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岐路に立つ日本の教育(16)
変わる学校、変わる学習

 2002年から完全実施される学校週5日制に向けて教育課程のあり方を検討していた教育課程審議会(教課審)は、去る6月、教育内容の大幅削減と「総合的な学習の時間」の導入を柱とする「審議のまとめ」を文部大臣に提出した。その特徴は、(a)年間総授業時数を70時間(月2回の土曜日に相当する分)削減する、(b)ほとんどの教科で学習内容を大幅に削減する、(c)小・中・高校で「総合的な学習の時間」を必修として新設する、(d)中学・高校で選択教科の時間枠を大幅に拡大する、といった点にある。

 教課審によれば、今回の改訂のねらいは、(1)豊かな人間性・社会性と日本人としての自覚の育成、(2)自ら学び考える力の育成、(3)ゆとりある教育活動、基礎・基本の確実な定着、個性教育の充実、(4)各学校の創意工夫と特色ある学校づくりの促進、の4点にあるという。

 しかし、この「ねらい」が実現するかどうかは非常に疑わしいと思う。特に基礎・基本の定着、基礎学力の形成という点で問題が多い。第一に、総授業時間数が削減され、選択科目が増加し、「総合的な学習の時間」という曖昧な時間が新設されるなかで、本当に「ゆとりある教育活動」が可能なのか、本当に基礎・基本が身につくのか、はなはだ疑わしい。特に、反復練習や時間をかけて積み上げていくことが重要な教科においては、学力の低下とバラツキの拡大が起こる可能性が大きい。第二に、基礎学力の形成という点で不十分なことしかできないとしたら、それは「自ら学び考える力の形成」にもネガティブな影響をおよぼす。なぜなら、基礎学力は自己肯定感の基盤として重要であり、また、自ら学び考える力は、高度になればなるほど基礎学力や基本的な知識と不可分のものだからである。第三に、生涯学習がどれだけ強調されようとも、広い意味での「高学歴社会=学歴社会」の現実が変わるわけではないから、受験学力の形成を意識した塾通いに拍車がかかり、学力差や学業態度の差が拡大し、学校での学習にネガティブな影響がおよぶことになる。

 このように、今回の教課審の「まとめ」には非常に問題が多いといわざるを得ないと、個人的には思うのだ。が、もう一方で、これによって学校現場が大きく変わるだろうということも、その成否が個々の学校や教師の双肩にかかっているということも確かである。

 第一に、小・中学校では「総合的な学習の時間」が週当たり約3時間新設され、道徳・特別活動の時間と合わせると、毎日平均1時間は体験学習や問題解決学習を重視した授業になる。「総合的な学習」は、国際理解、情報、環境、福祉・健康などについて地域や学校の特色に応じた課題や活動を設定することが期待されているが、この種の時間が充実したものになるかどうかは、すべて教師と学校の創意工夫にかかっている。個々の教師に任せるのか、学校・学年で系統的なテーマ設定をするのか、調べ学習や体験学習や問題解決学習をどのように組み合わせるのか、地域の人材や資源をどう生かすのかなど、これまで以上に教師・学校・地域の連携と協力が問われることになる。

 第二に、中学校では選択教科の時間が1年で最大30時間、2年で85時間、3年で165時間まで、各教科当たりでは年間70時間まで配当可能になるが、この時間をどう使うかは各学校の特色を左右し、もう一方で、学校内における生徒の差異化・差別化の基盤にもなりかねない。現在は選択教科になっている外国語は必修教科になるが、例えば一律に選択英語を毎週2時間増やす学校もあれば、複数の選択教科を同時に開講し、生徒の興味・関心や習熟度に応じて選択するというシステムを採用する学校も現れるかもしれない。

 第三に、選択科目や体験学習などが増え、学級編成の仕方が多様化し、専任教師以外の多様なスタッフの導入が進み、教師の役割分担や連携の仕方が問い直されるなど、学校のあり方が流動的で開放的なものになっていくと考えられるが、そうした変化にどう対応していくかということ、特に、限られた教員やスタッフでいかにしてすべての子どもに十分な配慮をしていくかということが重要な課題となろう。なぜなら、教育課程が多様化すればするほど、教育的配慮は不均等に配分される傾向があるからである。


ふじた・ひでのり 1944年生まれ。住友銀行、名古屋大学助手・助教授、
東京大学助教授を経て現職に。専門は、教育社会学。
主な著書は、「子ども・学校・社会」(東京大学出版会)ほか。

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第232号 1998年(平成10年)8月1日 掲載



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