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新シリーズ/
学校コミュニティの
創造へ向けて(7)

「学級」内の問題を
「組織としての学校」
という視野で共有しよう

 若い先生方と話していると、たいていの場合、話題の中心は担任をしている学級のことになります。授業中勝手に立ち歩く子、ささいなことで大声を上げて暴れる子、「物隠し」や「いじめ」など、問題を抱える子どもやいろいろな「事件」への対応に苦慮しているようすがうかがわれます。

 小学校の「学級崩壊」にマスコミが注目し始めたのは4年ほど前のことですが、その関心が下火になった今でも、問題が解消されているわけではありません。子どもたちの成育環境をかたちづくるさまざまな要因が複雑に絡んでいるケースが多く、学級担任教師一人の力で対応するには限界がある、ということは明らかでしょう。

 1999〜2000年にかけて、当時の文部省の委嘱を受けた学級経営研究会による「学級崩壊」に関する実態調査が行われ、私もそれに参加しました。テレビ・新聞の報道や、多くの図書・論稿によって、すでに「学級崩壊」と呼ばれている事態のイメージはおぼろげながらつかめていました。

 しかし、なぜ、どのようなメカニズムでそうした事態が深刻化するのか、ということは必ずしも明確に説明されていませんでした。研究会では、その点を多様な角度から解明しようとしました。詳細はすでに公開されている報告書に譲りたいと思いますが、私がさまざまな事例の検討を通して痛感させられたことの一つは、「“学級崩壊”は“学級経営”の問題というよりも“学校経営”の問題だ」ということです。

 一般に「崩壊」状況は、高学年になるほど深刻です。その場合、前年度においてすでに「問題を抱えた学年(学級)」だったということが少なくありません。問題はその次です。そのような学年・学級の担任を、他の学校から異動してきたばかりの教員や採用されたばかりの教員にゆだねているというケースがいくつも見いだされたのです。

 「学級のことは担任の責任」という意識を前提に、他の教員が「問題学級」を忌避する雰囲気のなかで、そのような校内人事が行われているのです。教員数の限られた小規模校で「やむを得ず」というケースがあるのも事実ですが、その場合にも、当該学級を支援するための組織的な対応は必ずしもみられるわけではありません。

 米国クレアモント大学の著名な経営学者、P・F・ドラッカーは「あらゆる意思決定のうち、人事ほど重要なものはない。組織そのものの能力を左右する」「人事には避けなければならないことがある。たとえば、外部からスカウトしてきた者に、初めから新しい大きな仕事を与えてはならない。リスクが大きい」(『チェンジ・リーダーの条件』、ダイヤモンド社)と述べています。「経営」の三要素といわれるヒト(man)・モノ(material)・カネ(money)にかかわる学校の自由裁量は確かに限られています。しかし、校内人事については自由なはずです。にもかかわらず、「組織としての学校」の力を最大限に発揮するという意図が、「危機」対応の人事配置においてすっかり欠落しているのです。

 新任はもちろん、たとえ経験豊富な教員でも、異動直後は地域や学校の実態把握、子どもや保護者からの信頼構築、教員集団内部での地位・役割への対応など、多くの課題を克服しなければなりません。そのことはほとんどの先生方が経験的に熟知しているはずです。

 たとえ「学級」のなかで生起するできごとであっても、それを「組織としての学校」という視野でとらえることは、管理職は言うに及ばず、学校を構成するすべての成員にとって重要なことだと思います。

【はまだ・ひろふみ】1961年山口県生まれ。東京学芸大学助教授を経て98年9月より現職。専攻は学校経営学・教師教育論。学校が「自律性」を確立するために学校内部組織はどうあるべきかについて、日米比較の視点をもって研究。著書に『中学校教育の新しい展開第5巻 生徒に開かれた学校をめざす教育活動』(第一法規出版)、『諸外国の教育改革と教育経営』(玉川大学出版部)、『「大学における教員養成」原則の歴史的研究』(学文社)などがある(いずれも共著)。



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株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第269号 2001年(平成13年)11月1日 掲載



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