、ちょっと授業をやってみませんか」という話になった。
あわや:  親に授業を……。
渡部:  ええ。それでその方が、片言の授業を毎週一回、何と一年間やるんですよ(笑)。折り紙とか、相撲の絵を見せたりとか……。そこで何が起こるかというと、親は向こうの学校文化を理解するんですね。例えば、学校に行くと、子どもたちが入口にわあっと駆けてきて抱きつく。それで「そうか。向こうの学校というのは、ハグをして、スキンシップをしてから授業が始まるんだ」ということを知る。彼女が最も感動したのは何かというと、まず、一年間、わけの分からない親に授業をやらせる裁量を現場の教師が持っているということ。もう一つは、ほかの親たちが「なぜあの親だけ特別扱いするのか」と文句を言わないこと。日本の学校で外国人の親にコースをもって授業をやってくださいとなんてことをやるのは大英断でしょう。ところが、アトランタ郊外の田舎の学校では、それが当たり前のこととして行われている。
あわや:  懐の深さの違いですね。
渡部:  ええ。それで、そのお母さんは日本に帰ってきて、自分は何をしなきゃいけないかと考えるわけです。そして、日本に住んでいる外国人のお母さんたちがもっと活躍する場を日本の学校は設けた方がいいという働きかけが生まれてくる。そういう裏返しの教育といいますか、向こうのコミュニティを反転させて日本に適用したら、日本のコミュニティの固さや脅迫観念がもっとはっきりしてくると思うんです。
白水:  今のお話に関連して言うと、私の住む横浜市では、教育委員会がボランタリーな外国人を募って、小学校にその人たちの文化を伝えに来てもらう「小学校国際理解教室」という制度があるんです。僕の知り合いのフィリピン人女性は、それで月に一回いろんな学校に行ってフィリピンの実情を話して聞かせているんです。ところが、私の娘の学校には誰も来ていないようなので、おかしいなと思って、その女性に尋ねてみたら、「自分がどんなに行きたくても、校長が来てくれと言わなければ行くことができない」と。それで、教育委員会に確かめたら、予算の都合で希望の学校すべてには行けない状態ということでした。こうした予算こそ増やしてほしいですね。
秋山:  僕は、日本の国際化みたいなことを急にぱっぱとやり過ぎたときに、排斥とか揺り戻しをちょっと心配するんです。例えば「フィリピン人に話してもらったら、日本の子どもに悪影響が出る」と思っている校長先生もいるのかもしれない。大体、心理的に言うと、異なるものを排斥しようとするような人は、割と不安が高かったり、適応力の低い人なんですよね。そのときに、現実の場面で、「そうじゃなくて……」ということをどう伝えていけるのかということですよね。その人の不安をどういうふうに和らげ、異なるものに対してちょっと広がってもらえるには、どうしたらいいか。まあ、制度を作って、「クラスで必ず一回はフィリピンの人を呼べ」と言ってもいいんですけれど(笑)、適応力のない人に限って、何かあったら、「ほら、やっぱりだめだ。フィリピン人は全部だめ」というふうになっちゃったりする。
白水:  やっぱりあんまり大変な量でドーンといきますと、必ず揺り戻しとか反発が出てくるんでしょう。だけど幸か不幸か、今、日本に占める外国人の割合は、一・三%ぐらいで、たいした量じゃない。だから、いきなりクラスの八割が外国人になるという気遣いもあんまりないわけですよね。


教室が多文化化する日
渡部:  クラスの中の状況で言うと、この間オーストラリアに行ったら、三十人のクラスに十一か国の子どもがいたんですよ。それから、バングーバー中心部の小学校の先生は、自分の教室の八割の子は英語がよく話せないと言ってました。もし、今そういう状況に日本の教師たちが立ったら、耐えられないと思います。日本の場合は取り込み型だから、ブラジルの子一人とか、アメリカの子一人であれば対応できるんです。基本の学校文化に多様性を一個入れて、どこまでこなれるかなと、叩いてみたりして、角をとって、収まるところに収めるんですよ。四十人の中のこの辺に入れるという形になっている。
白水:  なるほど。
渡部:  日本文化って何だかよく分からないけど、強固な枠組みがあるんですね。今は日本に慣れるように親切にやってあげましょうとか、一個ずつ、あるいは一人ずつ連れてきて問題を解決していっていますけど、本当の多文化状況になったら、「これが日本だ」というのが、ほとんど成り立たないわけです。一目で見渡しても何人かわからないような人がうわっといる状況になる。
あわや:  一種のカオスですよね。
渡部:  そう。でもそのカオスに耐えるという経験をくぐっていかないと、なかなか個人のストーリーまで至らないんじゃないかという感じはするんですよね。
あわや:  確かにそうですけど、やっぱり教師が一番苦しむわけでしょう?
渡部:  ええ。だから、ある人数のところまでは、すごく良心的な教師が対応したりするんですが、十数か国もいたら、無関心にならざるを得ないと思いますね。毎時間、そこにいる十数か国の子どもすべての文化に合うように授業をするということは、ある時期からは放棄しないと成り立たない。
秋山:  いきなりそういう状況になったら、今の先生はパニックになるでしょうね。
渡部:  そうすると、いよいよ教育の本質とは何かを考えないと、そもそも日本人に対応した教育なんてことではもう成り立たない状況が来る。本当にそこまで来るかどうか分かりませんけれどね。
白水:  でも、今は年間千六百万人もの日本人が外国に出かけ、何十万人という人が外国に住むようになり、日本には百六十万人の外国人もいる。僕はそういった異文化体験日本人や在日外国人たちが、いきなり日本を変えるとは思わないんですが、日本人の中に徐々に耐性ができてくるだろうとは思うんです。「ちょっと気分悪いけど、それもいいんじゃないか」と、許容のレベルに行って、いつの間にか当たり前になる可能性を秘めている。
渡部:  そのときの違和感に対する緩衝材になるのは、やはり学校教育の中で若い世代が外国文化に対するある種の免疫性をもっていることだと思いますね。
白水:  確かに、外国人が入ってくると、「見ろ、こんなよくない文化までもってくるじゃないか」と、一部の人をとらえて全体を悪く言う偏見もありますから、緩衝材としての子どもたちの免疫性というのは、非常に大切だと思います。
渡部:  僕が問題に思うのは、異文化というときに、外国人がいろいろ教室にいるという多文化状況のことのみではなくて、少なくとも日本の子どもたちにとっては学年が一つ違うと文化が違うぐらい、横並びでところてん式に上がっていく状況なんです。異年齢集団の中でお互いに鍛え合うというような文化はなくて、あるのはクラブ活動なんかを通じての、先輩、後輩の関係――これも特殊な日本の文化ですけれども――だけ。ですから、個別の問題も実はもっと根が深い。相当大きな学校文化のずれの問題が背景にあって起こってきているのではないかと。だから、授業改革という問題から、授業を支える学校文化をどういうふうに翻訳可能なものにしていくかということを考えています。


個別と普遍をつなぐ学びを
あわや:  例えばそこで渡部先生は、多文化状況の中で、教師にはどういう資質が求められているとお考えですか?
 この辺でまとめを……。
渡部:  いや、全然まとまらない(笑)。今も五十か国の生徒が集まっていますけど、その中での自分のスタンスや方法を模索しながらやっていますから。ただ、授業もある種のプレゼンテーションで、多様なスキルをもっていないといろんな背景をもっている子を引きつけられないということは言えます。おもしろくなきゃ子どもは聞かない。だから、やはり教師は表現者として自分を磨くということが一つ必要じゃないかと考えます。
 もう一つは、学習者というか、新しい状況に対応できるような、学び続ける存在でなくてはいけないでしょう。学びの楽しさを味わうことを知っている教師が学びの楽しさを伝えられるのだから、自分自身が学習者として学ぶ楽しさを日常的に味わっていないとだめだと思います。今までは「これは受験に役立ちますよ」という功利性で教科内容を伝えていたんだけれども、学ぶことが楽しいとか、それによって自分が高まるという楽しさを実感しながら学んでいくというのが、学習社会の非常に大きなところだと思うんです。
あわや:  それは、教師だけに求められる資質じゃなくて、現代社会に生きる人間には必要かもしれませんね。
渡部:  ええ。学習者である教師というのはその学びの専門家だと思うんですね。三つ目に教師はファシリテーターとして、相談に乗ったり援助しながら生徒の生活に寄り添っていくということですね。一応僕は、学習者としての生徒に伴走するコーチだと言っているんです。ゴールに立って「あと十秒縮めろ!」とか言って命令するのではなく、一緒に走って、走ることのつまずきを除いてあげたり、相談に乗ったりする――これは汎用性が割合高い教師養成の概念じゃないかな。その意味では、たぶん秋山先生のような職業の資質をもった方が教師の資質の重要な一部を占めるようになるでしょうね。
秋山:  ちょっと理念的な言い方なんですが、異文化適応ということを私も十何年間か考えてきて、日本的であるということと国際的であるということとは二律背反なのかと思うんです。国際化するということは日本的なものを否定するとか排除することなのかと考えてみると、最終的には、日本的であることが同時に国際的でもあるというふうにどうやってもっていけるのかと。
渡部:  つまり、個別と普遍というのは別の概念ではなく、むしろ個別を通して普遍に至る道を探さないとグローバルエージの教育学というのは確立できないということですね。「いろいろ違いがありますよ」と言って並べてみてもなんにもならない。違うところを徹底的に突いていったら、そこから普遍的なものが見えてくるという形でないといけないと。それは、ボーダーレス化した状況の中で、人間として育つという教育の基本的な営みがなお貫き得るとしたら、何が教育の機能として最後に残るかという議論にならざるを得ないと思うんですね。と同時に、環境の問題にしろ、異文化間の衝突の問題にしろ、平和の問題にしろ、どこの国の人間も避けて通れないような共通の課題が見え始めていますから、そういう時代の教育とは何かという新しいフレームワークでもあるんです。
 つまり、戦後間もなくの頃、国連で言われた「世界市民」というものは非常に遠い理想の人間像のようなものだったけれども、今では僕のクラスの高校生が環境問題で議論している内容と、アメリカやオーストラリアの子が議論している内容は、そう違わないわけです。具体的なテーマはオーストラリア周辺の熱帯雨林の問題だったり、日本のダイオキシンの問題だったりするけれども、根っこでは環境問題につながっていく。そんな視点を、それぞれの国の生徒が個別的な事象を通して獲得していけば、それが普遍的なものに至るというような、構想力として教育をとらえていく時期に来たのかなという感じがするんですよ。
白水:  どっちにしろ、世界はいろんな文化で成り立っているわけだから、どこかに合わせるというわけにはいかないんですよね。だから、今渡部先生がおっしゃったように、これを身につけておけば、グローバリゼーションの時代でも生きていけるもの――違う文化の人に接したときにその人を攻撃しないで済むし、こっちも攻撃されないで済むだろうみたいな、「芯」になるようなものを身につければいいと思うんですね。例えば「基本的人権の尊重」という精神が血肉化しているとか。
あわや:  学校を取り巻く親や教師など、コミュニティの一人ひとりがその「芯」みたいなものをもっていれば、異文化の子どもたちだけでなく、「自分と異なる他者」を本当に受け入れられるのだと言えるのでしょうね。
 きょうは本当にありがとうございました。

(あきやま・つよし 異文化間精神医学者)
(しらみず・しげひこ エスニック文化論)
(わたなべ・じゅん ICU高校教諭)
(あわや・のぶこ 異文化ジャーナリスト)

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