●HOME●
●図書館へ戻る●
●一覧へ戻る●

教育改革の現在(1)
動き始めた
第三の教育改革

 現在の教育改革は、明治維新後の教育改革の第一、太平洋戦争終戦直後の改革の第二に対して、第三の教育改革といわれている。1971年と1984年の2度にわたって、第三の教育改革が言われたことがあるが、いずれも実現せずに終わった。ところが、90年代に入ってから、急に教育改革が動き始めた。中央教育審議会・大学審議会・教育課程審議会そして教育職員養成審議会と、時期を同じくして答申が出される。つまり高等教育と初・中等教育、教員養成に教育内容と、四つの大きな柱全てについて答申が出ることになる。これら答申のなかには既に具体化している部分もあり、まさに第三の教育改革と言っていいような動きになっている。その意味で、改革は単なる議論のレベルから実践のレベルに入ったとみることができる。別の角度から見れば、この改革は、84年の臨時教育審議会以後、高校の多様化路線などのようになし崩し的に進められてきた改革を、体系化、総合化しようとする動きでもある。

 現在の改革の特徴は、世論の反対が少ないこと、意見の対立の幅が小さいことにある。全体としてかなりの部分についてコンセンサスがある。その背景には、教育に対する非常に強い危機感がある。71年にしても84年にしても、当時はまだ日本経済の状態も良く、教育への危機意識を持つ人は少なかった。だが、90年代に入りバブルが崩壊すると、社会全体がペシミスティックな感じになり、社会や経済の停滞を反映するかのように教育の問題が深刻化してきた。経済の停滞が今回の教育改革の背後にある大きな力だ、ともいえる。

 日本の教育は「外圧がないと大きく変わらない」と言われてきた。明治維新時も然り、敗戦時も然りである。今回の改革を見ると戦後の学制改革が思い出されるのだが、当時アメリカから押しつけられ、中途半端に終わったアメリカナイゼーションが、いまようやく本格的にはじまったように見える。戦後アメリカ占領軍が導入しようとした総合制の高等学校や選択科目制度、生活単元学習などアメリカ的なシステムと、今進められている「総合的な学習の時間」「総合科高校」などとはよく似ている。日本の条件に合わないということで数年で廃止されたアメリカ的な教育の仕組みが、なぜ50年後の今復活してきたのか。興味深い問題である。

 今回の第三の教育改革のきっかけも、ある意味で外圧にあるといえるかもしれない。つまり、経済や政治におけると同様のグローバライゼーション圧力が教育にも及んでいる。グローバル・スタンダード、つまり国際的な標準に教育を近づけなければならないという考え方が強くあり、これまで日本に特徴的とされてきたものを一つひとつ再検討して変えていくような作業が進められようとしている。

 この問題については、日本の教育は本当にグローバル・スタンダードに近づかなければならないのか、その場合のグローバル・スタンダードとは具体的に何かという問題がある。それが日本の教育が、これまで持ってきた良さを損なうことはないのか。これまで、日本の成功の重要な要因の一つと考えられてきた教育が、経済が危機的な状況になったからといって、「抜本的に変えなければならない」という議論に直結してよいのか、という疑問がある。この点はじっくり議論しなければならない問題だろう。

 学級崩壊や子どもたちの荒れの問題など、学校関係者の間には強い危機意識がある。だからこそ教育改革が動き始めているのだが、例えば教育内容の精選・削減は、子どもにゆとりを与えるという意味では良いことかもしれないが、改革によるマイナスの二次効果も十分にあり得ることを忘れてはならない。こうしたことをにらみつつ、教育改革をめぐる意見対立の幅が小さくなっているときこそ、問題をじっくり客観的な目で見直す必要がある。

※この文章は、インタビューをもとに構成したものです。


あまの・いくお 1936年生まれ。国立教育研究所研究員、名古屋大学助教授、
東京大学助教授・教授を経て現職に。教育社会学者。
主な著書は「日本の教育システム−構造と変動」(東京大学出版会)ほか多数。

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第234号 1998年(平成10年)10月1日 掲載



Copyright (c) 1996-, Child Research Net, All right reserved