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こどもメディア研究会活動事例報告

二瓶 健次
一色 伸夫


(こどもメディア研究会ができるまでの経緯)

1.赤ちゃんは情報を求めている

 生まれたばかりの赤ちゃんが、五感を働かせて外界を探索していることが、判ってきたのは今から約15年前のことだった。そればかりか、出生前の胎児も音や光に対して反応し、羊水の味を区別しているのである。このことを情報という点から見ると、赤ちゃんは、視覚・聴覚・触覚等といった感覚器官を使って、母親の体内にいるときから情報を収集しているということがいえるのである。

 この様に、人間はその命を宿したときから、周囲の情報を貪欲に取り込む存在であり、この原動力になっているものが、飽くなき好奇心である。特に子どもの時代には、とりわけ好奇心が強く、周囲にあるモノはすべてこれ物であろうと人であろうと生物であろうとすべてがその対象となる。そして、子どもは、それを遊び道具としてしまう天才なのである。

 それでは、赤ちゃんの時期に何の情報も得られなかったらどうなるであろうか。かつて、ノーベル医学賞を受賞したハーバード大学医学部のヒューベル教授とウィーゼル教授の共同研究によると、生後間もない時期に正常な猫の目を縫って何も視覚情報が入らなくしてしまい、一定期間を過ごした後、抜糸して視覚情報を得られるようにしても、その後視力が決して育たないというのである。このことからも、生後間もない時期からの情報が如何に大切であるかが指摘されるのである。


2.テレビが送る情報のメリット・デメリット

 テレビは子どもに何ができるかという問いに対して今までにいろいろな試みがなされてきている。そしてそれは、その時代、時代の子ども観を反映してきているのである。最近では昨年12月8日に放映されたテレビアニメ「ポケットモンスター〜電脳戦士ポリゴン〜」をみていた子どもたちが次々と気分が悪くなり倒れ病院に担ぎ込まれる事件があった。これはテレビから送られる強烈な光や色に反応したものとみられ、現在、郵政省、厚生省、各テレビ局がその原因・調査にのりだしているところである。アニメという手法により送られてくる情報は子どもにとっては大変魅力のあるもので、最近のCG等のメディアテクノロジーの発達がより刺激的な手法を可能にしている現実がある。しかし、子どもとメディアの関係が基本的にどうなっているかが検証されていなかったため、この様な不幸な事態をまねいてしまった。

 子ども番組の歴史を振り返ると、1970年代の初めまでは、世界的に子どもは大人になる前の未熟な段階と見られていて、特に就学前の幼児には、知的なことを伝えても理解することが出来ないと思われていた。そのため、幼児番組も歌をうたったり、お話を聞かせたりすることが中心だったのである。

 この流れを根本から覆したのが、今日でも世界各国で放送されているセサミストリートである。当時のアメリカはジョンソン大統領のもと貧困対策に力点をおき、ヘッドスタートプロジェクトを全米各地で強力に推し進めた。このヘッドスタートプロジェクトは呼んで字の如く、ヘッド(あたま)をスタート時にそろえて競争するのが民主主義の社会ではフェアであるという考えと、貧困家庭の子ども達が小学校に入る前にドロップアウトしてしまって、学校に入ってからでは、取り返しようがない現状の打破のための政策だったのである。

 日本における幼児番組もこの影響を受け、1970年代中頃から徐々に変化してきた。NHKでは、それまで、大雑把な言い方をすれば制作者の大人が幼児とはこんなものであろうという私感に基づいて番組の内容と演出が決められていたが、新しく番組を開発するために、学者・リサーチャー・制作者からなる2歳時番組研究会が発足した。この研究会では、従来の幼児番組にこだわらず、テレビを通して子どもにどのようなメッセージを伝えたらよいのか、伝えられるのかということを単に制作者だけでなく、教育学者や心理学者と実際に子どもがどうテレビを見ているかを専門に調査するリサーチャーとが三位一体となって開発するというフォーマティブ・リサーチの手法をとった。

 そこで開発されたセグメントの中で、子どものテレビの注目率が一番高かったセグメントは「しりとりコンピュータ」だった。これは、ぶた・たぬき・きつね・ねこというように、しりとり遊びをするのであるが、コンピュータ・グラフィックスで次々と連続して映像が変化していくのを子どもたちが、映像の変化の途中で当てていくというものである。ここでテレビを見ている子どもは、自分の予想をたて、期待をもって参加していたのである。子ども向け番組にこの様な細心の注意が払われていれば、ポケモン事件を未然に防ぐことができたかもしれないと思うと大変残念である。


3.年齢とともに子どもの知的好奇心が枯れていく

 赤ちゃん時代からの飽くことのない知的好奇心は、親子の強い絆をベースキャンプにして発展していくが、この絆がしっかりしていないと子どもの探索活動も病んでしまうこともある。また、親が指示しすぎて子どもが自ら選択できる余地がない場合も知的好奇心が育たないようである。

 我々日本人の生活は経済成長のおかげで、着実に過去に比べると改善されてきていると言えるだろう。身の回りに物資が溢れ、知りたい情報を誰もが欲すれば手軽に入手できるようになった。しかし、子どもたちが成長していく上で、何か足りない気がしてならない。昔の方が、子どもたちにとって豊かな環境が、より多くあったかどうかという比較ではなくて、子どもの飽くことのない知的好奇心を継続させ、発展させていくことができるような、豊かな環境がまわりにあるかどうかという点である。

 「赤信号みんなで渡れば怖くない」という言葉に代表されるように、日本人はあまり人と違うことを行うより、集団の中での協調性ということに力点をおいた社会を築いてきた。このことを子ども時代にまず、家庭で、学校に入ってからは教育の中で、そして社会に出てからは、社会の中の目に見えざるルールとして教え込まれてきた。しかし、集団の中での協調性をあまりに強調しすぎるあまり、子どもがもっている奔放なるまでの知的好奇心を台無しにしているとすれば一大事である。

 明治以来の外国へ追いつき追い越せという西欧化の波の中で、学校教育はその中核として大量の情報を効率よく人々に提供する場として機能してきた。そのためには、知識を教師が子どもたちに教え込むという画一的な一斉授業がなされてきたのである。その中では、子どもたちは、疑問をもつことより如何に早く暗記するかを問われたのである。

 この状況は、今日、受験競争と相まってより深刻化している。就学前からの早期教育も良い学校に入学せんがためのものが主流を占め、小学校・中学校・高校と学校に通ううちに、疑問や驚きから出発する知的好奇心は徐々に枯れていってしまう。そして大学・社会人となり、独創性・創造性が突然要求される。大方の人にとってそれは無理というものである。


4.異分野の人からなる「こどもメディア研究会」の設立

 今日、日本は発展途上国からはその範として行動、先進国からは国際貢献を厳しく問われている。その日本の明日を支える子どもたちは、今の大人以上に世界の中で指導的な立場を要求され、それにふさわしい知恵・決断力・独創性・協調性といったものが要求されてくるであろう。そうした能力の源ともいえる、子ども時代の感動体験、知的好奇心を満たしてくれる豊かな環境といったものを、我々大人が今こそ真剣に考えてみる必要があり、押しつけではなく子どもたちを取り巻く環境として用意することの重要性を感じるのである。

 子ども時代から知的好奇心を充分満足させ、熱中する素晴らしさを体験し、未知との出会いに感動し心ときめかし、ある時は生命の不思議さに驚き、自然の驚異に目を見張り、それらのメカニズムを解明する科学の素晴らしさに感動する、等々から科学する心が芽生えてくる。現に多くの偉大な科学者の少年少女時代には、科学や未知なるものとの少なからぬ素晴らしい出会いや感動体験があったことが指摘されているのである。そして少年少女時代の夢をずっと持ち続けて、将来その夢を着地させるべく科学に対する新しい研究に取り組んできた。勿論、有名な科学者ばかりではなくて普通の人たちも、子ども時代に様々な驚きや感動を体験したことが、その後の人生に大きな影響を与えている。

 20世紀をあと僅かに残す現在、子どもたちが、こうした体験をする新しい“場”の創造を目指して「こどもメディア研究会」が1991年夏に発足した。この会のメンバーには、医学・工学・コンピュータサイエンス・認知科学・幼児教育・発達心理・現代美術・美術館教育などに携わる第一線の人々が集まった。そして、これからの時代重要性を増す“情報”に着目して、身の回りに溢れ、表層のみが素通りする情報を“生きた情報”として、子どもたちの心の琴線に触れ、驚きや感動を与え、発見する喜びをもたらすものにするためにはどうしたらよいかという視点で実験を行い、調査・研究していくことになった。


(活動事例報告)

 これまでに述べられたような目的で、いろいろな分野からのハードとソフトをもちいてメディアと子どもの関係について活動を行ってきたが、今回はその一部、とくに病気の子どもたちにたいする試みについて報告する。

(1)病気をもつ子どもたち:子どもは発達の途上にあるということが大きな特徴であるが、その発達にはコミュニケーション、学習、経験、運動といったことが重要な因子となっている。これらが十分に行われることによって、五感を刺激し、感動し子どもたちはいきいきと輝いていくのである。すなわちクオリティーオブライフが向上するのである。しかし何らかの病気をもつことによって、日常生活が制限されたり、長期に入院を余儀なくされることによりコミュニケーション、学習、経験、運動といったことが充分できなくなり、QOLを低下させることになる。

(2)メディアは病気の子どもたちのQOLの向上に役立つか:従来の子どもに向けたVRは主に刺激を求めたゲームセンターを意識して作られているものが多いが、子どものQOLを目的として作られたものは少ない。われわれはコミュニケーション、経験、運動、学習を補うようなソフトの開発から始めた。閉鎖された空間で病院の外の人々と音楽合奏、サッカー、にらめっこ、腕相撲などをしたり、VRの動物園、遊園地を見てまわったり、水族館を見たり、VRの箱庭作り、映像を通じてもとの学校に出席したり、乗馬をしたりする試みを行った(ビデオ供覧)。これらの試みは、病院に入院していることを忘れさせ、子どもに大きなインパクトを与え、従来の病院の概念を破るものであった。今後のマルチメディア技術の大きな可能性の一つと考えられる。

(3)病気をもたない子どもたち:現在の子どもたちが置かれている状況も必ずしも良いものとはいえない。病気をもった子ども以上にコミュニケーション、経験、運動、そして感動が乏しい子どもが増えてきている。これは環境的、時間的、精神的余裕が少ないということに起因しているのかも知れない。


(こどもメディア研究会の今後の活動)

5.豊かな心を育てるために

 子ども時代の五感をフル稼働した感動体験、知的好奇心を継続させ発展させていく豊かな環境をどう用意できるかが我々大人に突きつけられたテーマである。そしてこれに対していろいろな試みや実践が始まっている。「こどもメディア研究会」は、この問いに答える方法として“21世紀を生きる子どもたちの生活はメディア抜きには考えられない”との視点に立ってメディアを通して科学する心を育てるにはどうしたらよいのかの研究・実践を行ってきている。

 子どもの心の糧は“情報”であるということを述べてきたが、その心の糧をどう手に入れられるか。コンピュータが登場して情報化社会が到来し身の回りには一見、情報が溢れかえっているように見えるが、本当にその情報を理解し、自分のものにする機会が逆に少なくなるという現象が起きている。子どもたちは、心の糧“情報”に対して過食気味であり、かつ消化不良を起こしているのである。そして、この傾向は、テレビが多チャンネル化し、電話回線が光ケーブル化し、放送や通信、出版等あらゆるメディアがコンピュータと融合していくマルチメディア時代には、ますます強まると予測される。

 時の流れがゆっくりしていた時代には、人々はひとつひとつの情報を吟味する時間をたくさん持てた。しかし、今日では地球の裏側で起こった出来事さえもリアルタイムで届く時代である。まだ記憶に新しいところでは、イラク戦争でのアメリカ軍のミサイル攻撃の様子を多くの人が茶の間であたかも、コンピュータ・ゲームの感覚で眺めていたのである。あらゆるメディアが、現在進行形の形で多量の情報を提供し、すぐに消費され、人々の脳裏から消えていく。

 この様な状況の中で、どうしたら子どもたちは“情報”を消化して心の糧にしていくことができるだろうか。我々「こどもメディア研究会」は、この問題を解明するために子どもがメディアと関わるときに生じる様々な問題を、二つの側面から検討することにした。第一は知覚認知的アプローチで、情報の効果的な表現方法としての真の双方向性や参加性とは何か、子どもはメディア自体をどう認識しているのか、情報そのものはどう知覚されるのか、という基礎的な研究である。第二は基礎技術的アプローチで、どんな情報の種類には、どのハードウェアを使うのが適当なのか、その最適なインターフェイスは何かということである。

 最近、仮想現実(VR)に関する話題が至るところで聞かれ、子どもが仮想現実の中に長くいすぎることによる弊害を唱える向きもある。現実と非現実の境がなくなり、子どもが現実を直視できなくなるのではないかという疑問である。このことは、子どもの認識過程が新しいメディアにより、どう影響されるかという重要な問いを含んでいる。その答えを出すためにも我々としては、子どもとメディアに関する基礎的な研究を継続していかなければならないと思うのである。

 この様な基礎的な研究・実験を積み上げていく中で、子どもが“情報”を自分の血として、肉としていくメカニズムや環境とは何かということがはじめて解明されてくる。我々は、その延長線として、“情報を味わう”というキーワードを掲げ、子どもたちが実際に情報を味わうことにより、その情報を深く理解できるような空間、さらに情報を得ることが知的好奇心をかきたて、新しい興味と創造に連なるメディアスペースの実現を目指している。


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