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新シリーズ/
学校コミュニティの
創造へ向けて(4)

学校の自己更新と
「意味あるコミュニケーション」の活性化

 約10年ごとの学習指導要領の改訂は、学校(教員)が自らの教育活動を振り返り、更新することを促してきたといわれます。確かに、改訂のたびに提示されるキャッチフレーズは、カリキュラム構成や授業のあり方をとらえ直す契機を与えてきました。「特色ある学校づくり」や「総合的な学習の時間」などを打ち出した今回の改訂も例外ではないでしょう。

 しかし、このような「制度」の変更は、子どもたちが日々行っている学習の質を、本当に変えてきたのでしょうか。それは子どもたちの学びにとって、実際にプラスの効果をもたらしているのでしょうか。

 小学校における「学級崩壊」や、中学校での暴力や「荒れ」といった深刻な事態を思うと、「制度」改革ごとに唱えられる人目を引くフレーズは、学校や教室の実態とうまくかみ合っていない…そんな思いを抱いている先生は少なくないのではないでしょうか。

 もう10年以上前のことになりますが、日本教育経営学会のプロジェクトで、中学校を対象とした全国規模の質問紙調査を実施したことがあります。答えていただいたのは、市町村教育委員会と管轄内の中学校長、その中学校に勤務する数人の教員です。学校の改善を進めるに当たって、「それを阻害している条件は何か」「改善を促進する条件は何か」などについて尋ねましたが、三者の回答結果は、大変興味深いものでした。

 教育委員会は、何はともあれ学校改善の取り組みは校長のリーダーシップしだい、と考えています。校長は、教員がさまざまな職務に追われて多忙状況にあると感じながらも、教育委員会からの期待を受けて、教員間のいっそうの協力・共通理解と強い意欲を求めようとします。一方、教員はといえば、何よりもまず「多忙」の深刻さを訴え、それが解消されない限りどうにもならない、と考えているのです。

 このような三者の関係構造をみると、「上(学校の外)」から「下(学校の中)」へ向けて伝えられる「制度」改革は、教授・学習場面にたどり着くまでに、少なからず「変質」すると考えるのが妥当でしょう。個々の教員に大きな個人的裁量がゆだねられている学校という組織では、そうならざるを得ないところがあります(その善しあしは別として)。

 冒頭の話に戻っていえば、学習指導要領の改訂という「外」からの改革がそのまま「学校の中」、さらには「教室の中」でプラスに働くとは限らないのです。

 ただし、問題は「変質」の有無ではありません。重要なのは、「個々の教員による教育活動自体」が更新されているかどうか、そしてその更新が、子どもの学びの質を高める方向でなされているかどうかです。「制度」改革がどうあれ、そのような自己更新の働きを内部に備えた学校こそが「自律的な学校」だといえるでしょう。

 そうした働きを生み出すのは、教員同士での「意味あるコミュニケーション」です。ここで「意味ある」とは、「子どもの学びの改善にとって意味のある」ということです。話題の焦点は、子どもと、彼・彼女らの学びを創り出す個々の教員の授業や指導のあり方です。それらに関する多角的な情報が、いろいろな教員の言葉によって語られ、一方向ではなく多方向でやりとりされることが重要です。

 このような状態を促進するのが管理職の役割だとすれば、実際に交わされるさまざまな情報の “結節点”として、コミュニケーションを活性化していくことが、教員リーダーである主任の重要な役割だといえるでしょう。

【はまだ・ひろふみ】1961年山口県生まれ。東京学芸大学助教授を経て98年9月より現職。専攻は学校経営学・教師教育論。学校が「自律性」を確立するために学校内部組織はどうあるべきかについて、日米比較の視点をもって研究。著書に『中学校教育の新しい展開第5巻 生徒に開かれた学校をめざす教育活動』(第一法規出版)、『諸外国の教育改革と教育経営』(玉川大学出版部)、『「大学における教員養成」原則の歴史的研究』(学文社)などがある(いずれも共著)。



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株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第266号 2001年(平成13年)7月1日 掲載



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