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シリーズ(3)
未来への責任(2)
「常識」の慣性 
(イナーシア):
本当に「ゆとり」は
ないのか?

 中学生をはじめ子どもの事件が起きると、「受験のストレスが原因」といった見方がよくされる。現在進行中の教育改革でも、「ゆとり」を子どもに与えることが目標であり、2002年度から始まる完全学校週5日制と授業時間数の大幅削減も、「子どもにゆとりを」を最大の根拠にしている。

 激しい受験競争に追われ、子どもはゆとりを失っている。教える内容を減らし、授業時間数も削ることで、子どもたちにゆとりある生活を与えよう。そういう意見がある一方で、受験体制が変わらなければ、いくら授業時間数を削ったところで、子どもは塾に行くだけ、受験のストレスはなくならない、といった現実論も耳にする。

 これら二つの意見は一見対立しているように見えるが、両者には共通する前提がある。それは、受験競争によって子どもの生活が強く影響されているという認識である。受験競争が教育をゆがめているといった受験教育批判は、長い間日本の教育界を支配してきた。マスコミも依然としてこの見方を変えていない。そういう「常識」が成立している。

 だが、他国の子どもたちや、過去の日本の子どもたちと比べると、この常識の根拠はあやしくなる。世界46か国の中学2年生を対象に1995年に実施された「第3回国際数学・理科教育調査」によれば、日本の子どもたちが1日あたり学校外で学習する時間は、塾などを含めても2.3時間、46か国全体の平均が3時間だから、それより少ない。順位も25番目で、46か国中あまり勉強していない部類に入る。

 かわって余暇時間を見ると、日本の中学生は1日8.1時間で、全体の平均8.6時間よりやや短いものの、それでも46か国中22番目で、決して少ないほうではない。しかも、テレビを見る時間に注目すると、日本の中学生は2.6時間、全体の平均2.3時間より多く、46か国中10番目となる。これでも日本の中学生は、受験競争に追われ、ゆとりを失った子どもたちといえるのか。

 過去と比べても、今の生徒たちの勉強時間の減少を示す調査がある。例えば、神奈川県藤沢市が市内の中学3年生全員を対象に、1965年から5年ごとに行っている調査である。それによれば、塾などを含む学校外での勉強を「ほとんどしない」生徒は、75年以前には2%以下だった。ところが90年、95年と10%を超えた。「ときどき」しか勉強しない生徒も、75年の22%から95年には48%へと倍増した。他方、2時間以上の生徒は75年の29%から95年には17%に減っている。受験競争が過熱化している、子どもにゆとりがない、といったマスコミ報道や文部省の教育改革論議の認識とは反対に、今の中学生は過去に比べ格段に勉強しなくなっている。

 一度つくられたステレオタイプは、「常識」として流布し、なかなか変わらない。だれもが支持する見方だけに、反論も出にくい。マスコミも同じ枠組みで教育報道を繰り返す。そのためか、過度の受験競争という「常識」がますます深く根を張る。

 しかも、教育論議には体験論や印象論が多い。時代の変化に目を向け、あるいは他国との比較をもとに現状を検証するより、マスコミの事件報道や周辺の出来事の印象、さらには過去の自分の体験をベースに、現在の教育を批判しがちである。そういう印象論や体験論をもとに教育を論じることが、どれだけ実態から目をそらすことか。特に、文部省の審議会など、教育改革の議論の場ならなおさらである(注)。

 正しい現状分析を欠いた教育論は、問題解決を遅らせるだけではない。基礎学力の急速な低下など、思いもよらぬ問題を生み出すことさえある。教育の「今、ここ」がどうなっているのか。それを正確に把握するには、座標軸をきちんと決めてかかることが肝要だ。「今」は過去とどう違うか。「ここ」は他所とどう異なるのか。歴史と比較。「本当かな?」と思った時が、「常識」の慣性を止めるチャンスなのである。

(注)http://www.monbu.go.jp/singi/index.html で審議会の議事録が読める。

【かりや・たけひこ】教育社会学者、ノースウェスタン大学大学院修了。著書『学校って何だろう』(講談社)他。



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株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第243号 1999年(平成11年)7月1日 掲載



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