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岐路に立つ日本の教育(1)
混迷する教育目的

 21世紀に向けて、教育改革の動きが急である。初等・中等教育では、制度疲労が目立つようになったとして、学校週5日制が実施され、公立の中高一貫校の導入が検討されている。また、いじめも不登校も、制度改革をすれば解消されるかのような議論も横行している。

 こうした動向に、期待を寄せる人もいるであろうが、違和感を感じる人も少なくないに違いない。筆者もその1人である。何か肝心なことが忘れられ、無視されている。それは何か、何が重要なのか、このシリーズでは、こうした点について具体的な改革プランに即して考えてみたい。それに先立って、まず、「教育目的」について考えてみよう。

 教育目的をどうとらえるかについては、(1)個人と全体のどちらを重視するか、(2)現在と将来のどちらを重視するかによって、4つの立場が区別される。

 第1は、多様な経済的・技術的要請や社会的要請に対応した教育を重視する立場である。例えば、コンピュータやインターネットの普及が社会生活や仕事の世界を大きく変えているから、それに見合う教育が必要だということで、初等・中等教育でコンピュータ教育を充実するとか、大学などで情報メディア関連の学部や学科を増設するといった改革が行われるのは、この例である。

 第2は、子どもの個性や自由を尊重することを教育の至高の目的と見なして、学校改革を説く立場である。これは、いわゆる進歩主義教育観として今世紀以降の教育界における主要な思潮となってきたものであるが、その内実はともかく、「個性重視の原則」や「個を生かす」教育といった近年の改革論のスローガンは、この目的を重視するものといえる。

 第3は、国民全体の学力や資質の水準を高め維持するという目的を重視する立場である。この場合、学力や資質には意欲や達成動機、信頼性や問題解決能力も含まれる。いずれにしても、第1と第2の立場が個人主義を基本としているのに対して、この立場は、個人を否定するわけではないが、特定の個人や集団の発達や自由を重視するよりも、全体の水準の維持・向上を重視する。

 第4は、子どもの健全な生活と成長、子どもの生活の安全を重視する立場である。この立場も、第3の立場と同様、特定の個人や集団よりも、子どもの全体的な生活環境・学習環境の改善を重視する点に特徴がある。また、第1と第3の立場が、将来の生活や経済社会の発展の手段としての教育という側面を重視するのに対し、第2と第4の立場は、現在の子どもの生活を重視する。

 教育の目的は、本来この4つすべて含んでいるが、一方で、学校段階や学校教育の発展段階で強調点に違いや変化があることも確かである。例えば、第1の目的は、どちらかというと職業教育や高等教育で重視されてきた。また、第3と第4の目的は、初等・中等教育の拡大・普及過程で重視されてきた。子どもたちにとって学校ほど安全で健全な生活を保障される場はない。学校は、そういう場として拡大・普及してきたはずである。

 他方、第2の目的は、教育の基本理念の表明として、制度的にこれを実現するというより、むしろ教育実践の場において重視されるべきものである。もっと正確にいえば、制度的には、子どもが教育を受け、自分の可能性を伸ばす機会を拡大するという目的として、つまり、教育機会の拡大・平等として、その実現が追求されてきた。ところが、学校教育が普及した現代では、この目的の制度的意味は変わらざるを得ない。かくして、「個性重視の教育」がいわれ、飛び級や中高一貫校の是非が検討されているが、これは、非常にエリート主義的な制度になりかねない。「制度疲労」という表現が、改革推進派の「黄門の印籠」のような働きをしているが、特に第2の目的を制度的に保障することは、非常に難しいと考えるべきであろう。

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版]  第216号 1997年(平成9年)4月1日 掲載


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