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全体講評
セイモア・パパート博士(MITメディア・ラボ教授)


 さて、これは楽しい仕事ではありますが、恐ろしい仕事でもあります。まず、おそらく皆様方の多数の方々がお持ちだと思われるある問題に対する私の個人的解決方法をお話ししたいと思います。しかもこの問題は、30年以上もこの仕事に携わっていますが、この仕事を始めて以来ずっと私を悩ませ続けてきました。このジレンマにはいつもほとんど精神分裂症になったような感じにさせられます。

 それは、将来について考える時、私の上に二種類の力が働きます。その一つはいつか起こることについてです。はっきり断定できませんが、20年か30年先、いつかあまり遠くない将来に事態は大きく変わるだろうと時に感じます。私たちは4学年算数カリキュラムの教え方について心配するのではありません。きっと4学年なんてものはないでしょう。また、きっと独立した数学、現在のカリキュラムに似たものはないでしょう。
 一方、当分の間は「月曜はどうですか」と先生方が好んで言われるように、月曜日には学校であれどこであれ、仕事上すぐなすべきことがあり、現在の世界構造に合わせなくてはなりません。
 そこで、この二つとどう対処なさいますか。精神分裂症にならざるを得ないと思います。あなたの時間のいくらかを来るべき未来のために、またいくらかの時間を月曜のために費やさねばなりません。そしてそれをしなければならないと思います。なぜなら、何が起こるかは予測できませんが,何が起こるかを自分で推測しなければ,舵のない船同様、どこにも行けません。あてもなく漂流するよりも、ゴールを間違ってもどこかに行く方が良いと思います。
 将来とさしあたって考えるべきいくらかの問題の考え方について、少し意見を言わせていただききます。私は、自分以外の世界が持つイメージで、人々が世論の形成に参加する責任について話したいと思います。たとえば学校のことですが、私は来年または2、3年のうちに非常に大きく変わると思います。変化は徐々に大きくなるでしょう。しかしある日急激な変化を遂げるという事実に対して、できる限り一般大衆を訓練する責任も感じます。子どもたちを年齢により学年で分けるという考え方は、私たちが過去に一種の知識生産ラインを採用せざるを得なかったことによります。良いとか悪いとかの問題ではありません。それは私たちが今まで持った知識技術の避けられぬ結果であり、物事が何の意味も持たないという新知識技術の避けられぬ結果です。そして無意味なものは5年、10年、20年生き残りますが、最後には消え去ります。ですから、私たちは一般大衆に働きかけ続けねばなりません。
 そして、私は2〜3の問題に触れたいと思います。わずかに触れるだけにしたいのは技術自体に対する私たちの見解です。ある人がしばらく前に自分は(コンピュータを指して)これより紙の方が好きです、決して紙を見捨てないでしょうと言いました。注意してください。紙を決して見捨てないということはどういうことですか。本当ですか。私たちの研究室、つまりMITのメディア・ラボには、デジタル・ペーパーを製造している研究グループがあります。つまり、素材としては紙の感触があり、紙のように曲がります。お好みで紙のような匂いがします。しかし、それはデジタル媒体です。そして、その上にはお望みの印刷体裁で文書が現れます。また色付きでも、映画でも、世界中を波乗りできます。それではなぜ動的な紙が持てる時、静止用紙を持ちたがる人がいるでしょうか。これは心に銘記しなければならない種類の質問です。
 如何に急速にコンピュータ全般に関する考え方が変わったかを考えてみてください。
30年前、20年前、10年前、今日、コンピュータだと考えた物。変化は非常に劇的なので、将来を予想するとすれば,コンピュータは今日私たちが知っているものと同様だと想定すべきではありません。私はよくロシアに行きますが、ロシアの行き帰りに私は途中下車をして、レゴ社に立ち寄って友人に挨拶します。同社は小さな物体の製造を行い、公表しています。それはコンピュータの一種ですが、片手に持てるコンピュータです。つまり、子どもがレゴモデルの中に入れることのできる物です。それはコンピュータですが、我々が机上に置くテレビとタイプライターの合体でできた製品とは全く違います。
 「あなたのお子さんにコンピュータの前にどれくらい座ってほしいですか」という質問をよく耳にします。子どもがコンピュータの前に座るのではなく、コンピュータがポケットにはいるのです。それは全く違うことをします。子どもはロボットをつくることができ、その中の知能でモデルを作ることができ、そして全く違う何かをするのですね。それが2〜3ヶ月すれば出現するのです。ですから、数年のうちに更に急激に変わるのです。
 しかし、私が強調したいのは、私たちが受け身になってはならない別の側面があるという点です。教育界は全般的に、コンピュータ業界がコンピュータの外観を決める権利を受け入れてきました。そこで、コンピュータ業界はたとえば最低限1000ドルか2000ドル、最高限度で4000、5000、6000ドルというふうに、人が払うある価格点を決定し技術進歩を恐らく能力の増強に変換しましたが、同一価格水準でそれを成し遂げました。研究と努力を200ドルコンピュータの製造につぎ込むのは価値があり、利益を生むという結論にはなっていません。しかし何故でしょう。そこで自分たち以外の世界について浮かんだ質問に行き当たるのです。
 小学生年齢だと考えられる子どもが、世界中に10億人います。10億人ですよ。恐らくこうした子どもの10%は日本や米国のような国に住んでいます。日本や米国では今現在、コンピュータやインターネットに直接接近できないかもしれませんが、将来この子どもたちを参入させる過程が作用しているのが見えます。残りの90%、そのほとんどはそのような過程が作用していない国に住んでいます。これは世界にとって非常に危険な状況だと思います。これは単に人道主義の問題ではありません。これは一つの考え方ですが、こうした子どもたちが恵まれないのは不公平です。更に悪いことには、それは私たち全員、また地球の存在に対する脅威です。平和への脅威です。グローバル経済の創造に対する脅威です。
 何故なら富める国と貧しい国がある限り、地球上には緊張と危険があるからです。更に、(今回のシンポジウムで)二日間こうしたニューメディアが如何に学習過程を改良できるかについて述べられた事柄のわずか1%が真実だとすれば、既にリードしている国は更に大きく差をつけることになります。
 注意しなければなりません。富める者が更に富み、貧しい者が更に貧しくなる方向に向かう過程の一環にあります。「デジタルな持てる者」は益々そうなり、「デジタルな持たざる者」は他のすべについても「持たざる者」になります。実に厳しい現実に到達します。私たちが話し掛けることのできる政治家、一般大衆、友人、叔母そして誰もが、確実にその現実に直面するように計るのが私たちの責任です。現実を直視したくないので、ことなかれ主義者になって、駝鳥のように頭を砂に突っ込みたがります。そこで彼らが言うには、「あなたはそれについて何ができますか」「高くつき過ぎます」「ここでどなたかが言われたように、世界中のすべての子どもにラップトップを与えることはできないと思います」。何故だめですか。高すぎますか。本当にそうですか。ちょっとした算数をやってみましょう。
 過去数ヶ月、多くの東南アジア諸国が経済危機に瀕しています。この財政危機に対応して、「ベイルアウト(緊急脱出)」と言われる作戦が行われました。ところで、昨日誰かにこれを話そうとした時に気づいたのですが、日本人翻訳者が「ベイルアウト」の適訳を見つけるのに苦労していました。とにかく「ベイルアウト」は韓国、タイ、インドネシアに対して採られた対策です。数字をみましょう。数字、そうです。これら財政機関は困っています。世界は何とか1000億ドル以上にのぼる緊急脱出措置を講じました。数カ国を緊急脱出させるのに支払える1000億ドル。世界の子どもたちを緊急脱出させるのにどれくらい払うことができるのでしょうか。それ以上は必要としません。何故なら1000億ドルで世界中のすべての子どもに強力なコンピュータを与え、全員をを衛星によりスーパーネットに接続できます。
 店頭でコンピュータを買う場合、かなり近い数字になりますが、全くその通りではありません。しかし、1000億ドルから最初の50億か60億ドルのいくらかを適正価格のコンピュータを製造する研究開発に投資すれば、恐らく1000億ドルをかなり下回る金額で、世界中の子どもに行き渡るコンピュータを製造することができます。
 私はこの正確な進め方を知っていると申し上げているわけではありません。私が言わんとするのは、世界にその支払い能力がないというのは馬鹿げているということです。世界はそれができなければなりません。できるのです。しかも、世界はこれほど多くを要しない他の種類の危機と対応することができるのです。
 個人的手順として、私はニコラス・ネグロポンテ他数人と2−B−1基金と呼ぶ機関を設立しました。数字の2、アルファベットのB、数字の1です。英語の語呂合わせで申し訳ありませんが、「to be one」は異なる言語を話す多数の若者たちに通じるようです。私たちがこうしたギャップを取り除き、未来の担い手、子どもたちに一つになる機会を与えれば、世界は一つになれます。
 創設された2−B−1基金は去る7月に会議を開いて、現場の活動家を招集しました。この人たちが開発途上の80カ国の子どもたちにコンピュータを届けます。そして、私たちには来年中に世界の僻地に1000個所の、私たちがデジタル前線基地と称する出先機関を設立するという、非常に真剣に考え抜いた計画があります。私たちは次の5年間に、10,000個所、20,000個所の前線基地を考えています。まだ10億には達しませんが、私たちが私たちのわずかな部分を実行していることを少なくとも示すことで、他の人々による他の行動へと急き立てる前例となれば良いと願っています。今のウェッブ・ページ「2B1」はあまり良くありませんが、来月にはもっと見栄えのする生き生きしたページになります。
 これは一つの方向です。私は未来に対する挑戦を示そうとしているのですが、それは大きく物を考えるべきだということ、私たちには大きな責任があると言うことを認識することです。それは単に学校を良くするとか、もっと良い成績をとるとか、あちこちでうまい示威行動をとるとかの問題ではなく、人類の運命、地球の運命、世界平和あるいは世界不和について話しているのです。そして私たちは、その展望から出てくる問題に直面するレベルまで立ち上がらねばなりません。そしてこれらの問題ですが、私たちは調査研究が進められる方法について受け身であってはなりません。「それについて何かするには金がかかりすぎる」とか「それは私たちの関知するところではない。誰か他の人の仕事だ」という人たちを前にして、受け身であってはなりません。それは私たちの仕事です。そして私が特に思うのは、人々を形式的な努力をしただけで立ち去らせてはなりません。国連機関がアフリカ諸国の数百校で、コンピュータ・ラボを支援するのはその例です。それは偉大なことです。喝采を贈るべきでしょう。そうした恩恵を受ける学校には、素晴らしいことです。しかしこれは全地球的問題、10億の子どもたちにとって適正規模の行動ではありません。
 大きく考えなさい。大きく考えて活動をする。他の人たちにこづき回されないようにしましょう。どの種類のコンピュータが開発されるのを見たいか、どの種類が欲しいか主張を続けるべきです。教育者全員がこのモデルのウィンドウズ・コンピュータはあれよりも優れているとか、アップルの方がIBMより良いとか討論しても、我々はそうした討論モードから脱出すべきです。自分を教育者の討論をする立場に置くことです。私たちは自分たちの討論をすべきです。
 この二日間に起こったすべて、これらすべての素晴らしい実例説明を考えてみると信じられない技術があります。それは、胸が躍るほど素晴らしいことで、私たちは本当の力を自分たちの手の中に持っているという感じを与えてくれます。ですから、脅されないようにしましょう。
 私の考えのすべてを発表したわけではありませんが、申し上げたいことは十分申し上げたと思います。この演壇に立たせて、皆様方に会わせ、皆様方の意見を聞かせ、大事な会話をたくさんさせていただきありがとうございました。そして、全員がたとえ実空間でなくても、サイバースペースで常に連絡をとりたいですね。そうすれば、恐らくその区別をもう止め、境界を消滅させる地点まで到達するでしょう。
 福武さん、ベネッセ・コーポレーション、そしてこの素晴らしい会議の運営に貢献なさったすべての方々に感謝します。ありがとうございました。

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