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7月 愛するわが子を守るために

<心に生きる7月の絵本>
グリム原作/神宮輝夫
 日本語訳/モーリス・センダック絵
『ミリー』 (ほるぷ出版)


愛するわが子を守るために

 猛暑の中、夏休みに突入しました。体温と同じくらいの空気の中で、フウフウいってるお母さんも多いことでしょう。身にも心にも澄みきった水を補給して頑張ってください。すでに、夏休みとは無縁になっているわが家ですが、この夏は、社会人5年目の娘が体調を崩して休職し、社宅から家に戻り、何となくバカンス気分でいる呑気な母親の私です。

 見知らぬ男に子どもたちが次々とあやめられたり、花火大会見物に出かけて圧死したりと、思いもよらぬ悲劇に見舞われた子どもたち。痛ましさ、口惜しさで呆然としますが、一方では相変わらずわが子への虐待による事件。そして世界では、戦火や飢餓で命を落とす幼い命も多いのが人間の現実です。つい50数年前、日本でも、長崎や広島に限らず、多くの命が失われました。呆然とばかりしてはいられません。

 いったい、子どもたちを、わが子を守るために、私たちおとなができること、なすべきことは何なのでしょうか。

 最近、「母性本能とは、母なる女性に本来備わっているものではなく、教育や訓練によって身につくものである」という説があるということです。その根拠や成否はともかく、考えてしまいます。果して自分はどうであったかしらと。

 少なくとも、あまり立派な母親ではなかったし、いまもないのは明らかなようです。でも、子どもたちを愛してはいます。もちろん!

 ある夕方、家で休養している娘が,子どものころ弾いていたピアノのフタを開けて、ぽろぽろと弾きはじめました。その痩せた背中がやけに痛々しく思われ、つかえながら弾くドビッシーが妙に寂しく聞こえました。かといってどうしてやることもできません。

 私は相も変わらぬ呑気な母親のまんま、お茶をしてぺちゃくちゃお喋りしたり、いっしょに愛犬ハティと遊んだり、バカな冗談を言っては、娘に笑われたりしています。

 娘が「元気な花がいいわ」というので、ひまわりの花を買ってきて、娘の部屋に生けました。私自身は、涼しげなブルーのデルフィニュームか、真っ白いユリの花をかざりたかったのですが。こんなことも平和あってのことだと気づくのはなかなか難しいものです。

 しかし、実はほんとうにそうなのです。もし、いま、戦争がこの日本で始まったら、私はどうするでしょうか?戦火の煙がピアノを弾いている娘に向かってもくもくとのびてきたら、何をすればいいのでしょう。
 恐らく、そうなってしまってからでは、私には成す術もないことでしょう。
 そんな思いから、一冊の絵本を思い出しました。


心に生きる7月の絵本
グリム原作/神宮輝夫 日本語訳/モーリス・センダック絵『ミリー』(ほるぷ出版)

 グリム童話を知らない人はいないと思います。1807年ごろから、ヤーコプとヴィルヘルムのグリム兄弟が各地の民話を収集してまとめたものです。日本でも、高橋健二訳(小学館)や大塚勇三訳(福音館書店)などで出版され、小澤俊夫著『グリム童話を読む』(岩波書店)等の優れた研究もあります。また、ことに2,3年前から「初版 グリム童話集」などと銘うったものが数種類出版されて、現代に新しい意味を蘇らせたり、問いなおしたりする動きもあり、一種のブームになったようです。

 それはそれで結構なのですが、知られているわりには、きちんと読まれていない本というのがあります。夏休みにでも、じっくり親子で読んでみるのはいかがでしょう。
 なにしろ、もし絶海の孤島にたった一冊だけ本を持っていくことを許されたら、聖書ならぬグリム童話を持っていく、と答えた者もいるくらいですから。

 さて、前回もグリム童話に原作のある絵本をご紹介しましたが、もうひとつついでに、『ミリー』―天使にであった女の子のお話―という一冊の絵本。これは少々いわくつきの一冊です。というのは、弟のヴィルヘルムが、母を失ったミリーという少女にあてた手紙にそえられていたお話だったのです。以来、少女の一家が持っていたのを、1974年になって売却、さらに10年後に出版社が入手して、150年ぶりに出版されたわけです。

 おまけに、ひと癖もふた癖もある現代の人気絵本作家、モーリス・センダックが5年もの歳月をかけて取り組んだ絵本ということです。センダックは『かいじゅうたちのいるところ』、『まどのそとのそのまたむこう』など、子どもにもおとなにも不思議な魅力を持つ話題の絵本を次々に生み出しています。訳者あとがきによると、センダックが「わたしは『ミリー』をヴィルヘルムと共有するわけだが、彼になりきったと断言できる」とある新聞のインタビューに応えているそうです。

 なにしろ、彼の絵は<かわいらしい>とか<きれい>とかいう<子どもの絵本>の概念や先入観を打ち破るような、独特な美的感覚を持っています。背景に、彼の大好きなモーツァルトなどが描いてあったり、(実際、彼は絵を描きながら、ハイドン、マーラー、モーツァルトなどの音楽を聴いているようです)、とにかく遊び心も十分のユニークなアーティストです。見開き2ページにわたって堂々と描かれた3枚の絵をはじめ、どの絵も、絵画、美術品として、絵本を手にした人を魅了することでしょう。

〔物語に描かれた世界と現代〕

 「ミリーさん」という呼びかけで始まる未知の少女へのヴィルヘルムの手紙は、詩的で幻想的なこの絵本にふさわしい前書きのように、静かに語りかけていきます。
 「ミリーさんは、森やみどりの野原をさんぽしたことがあるでしょう。そのとき、すみきった水のながれる小川をわたりましたね。」
 なんとも、美しく、不思議な優しさに満ちた文章です。

 「……心は、なにものにもへだてられることなく、ほかの人の心にまでとどきます。ですから、わたしの心も、あなたの心にとどきます。」
 現実に、母を失った少女への贈り物は、父を病で失った母と子という設定のお話になっています。
 「むかし、夫に死に別れたおんなの人が、ある村のはずれにすんでいました。」

 おまけに、次々に子どもたちに死なれ、むすめがひとりだけになってしまいます。母はその子をそれは大切に育て、不思議にその子は危ない目にあってもいつも無事でした。
 「わたしのむすめには守護天使がついていてくださるのだ。」と母は信じるようになります。

 ところが、激しい戦が国中に広がり、火の手がこの村にも迫ってきます。大砲の音、燃え上がる炎の煙、逃げ惑う人々の叫び声。母親は恐ろしさに震え、せめて、むすめだけでも戦から守ろうと、決心します。どんな敵でも追いつけないほど深い森の奥に、むすめを逃がそうと連れだします。
 「……三日のあいだじっとまってから、もどっておいで。」

 むすめは森の奥でひとりのおじいさん(実は聖者)に出会い、自分と瓜二つの少女と暮らし、約束の三日をすごして帰ってきますが、……。
 母と子の再会、しかし、結末には、もう一つの現実が待っていました。
 キリスト教的な世界を一つの要素とはしていますが、それはそれとしても、多くのことを考えさせられます。

 現代において、地球上では相変わらず暴力や戦争の炎は耐えませんが、平和のなかの日本においては、また別の、子どもたちの、母と子の受難があるようにも思います。しかし変わらぬものは、わが子の命の無事を願う母と、生き抜こうと必死で努力する子ども、それを支えようとする者たちの存在ではないでしょうか。私はその現実を信じます。


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