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教育改革の現在(5)
学校改革のあり方

 教育改革の現状についてのこの論考も、今回で最後となる。そこで、今回はまとめとして、これからの学校改革のあり方を考えてみたい。

 「これからの大学は出口管理になる」と話題になっている。一般的なイメージとして、「出口管理」というと、「勉強しなければ落第、退学させる」ことだと考えられている。しかし、大学は多額の入学金や前払いの授業料を受け取っている。これは、「私どもはお宅のお子さんを入学させます、入学させた以上は4年間できちんと教育をして卒業させます」という契約の意味を持つ。教育の努力をせず放っておいて、「進級させない。退学させる」ということではない。従って、本来は、出口管理ではなく、「過程管理」というべきものだ。

 アメリカやヨーロッパでは大学入試がなく、だれでも好きな大学に入れるとよく言われている。しかしこれは事実ではない。例えばアメリカのハーバード大学に入るためには10倍近い競争を突破する必要がある。他の大学の場合にも「アドミッサブル」基準と呼ばれているが、この程度の学力があれば入ったあと授業についていけるという基準がある。入試はないがその代わりに学力を共通テストの成績や高校在学中の成績で評価して入学させるシステムになっている。

 日本の大学はこれまで入口で、つまり入試で学力を管理してきた。しかし、入口で厳しい学力評価をすると学生が集まらない大学も出てきている。大学が期待する学力の水準があっても、実際に入ってくる学生の学力がそれに届かない。そこで大学は期待水準を下げざるを得ない。そうするのであれば「このごろの学生は勉強をしない」と嘆くばかりでなく、学生に合わせた教育の仕方を考えることが必要になる。実際に、ただ単位を取ればいいというのでなく、成績評価をきちんとして、一定水準以下なら再履修を求めるとか、指導や補習のシステムをつくり上げる大学が出てきている。そうしたシステムをつくらずに、ただ「入るは易く、出るのは難しく」というのでは、ナンセンスな議論になる。

 大学が急速に変わろうとしている原動力になっているのは、危機感である。子どもの数が減って学生が集まらなくなる、経営の危機がくるという恐怖感が私立大学には特に強い。国立も同様で、「このままでは民営化、特別行政法人化されるのでは」と、いつまでも「親方日の丸」ではいられないという危惧がある。

 いうまでもなく問題は大学だけではなく、中学や高校の場合にも、危機的な状況がある。子どもたちの荒れ、学級崩壊の問題が深刻化している。学校が変わるためにはこうした危機感を共有することが大切だし、危機感なしには変革はあり得ない。危機は好機でもある。

 実際、学校が変わらざるを得ないことははっきりしている。文部省の各種審議会が打ち出している改革の方向については、意見の食い違いもあるし、批判も多いが、現実の問題状況とそれほどずれているとは思われない。全体としてみれば、望ましい改革の方向を打ち出しているといってよい。

 改革はいつも理想主義的になるし、理想主義的でなければ改革はできない。しかし、現実はなかなか理想通りには行かず、理想を貫こうとすれば思いがけない2次効果が発生することもある。例えば、内申書重視による教育の管理化などはそのよい例だろう。今回の教育内容の精選も、子どもたちにゆとりを与えるためによいことだとされているが、どのような2次効果が生ずるか十分に考えられているとは思われない。予想される2次効果を可能な限り小さくするための努力を、同時に、並行的に行わなければならないだろう。ただ初めから2次効果ばかりをいっていては改革はできない。改革でいちばんむずかしいのはバランスの問題かもしれない。



※この文章は、インタビューをもとに構成したものです。


株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第239号 1999年(平成11年)3月1日 掲載



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