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岐路に立つ日本の教育(3)
公立中・高一貫校がはらむ問題−その2

 前回は、中学受験の問題と中学段階での学校選択の問題を中心に検討したが、今回は、「6・3・3制」の改変をなし崩し的に促進することになりかねないという点について考えてみよう。

 さしあたり問題になっているのは、「中・高一貫制教育=6年制教育」であるから、まずその功罪について考えてみよう。

 そのメリットとしては、(1)中学時代が高校受験の圧力から解放される、(2)中等教育が高校受験で分断されないから、ゆとりと一貫性のある教育が可能になる、(3)6年間かけて個性を生かす教育に、じっくり取り組むことができる、(4)異年齢交流の拡大による教育効果も期待できる、などがいわれている。

 しかし、それはいずれも、一貫校が増えれば増えるほど確実にデメリットになる。(1)については、小学生が中学受験の圧力にさらされることになり、「15の春が泣く」代わりに、「12の春が泣く」ことになる。(4)についても同様で、一貫校が増えれば増えるほど、異年齢交流のデメリットのほうが大きくなる。12、3歳の中学生と17、8歳の高校生とでは発達面での落差はあまりに大きい。現在の私立や国立の一貫校のような「特別の学校」ではメリットが注目されても、それが多数の生徒に及ぶ時、生活指導面でさまざまの困難が拡大するであろうことは、「教育困難校」といわれる高校の現状を見ても明らかである。

 (2)(3)については、現に高校が抱えている学校間格差や振り分けの問題が中学段階から始まることになる。エリート校ではメリットであり得ても、それ以外の学校は現在の高校以上に難しい状況に直面することになる。学校不適応の問題も、今以上に深刻化することになりかねない。そもそも学校教育がこれだけ普及した時代に、学力や興味や将来展望の多様な生徒を、6年間同じ学校で教えようとすることには無理がある。現行システムはそれを高校段階で処理しているのに対して、一貫校はそれを中学段階にまで拡大しようとするものであり、問題の拡大と悪化を招くことになりかねない。

 これは、5年制ないし6年制の中等学校制度を採用している国が一様に抱えている問題である。

 ドイツでは、エリート的なギムナジウムと大衆的な実科学校や基幹学校に分化しており、その振り分けが中等学校進学時点で行われている。

 フランスでも、普通リセと職業リセに分かれており、普通リセ内でもコース間や学科間の序列が問題化しており、1990年代に入って格差是正が課題となっている。

 イギリスでも1960年代以降、それまでの3分岐制から総合制に徐々に移行してきたが、一方で学校選択=選別の問題を抱え、もう一方で総合制学校内での振り分け(ストリーミング)の問題を抱えている。

 アメリカにいたっては、州や地域によって6・3・3制もあれば、8・4制もあれば、5・3・4制もあるというように多様で、しかも、学校選択の問題と校内振り分けの問題が階級差や人種差別を助長していると批判され、いまだに試行錯誤が続いている。

 それは、中等教育が2系列の矛盾する課題群の間で引き裂かれているからである。共通の基礎学力の育成と能力に応じた教育、国民共通の教育と多様な職業生活への準備教育の開始、思春期・青年期の発達課題と社会的選抜・振り分けの不可避性、これらの矛盾した諸要請を調整し具体化するという課題が、中等教育段階に集中しているからである。しかも、これらの要請に応えるに際して、効率と平等と自己実現と共生という4つの指導理念のどれかを特別に重視し、どれかを不当に軽視することは許されない。効率を重視してエリート教育や選別機能を拡大すれば、平等や共生という価値が損なわれる。自己実現や個性を重視して多様化を進めれば、共生という価値が低下する。効率(能力主義)と自己実現も、学校教育という制度化された市場(選択=選抜の場)では矛盾することが多い。

 したがって、一国の教育システムをどう組織するかという政策を考える場合に重要なことは、これらの価値を総合的によりよく実現するにはどうしたらよいかを考えることである。政策担当者の責任ある審議と賢明な選択を期待したい。

 (次回は学校スリム化論について考えてみたい。)

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版]  第218号 1997年(平成9年)6月1日 掲載


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